今日は言わずと知れた震災の日。
現在において国民的な認知度が高いのが
この3.11だと思う。
当時の惨事を知る人の多くは
この日を忘れていないのでは。
もちろん私も、この日は必ずその時間に黙祷する。
けれど岩手出身の家主様は
特に何をするでもなく、今している事を続けながら
落ち着いてその時を過ごす。
だからといって故郷の悲しみを
感じていないわけではないだろう。
多分、彼の中では日常の中に
全てが溶け込んでいるのだと思う。
震災のあった日だからといって
式典を開いたり特番を組んだりするのは
悪いことではないけれど
ともすれば、それ以外の日々は
この惨事を思い出すことなく忘れているんじゃないのかな。
数日前、知人から3/11に都内で集まらないかとご招待いただいた。
だけど、私にとってその日は特別で
家で静かに黙祷をしたかったから断った。
その旨を伝えると知人は、
ごめんなさい、日曜日だと思って何も考えずに決めちゃって。。。
とすまなさそうに返事を返してきた。
謝ることじゃない。
被災した人もそうでない人も
前を向いて「今」や「その先」を大事にするのはむしろ良いと思う。
だけど、忘れては欲しくない。
あれだけの大惨事があった事を。
でもね、じゃあ今日黙祷をした人の中に
阪神淡路大震災や熊本地震がいつだったか覚えている人はいるのかな。
阪神は忘れもしない1.17。
泥だらけのままミルクがなくて
コーヒー牛乳を哺乳瓶に入れて飲まされている赤ちゃんを見て
涙が止まらなかった。
熊本は4.14。
TVを見てびっくりした。
地震慣れしている地域だったら
対策や避難訓練ができていたかもしれない。
静岡生まれ静岡育ちの自分は
幼少時代から地震に対する意識があり
子供の頃から何度も何度も避難訓練を繰り返し
街全体が大地震を想定した作りになっているのが
当たり前だと思っていた。
震度4くらいまでの揺れなら
あ、いつものことか
って感覚で揺れに対しての免疫もあった。
だけど3/11のあの日、
会社で大きな揺れを感じた瞬間、非常ドアを開け放ち
机の下へ潜って身を守ったのは私だけだった。
関東出身者や九州出身者もいたけれど
皆揺れに悲鳴をあげて右往左往するばかりで
地震の際の心得が全くなかったことに驚いた。
揺れてる最中に非常階段を降りようとする人がいて
慌てて止めて机の下に入るよう部屋中に大声で叫んだ。
揺れがやんだ瞬間、椅子の布団やひざ掛けで頭を守り
地区の避難場所へ移動するよう指示。
防災係の社員さんにも避難の誘導を指示。
冷静だったのは静岡出身の私だけだった。
今はもう、
どこで地震や水害や噴火などの災害が起こるかわからない。
どの地域でも最低限の訓練と基盤づくりが必要に思う。
とりあえず3日生きられるだけの準備を
個々がしておく必要があるんじゃないかな。
余裕があれば1週間分。
でも人が運べる重さは限られてる。
せめて3日は自分の力で生きられるように。
私も登山用ザックに
3日分の水と食料と非常道具を詰めて
改めて準備しようと思う。
<被災地に関する過去ブログ>
■2017 みちのく旅
■山が教えてくれるもの
■行くぜ!東北。2013
■行くぜ!東北。2013<大船渡~陸前高田>
■行くぜ!東北。2013<陸前高田~遠野近辺>
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気象・災害に関する話題 | 日記
Posted at
2018/03/11 15:58:40