2018年09月11日
皆さんこんばんは。さいばすたーです。
今日は「スポルトとの思い出 その2」ってことで、ちょっぴり走ったかなって感じのドライブの思い出話。
今回は 一泊二日の信州木曽路ドライブです。
前回の伊勢参りドライブから半月後になります。
旅番組で木曽路特集を見ていて思い立って行ってみました。
まずは絶対条件。「木曽路のどこぞかの宿場町で一泊する」ってことで宿を確保。出発です。
ルートは・・・
自宅~佐久~野辺山~木曽福島(泊)~木曽路の宿場を適当に散策~帰宅
って感じ。
野辺山は是非とも日本最高標高点の駅を訪れたいから。あとは高原の空気を味わう感じで。
駅で売ってた記念切符ゲット。それから高原のソフトクリーム。美味かった。
最高地点の踏切で偶然にも通過する列車に遭遇。ラッキー。
昼食は踏切脇のレストランでそばを食べたよ。信州だもの。
宿で夕食したけどなんか物足りなくてそぞろ歩きしつつ駅前から夜の宿場町をぶらぶら。コンビニ見つけておにぎり2ことお茶を買って宿に戻ってパクつく。因みにこの宿、木曽川沿いに立っていて、川の音がすごい。しかしこれも旅の風情ってもので。これもありですね。
翌朝は宿を引き払った後に朝の宿場町をぶらついて夜の顔とは違う街並みを味わう。
観光地化されているのか、昔ながらの建物は自分としては見受けられなかったが、こういうものかと納得させる。
木曽路を南下.関所跡があるっぽいので立ち寄ってみる。歴史に触れるのは大事だね。
さらに南下。妻籠宿で昼食。因みにこの宿場もそうだが、旧中山道の宿場町だ。私の住む町にも中山道が通っており、あそこからここまで昔の旅人や参勤交代の大名などが往来したのかと思うと、気が遠くなる気分だ。自宅からここまで歩けなんてこと、到底できないかも。今は便利だね。車を使えば一日で来れちゃうんだからね。
さらに南下し、高速道に乗り、帰宅と相成りました。
えっと、若干短かったのでもう一ネタ。
小田原にいる従姉妹のところに行ったときに、二宮尊徳の記念館に立ち寄って、従姉妹宅での所要を済ませて帰宅するんだけどそれじゃあっけないので、箱根仙石原にあるオーベルージュ(宿泊もできるレストラン)で一泊した時の朝、早く目が覚めちゃったので窓の外を見ると、仙石原に雲海みたいのが発生していて、それが晴れていく様をぼーっと眺めて朝のひと時を過ごしました。
なお、このオーベルージュ、急坂の上にあって、駐車場はその中腹。登る時と下る時、フロントを擦らないかひやひやした。車高落としてるからね。へへ。
ということで、平成25年、こんなとこ行ってました。
(おまけ)本日の三隻
20:43現在
第二東洋丸・・・17:37千葉出港、13日1:30宇野港着予定で駿河湾沖航行中。
第三東洋丸・・・17:38坂出港出港、12日9:20広島港着予定で今治沖航行中。
光洋丸・・・17:53堺港出港、12日7:15衣浦港着予定で和歌山県御坊市沖航行中。
それではまた。明日は平成26年のドライブレポートです。
Posted at 2018/09/11 20:48:59 | |
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風景 | 日記
2018年09月10日
皆さんこんにちは。XDツーリング納車まであと6日。ワクワクが止まらないさいばすたーです。
と言うわけで、納車までのこの時間、スポルトとの思い出を振り返りたいと思います。
思えば、2013年の京都旅行から旅日記の更新がなされていませんでしたが、実はいろいろな場所に行ってまして、その時の様子などを綴っていきたいと思います。
なお、画像はなしで、文面だけでご容赦くださいませ。
第一弾はその後その1 奈良から伊勢路。
