和菓子屋を営んでいるウチの会社では、毎年1回酒饅頭を作ります。
元々ウチに伝わるものではなく、私が一から配合表を起こして、研究を重ねて今日に至っています。
その酒饅頭には清酒と酒粕を使いますが、そのお酒と酒粕について毎年酒屋の親父さんと意見を交わし、お気に入りの組み合わせで購入していました。
「昨年のはこれを使ってこんな感じだったから、今年はこの清酒とこの酒粕の組み合わせはどうだ?」
毎年こんな感じで年初に吟醸粕を、饅頭を仕込む2~3日前に清酒を購入していました。
平成18年5月28日も毎年のごとくお酒を買うべく歩いて酒屋まで行き、角を曲がったところで見えたのは黒い縁取りの看板でした。
店の奥には喪服を着た息子さん(友達)がいて、僕は思わず「おい、誰だ、誰が亡くなった?」、彼は「親父」とだけ答え、しばらく沈黙が続くと彼は「お世話になったね、親父は君に会いたがっていたよ」と。
私は彼に「今日は親父さんと、明日仕込む饅頭に使うお酒の話しをして、いつものようにあ~でもない、こ~でもない、と言い合いたかったのに・・・・」
平成7年ころから、毎年親父さんとこの時期にこんな会話をしていたのに、平成18年の饅頭の仕込みは、やはり若干のショックがあったためか、あまり記憶にないような饅頭を作ってしまいました。
お葬式から10日ほどたった6月上旬、その彼に会った私は、親父さんとの色々な思い出話をしていました。その中で「そー言えば、親父さんのランクルはどうする?」、私が尋ねると「ウチではもう使わないから処分の方向で考えているけど。」と言うではないか。
私は「じゃぁ、処分して次の所有者が何処の誰か分からなくなるくらいなら、自分が形見として引き取る。」こう言うと、彼や彼のご家族も納得していただけました。
かくして平成18年9月の車検を機に私の下へやってきた親父さんのBJ74は、オートマ・オープンデフという若干物足りなさはあったものの、「オープンデフはエアロッカーを入れればいいし、オートマは妻が運転することも考慮すれば、これがベストかな」と自分に言い聞かせ、ニコニコしながら愛車、、、、そう、私の人生で初めての自分専用の愛車を38歳にして所有しました。
綺麗な状態の個体でした。ずぅ~っと、綺麗なままで乗り続ける予定でした。
納車されてから10か月ほどが過ぎたある日、近くにある神通川の河川敷をランクルで遡っていったところ、私の知らない神通川が現れました。
私の通っていた小・中学校は神通川にほど近く、子供のころは河川敷でよく遊びましたが、私達が知っている神通川は河川敷も含め綺麗に整備された神通川でした。ところが、ランクルで遡ったところで見た神通川の河川敷はそれこそ荒涼とした、荒れ放題の場所でした。「こんなところ今まで見たことがないぞ・・・」と思いながら、時々その場所へ行くようになりました。
秋のある日曜日、その日もその荒涼とした河川敷へ行くと、ジムニーに乗った集団(10台くらいだったでしょうか?)と出会いました。皆さんとお話しをしながら、私も一緒に走りました。
初めてチャレンジする壁のようなヒルクライムで亀の子になったり、楽しい思い出を作りました。この時、この集団の中に「みん友」の「ツよシ」さんがいらっしゃいました。
その後も、河川敷やその他の場所で会う機会があり、ツよシさんからたくさんの楽しい仲間達を紹介していただいております。
綺麗で傷の無い状態は、私の下へきて10か月ほどだけでした。今は、、、書かなくてもわかるか・・・
このあたりで「自車について」を終わりたいと思います。
次のネタが無い・・・・・‐_‐”
Posted at 2012/09/24 20:31:46 | |
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