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サファリのオッチャンのブログ一覧

2012年09月30日 イイね!

スケッチ

スケッチ遠い過去に、スケッチに夢中になったことがありました。
小学生の時から絵を描くことが好きで、ごく稀に描いていました。たくさん描くことはしません。

最近久しぶりに4Bの鉛筆を買ったついでにスケッチブックも購入し、忙しい日々の合間に時間を見つけて描きに行っています。(ヘタクソですが・・・・)
現地で大まかに描いて、ウチに帰ってから修正します。

ランクルがあると結構色々な所へ行けるので、重宝しています。

それにしても腕が落ちたなぁ~・・・(元々だな・・)
Posted at 2012/09/30 11:59:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | 徒然 | 日記
2012年09月27日 イイね!

ご自服

ご自服職業柄、抹茶を習っています。自ら志願して習い始めたわけではないのですが、オフクロと先生に体よく乗せられて(ハメられて)かれこれ8年くらいになります。物覚えが悪いため、未だに薄茶のお点前しか習っていません。
毎週稽古日になると行く前は大慌てで仕事を片付け、ホウホウノテイで行きます。
抹茶が好きで、よく仕事中にも点てて飲んでいます。お菓子は売るほどにありますが、なぜかその辺にある餡だけを口に入れていることが多いです。

自分でお点前をして、自分で飲むのを「自服」といいますが、昨日は久しぶりにお菓子を出して一服を楽しみました。
お茶席用のお菓子ではなく、ウサギの饅頭です。さしずめ「結婚記念日の月見の茶事」といったところでしょうか。
そう、昨日は18回目の結婚記念日でした。妻にも一服点ててあげたかったのですが、生憎お茶の稽古日と重なり大慌てで稽古に行き、帰ってきたら妻は就寝中でした。
そういうことで、一人で「ご自服」を楽しんでいました。

「みん友」のMIOちちさんも、昨日が結婚記念日でした。私の結婚式にはMIOちちのお父様を主賓としてお迎えし、MIOちちさんご本人の結婚式には私も出席させていただきました。
何だか深い縁を感じるところであります。


やっぱり、妻へ一言書いたほうがいいかなぁ~・・・・・
「ありがとう」^_^”・・・・
ハハハ、照れる!
Posted at 2012/09/27 13:34:05 | コメント(2) | トラックバック(0) | 徒然 | 日記
2012年09月24日 イイね!

自車について・最終回

自車について・最終回和菓子屋を営んでいるウチの会社では、毎年1回酒饅頭を作ります。
元々ウチに伝わるものではなく、私が一から配合表を起こして、研究を重ねて今日に至っています。
その酒饅頭には清酒と酒粕を使いますが、そのお酒と酒粕について毎年酒屋の親父さんと意見を交わし、お気に入りの組み合わせで購入していました。
「昨年のはこれを使ってこんな感じだったから、今年はこの清酒とこの酒粕の組み合わせはどうだ?」
毎年こんな感じで年初に吟醸粕を、饅頭を仕込む2~3日前に清酒を購入していました。
平成18年5月28日も毎年のごとくお酒を買うべく歩いて酒屋まで行き、角を曲がったところで見えたのは黒い縁取りの看板でした。
店の奥には喪服を着た息子さん(友達)がいて、僕は思わず「おい、誰だ、誰が亡くなった?」、彼は「親父」とだけ答え、しばらく沈黙が続くと彼は「お世話になったね、親父は君に会いたがっていたよ」と。
私は彼に「今日は親父さんと、明日仕込む饅頭に使うお酒の話しをして、いつものようにあ~でもない、こ~でもない、と言い合いたかったのに・・・・」
平成7年ころから、毎年親父さんとこの時期にこんな会話をしていたのに、平成18年の饅頭の仕込みは、やはり若干のショックがあったためか、あまり記憶にないような饅頭を作ってしまいました。

お葬式から10日ほどたった6月上旬、その彼に会った私は、親父さんとの色々な思い出話をしていました。その中で「そー言えば、親父さんのランクルはどうする?」、私が尋ねると「ウチではもう使わないから処分の方向で考えているけど。」と言うではないか。
私は「じゃぁ、処分して次の所有者が何処の誰か分からなくなるくらいなら、自分が形見として引き取る。」こう言うと、彼や彼のご家族も納得していただけました。