2013年8月下旬。前回は京都に行ったので、今度は奈良だねってことでスポルトで出動です。
初日は定番中の定番、奈良と言えばここでしょってことで法隆寺へ参拝です。
早朝に出発して昼前には到着したのですが、この日は何だか荒れ模様の天候で、東名阪自動車道から名阪国道、法隆寺の手前までの間、ものすごい土砂降りで、ワイパーがフル回転で動作してました。この時改めてエグゼのワイパーブレードに感謝でしたね。ウインドウへの押しつけ力の違いで、しっかりと雨を拭ってくれていました。
法隆寺インターで降りて、目的地近辺の和食店にて昼食、たっぷり2時間弱参拝しました。
世界最古の木造建築の見事な造形美をたっぷり堪能して満足満足。
次に向かったのが平城京跡。ここは跡地の真ん中に鉄道がとおっているのですね。踏切がカンカンと音を鳴らせた後に電車が通る。背後には大きくそびえる大極殿。何とも不思議な気分でした。
この日は移動疲れもあって早々に奈良市内のホテルにチェックイン。部屋の窓から見えるのはとある天皇陵。いわゆる古墳ってやつです。このような場所で休んでもいいのかと若干恐縮しつつ寝た。
翌日は同行者と別行動。(同行者は母姉妹。東大寺や興隆寺近辺を市内バスフリーパスを手に入れぶらついていたようだ)
自分は奈良市内から南下し、斑鳩飛鳥周辺を堪能する。石舞台古墳、大神神社、高松塚古墳、飛鳥寺などなど。
今回の旅の目的の一つに、「本場のそうめんを食したい」ってのを掲げていて、大神神社の近くは三輪そうめんのふるさとって知ってたので、昼食は三輪そうめん池利本社の食堂(一般で入っても頂けるのは調査済み)にて季節のそうめん定食を頂いた。自宅でいつも食べているそうめんって何だったの?ぐらいの美味さにびっくり。お土産に乾麺を購入、家で食えるとホクホク。
そうそう、歴史散策も楽しみましたよ。日本最古の寺飛鳥寺。如来さまの座像に手を合わせるとなんだか心の隅っこにあった変な気持ちが洗われるような気分。裏手にある蘇我入鹿の首塚なんかも歴史ロマンですね。千年以上前に権力闘争があったなんて胸が震えます。
高松塚古墳では有名な壁画を鑑賞。(レプリカですけどね)
この別行動の裏には、理由があって、翌日には伊勢に行くのですが、そこまでの移動時間には相当な時間が余るので前段階に何か入れ込めないか考えあぐねており、飛鳥周辺で午前中のいくばくかの暇つぶしをと考えていたので、密かに下見をしていました。
そして翌日、飛鳥寺と石舞台古墳、高松塚古墳を午前中に入れ込んで伊勢に向かいます。このプランは意外に好評。小さくガッツポーズ。
午後3時ぐらいに伊勢市(宇治山田駅近く)のビジネスホテルへチェックイン。人生初のお伊勢参りに胸躍らせ体を休めます。(ここは朝食付きの宿なので、夕食はショッピングセンターやコンビニなどで仕入れたもの。今から思えば現地の定食屋などで名物を食すのも一興だったかと)
翌日は念願の神宮巡り。だがしかし、ここは正式なお参り手順に従い直接神宮に行くのではなく、二見興玉神社に清めの意味でお参りすることから始める。ここは天照大御神をこの地に道案内したという猿田彦大神が祀られており、有名な見どころは夫婦岩である。境内にある遥拝所から鳥居を通して夫婦岩を望み、礼拝すると、その方角には何と皇居があるという。ここで遥拝すれば自ずと天皇陛下を遥拝するという仕組みだ。偶然ではあろうかと思うが、ここは皇祖天照をこれから参拝することを報告し、
許可を得るような気持ちで参拝する。
次に向かうは外宮。ここは天照の世話役である豊受大御神が祀られている社だ。当時は式年遷宮の直前で、古びた本宮の苔むした屋根などが見られる最後のチャンスのようで、大変な賑わいを見せていた。外宮でこれなのだから内宮はいかばかりか胸を躍らせつつ、身を引き締めて参拝する。
