
個人的な思い出なので、スルー頂いて結構です、最近スルー推奨多くてすいません。
先月29日に札幌で仕事が入ったので、丁度NXも納車されているし27日か28日に帰省を計画していました。27日の朝に母から着信履歴があったので、折り返し電話して17時の便にする事を告げようと思ったら、
『今朝、祖母ちゃんが亡くなったので直ぐに来れる?』
と、最初何の話か判らなかった。
『ごめん、祖母ちゃんが何だって、祖父ちゃんじゃなくて?祖母ちゃんが、、、、』
『うん、祖母ちゃん。多分迎えにいけないから、タクシーで来て』
『判った』
頭の中が何が何だか、はぁ?死んだとか嘘だろ。と何度も自問自答しながら、喪服を持っていないので、黒っぽいスーツと革靴をスーツケースに詰め込む、ネクタイとか小物は親父のを借りよう。
羽田に到着して、ホントに行き先は実家で良いか電話を入れると、斎場の最寄駅まで父が迎えに来てくれる事に。
気が動転していたせいで、飛行機に乗った事もあまり覚えていない、こんな事は初めて。
駅に到着したら、NXが停めてあったので、近づいたら父が出てきて
『カッコいいだろ』
『そんな気分じゃない』
しばらく無言。
『検死から帰ってきて、今斎場で待ってるよ』
『検死?』
『一人で部屋で亡くなっていたから、死因調査しなきゃならんだろ』
父は何時もと変わらない様に見えた。そして、祖母ちゃんが亡くなっていたのを発見したのも父だった。祖父ちゃんは検査入院していて、祖母ちゃんは部屋で一人だったらしい。
亡くなる前日、祖母ちゃんに食事を持っていったのも父で明日、祖父ちゃんが退院する事を告げたらすごく喜んでいて、食事を作った母にも珍しく感謝の電話をしていた。お義母さんがそんな事するなんて、と思ってたらしい。
斎場に着き、祖母ちゃんと対面。とても朗らかな人だったので、無言でいる事が信じられない。何時も眼鏡をしていたが、眼鏡は掛けていなかった。こんなにすっぴんの顔をまじまじと見たのも初めてだった。良く言われる眠っている様だった。実際に眠ったまま逝った様で、苦しまなかったのは本当に良かった。折角、冬に白内障の手術して良く見えるようになったのにとか、あと二年で米寿祝いしてあげれたと思うと目頭が熱くなる。
その晩は、弟と私で祖母ちゃんに付き添い、線香番をする事に。今回、かねてからの祖母ちゃんの希望で家族葬にしたため、こじんまりした旅館みたいな所でリラックスしながら、祖母ちゃんに語りかけたり、顔を触ったりして一晩を寝ずに過ごした。
翌日、親戚を迎えに千歳空港まで喪主である父の代わりにNXを走らせた。私が会うのは子供の時以来だったが叔父も私をすぐ判ったらしい。これで、親戚全員集合、13名の少ないこじんまりした通夜となった。故人と盃を交わす儀って言うのがあって、お猪口片手に聞こえるように感謝と思い出、そしてさよならと語りかけた、人目をはばからず号泣した。こういう時、家族葬ってのは良いと思った。線香番は、従姉妹と交代して私は休ませて貰った。
翌日午前に告別式を終え、私は仕事の関係で火葬に立ち会う事は出来なかった。後ろ髪引かれる思いだったが、父と祖父に仕事を優先する様にキツク言われ霊柩車のクラクションを耳に入れつつ、斎場を後にした。
仕事を終えた翌日、ホテルのシャワーを浴びていたら、シャワー室のドアがやたらギシギシ鳴り出した。間違って掃除が入ったかなと思って、貴重品が不安になり出てみるも誰も居ない。地震があった訳でもないし、まさかねとは思っているが、どうせ答えは出ない。こういう時は良い様に取るのが一番だろう。
未だ、祖母ちゃんがこの世に居ないってのが頭で理解出来ない。何処かでまたあの朗らかな声が聞こえて来るような気がする。不思議な事に、四十九日法要の後に、北海道で仕事のスケジュールが入っている。とにかく、身内に面倒をかけたくない人だったのだが偶然だろうか。

帰りの飛行機から見る夕方の満月を横目に、X JAPANのWithout youが頭の中をループしていました。
Posted at 2015/07/02 23:54:53 | |
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