かくして平成18年9月の車検を機に私の下へやってきた親父さんのBJ74は、オートマ・オープンデフという若干物足りなさはあったものの、「オープンデフはエアロッカーを入れればいいし、オートマは妻が運転することも考慮すれば、これがベストかな」と自分に言い聞かせ、ニコニコしながら愛車、、、、そう、私の人生で初めての自分専用の愛車を38歳にして所有しました。

綺麗な状態の個体でした。ずぅ~っと、綺麗なままで乗り続ける予定でした。

納車されてから10か月ほどが過ぎたある日、近くにある神通川の河川敷をランクルで遡っていったところ、私の知らない神通川が現れました。
私の通っていた小・中学校は神通川にほど近く、子供のころは河川敷でよく遊びましたが、私達が知っている神通川は河川敷も含め綺麗に整備された神通川でした。ところが、ランクルで遡ったところで見た神通川の河川敷はそれこそ荒涼とした、荒れ放題の場所でした。「こんなところ今まで見たことがないぞ・・・」と思いながら、時々その場所へ行くようになりました。

秋のある日曜日、その日もその荒涼とした河川敷へ行くと、ジムニーに乗った集団(10台くらいだったでしょうか?)と出会いました。皆さんとお話しをしながら、私も一緒に走りました。
初めてチャレンジする壁のようなヒルクライムで亀の子になったり、楽しい思い出を作りました。この時、この集団の中に「みん友」の「ツよシ」さんがいらっしゃいました。
その後も、河川敷やその他の場所で会う機会があり、ツよシさんからたくさんの楽しい仲間達を紹介していただいております。

綺麗で傷の無い状態は、私の下へきて10か月ほどだけでした。今は、、、書かなくてもわかるか・・・

このあたりで「自車について」を終わりたいと思います。

次のネタが無い・・・・・‐_‐”
Posted at 2012/09/24 20:31:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記
2012年09月23日 イイね!

続・自車について

続・自車について「着いたぞ」

伯父さんの一言が車内に響きました。内心「言われんでも分かるわ!!」と思いながら、なんとか体勢を整えようとしていたら、バックドアが開き私は荷物と一緒にまさしく「転げ落ちる」ようにして雪の地面に落下しました。
フラフラになりながら立ち上がり、自分のスキーや荷物を拾い上げ伯父さんの後についてゲレンデに向けて歩きました。
この時、私は自分の間違いに気付きました。「ランクルという車は憧れるものじゃないな。百歩譲って大人になったら乗れる体になるかもしれないが、子供が乗る車ではない。こんな車、大人になっても二度と乗るもんか!」私の体がそう言いました。

時が流れ、高校生になった私はやはり山が好きで、相変わらずスキーを通して山と触れ合っていました。私が通っていた高校はスキー部がとても強く(私は入っていませんが)、顧問の先生も山男でした。乗っていた車は確かランクル60系だったと思います。他にも70系に乗った先生がおられたと記憶しています。
学校の駐車場に停めてある先生のランクルを見ながら「いいなぁ~、あんな車が欲しいなぁ~。」
自分の体が一回り大きくなって、過去の「伯父さんのランクル経験」もしんどかった記憶は体から抜け落ち、あの雪道を、あの雪の壁を、何よりも逞しい伯父さんや先生とランクルの組み合わせ、これが増幅していったがために、ランクルに憧れるようになったのだと思います。

免許を取ってからは、会社にある配送用のハイエースやハイゼット、を乗り回していました。
その後ランクル70系を買うために貯金もし、着々と準備をしておりましたが結婚等もあり、なかなかランクルが買えずに時が過ぎました。
平成14年に70系が国内販売終了と知った時は、オーダーの受付も終了していました。
なんだか、急にやるせなさが襲い掛かってきたように感じましたが、それでも「逆輸入があるじゃないか!」と叶えられないような期待を胸に、またまた時が経ちました。

ある時、近所の酒屋の親父さんと話をしていて親父さんのBJ74の話しになりました。「僕もいつか、あれに乗りたい。」といったら、親父さんは信じられないような顔をして「本当か?あんな車、普段使いがしにくいぞ。乗りたかったらいつでも言えよ、貸してやるよ。」嬉しいような、嬉しくないような言葉をもらい、借りたことはなかったものの、乗せてもらったことはありました。もちろん舗装路で。

初めて親父さんのBJ74に乗せてもらった時は、とにかくウルサイ車だと思ったものでした。しかし乗り心地や内装は、以前乗った伯父さんのBJ40に比べて「こちらの方がサルーンじゃないか!」と感じました。
酒屋の親父さんとは、自身の息子さんが私の幼馴染ということもあって子供の時から、やがて大人になって私の仕事に使う酒の相談にのっていただくなど、公私にわたって永く付き合いをさせていただきました。

そんな酒屋の親父さんが、、、、、

続く、、、、、かも^_^
Posted at 2012/09/23 06:04:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記
2012年09月22日 イイね!

自車について

自車について前回の続きということになります。が、その前に私とランクルの出会いを少々記したいと思います。

初めてランクルと出会ったのは中学一年生の冬、建設会社を営んでいる母方の実家の伯父さんが所有していたBJ40でした。

黄色(山吹色)の車体にグレーの幌でした。山が好きで、山男達の中に入って大人の山の話を聞くのが好きだった私は、そんな男達や伯父さんが乗っている「ジープのような逞しい四輪駆動車」は幼いながらも憧れの一つでした。

ある時、伯父さんがスキーに連れていってくれるとのことで、ウチで待っているとやってきたのはそのランクルでした。

迎えにきたランクルに乗せてもらえる嬉しさでいっぱいの私はさっそく助手席に乗ろうとしたら、助手席には伯父さんの娘(私の従妹、当時小学3年生くらい)が乗っていました。
もちろん伯父さんは「お前は後ろだ」と、少々冷たく言い放ってくれました。

40系のオーナーの方はご存じですね。そうランクル40系の後部座席はお隣と向い合せの状態で座ります。その貧弱なシートはリアサスペンション(無用に頑丈なため、乗り心地はご想像の通りです)の真上にあり、かつ幌の隙間から真冬の寒風が容赦なく私の体を襲い掛かります。市街地を走っているときはまだ我慢ができましたが、徐々に山に近づくにつれ、道は踏み固められた固い雪の凹凸(地元では「馬の背」と言います)、寒風吹き抜ける後部座席では激しく上下左右に揺さぶられながら、唯一踏ん張れる足元には、私たちのスキーや雑多な建材など、足元がおぼつかないとはこの事かと腹の中で罵りながら、ヘロヘロになったとき、ようやくスキー場の駐車場に到着しました。

到着した駐車場はすでに満車であり、係員が「○○さぁ~ん、ゴメン満車だから好きなところに停めてぇ」と。伯父さんは当時スキーの国体選手で富山県代表で輝かしい成績を収めていたことから、スキー場の多くの関係者と顔なじみだったようです。

係員の言葉を聞いた伯父さんは軽く頷くと、「どこに停めようか」とつぶやきながら、おもむろにユックリとランクルを走らました。ふと、ゲレンデ近くの雪の壁(まさしく壁)の前で「ここにすっかぁ~」とつぶやきながら車体を壁に向けながら、少しバックし始めました。当然私は何が始まるのか見当がつかず、フロントガラスの向こうをみていると、アクセルを軽くアオリながらクラッチをポンと繋いだ伯父さんは雪の壁に向けてまっしぐら。すごい衝撃と上向き状態で停まった車体、後部座席ではトドメをさされグデングデンになった私。

この後、私は気を失いかけるような状態になりました。
続く←本当か^_^爆
Posted at 2012/09/22 14:31:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | | クルマ

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「@MIO&HIROチチ さん、ごぶさたです。ブラックでも食いにおいでませ。西町大喜に案内します。」
何シテル?   02/15 08:57
とてもアナログなサファリのオッチャンです。 鼻面にトップレンジャーFB9000、前後デフにエアロッカー付いてます、と書いたらバリバリのクロカン野郎に見えますが...
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