たっぷり2時間弱かけ、境内を散策、ちょうど昼ぐらいになったので、外宮近辺で見かけた伊勢うどんの幟のある食堂にて名物伊勢うどんの昼食。するするっとのどを通り、程好く腹に溜まるうどん。いい感じ。
本日最後はお待ちかねの内宮参拝。日本の総氏神であらせられ、最高神と言われる天照大神とご対面だ。緊張と期待のないまぜになる何とも言えない雰囲気が鳥居をくぐる前から身を包む。これから神様の前に身をさらすと言う気持ちが高まる。
鳥居の前で一礼。ここからは真剣に本宮を目指して進む。
今までガイド誌などでしか見ていなかった景色が眼前に展開すると、これがまた何とも言えない気分だ。
御手洗場で身を清め、いよいよ本宮へ。ここまでたっぷり30分。ご対面の瞬間だ。心を込めて二礼二拍手一礼。ふと頭を上げたその瞬間に一陣のそよ風。本殿を覆い隠す御簾が翻り、本殿のお姿を拝見させていただき、ありがたい気分でいっぱいだ。
感謝の気持ちを抱きつつ、境内にある別宮摂社末社を参拝する。
都合2時間、堪能した。
さてここからは現世俗世に戻るためにおはらい横丁で休憩がてら散策。ちょっとした食べ歩き。満足満足。
宿への帰り道、夕食を仕入れて戻る。何だかつきものが清められた感じで、疲れはあまり感じられない。ぐっすり寝られた。
翌日は鳥羽水族館をメインスポットに鳥羽観光。その翌日に帰宅と相成った。
と言うことで、人生初の奈良伊勢参りをスポルトで行った思い出話でした。
(おまけ)本日の三隻
21:26現在
第二東洋丸・・・千葉を目指して御前崎沖航行中。11日16:30千葉到着予定。
第三東洋丸・・・坂出目指して伊豆大島沖航行中。12日1:00坂出到着予定。
光洋丸・・・境目指して倉橋島付近航行中。11日7:30堺到着予定。
Posted at 2018/09/10 21:32:22 | |
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風景 | 日記
2013年03月11日
これは昨日の「思い付きの栃木訪問」ブログによるレポートの備忘録としてお読みください。
屋外の展示車両はさまざまな車種が並び、華やかな展示商談会として活況を見ていました。私も随分大規模な商談会だなぁと展示してある車両をしげしげと自分なりに眺めては素人査定を繰り広げていましたが、展示している車両の一部のフロントウインドウの片隅に「放射能測定済み」のおよそ3センチ角のステッカーが貼り付けてあるのを見つけました。
さかのぼること二年前、東日本を襲った大震災に伴う津波によって破壊された原子力発電所の惨状が脳裏にリフレインされました。
今でも避難生活を送っている数多の人たち、今でも原子力発電所で働いている幾千の人たちの苦労などが思い出されます。
栃木(北関東マツダ管内と言うことであれば茨城も含まれるのか?)と言う場所のせいなのかどうかは判りかねますが、こういう表示をしないと買い手がつかない現状もあるのかなぁと改めて東日本大震災はこういうところにまで影響を与える災害だったのかと、クルマを愛するひとりとして考えさせられる訪問でもありました。
今回考えさせられることが多く、単なる物見遊山では終わらなかったドライブでした。
大震災から二年を数える今日に思いを馳せて・・・
Posted at 2013/03/11 19:06:15 | |
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風景 | 日記
2012年08月02日
皆様お久しぶりです。
えーと、まずは皆さまからの温かいコメントの数々、拝見させていただきまして、大変感謝しております。
コメントへの返信は順次行って行きますのでお待ちください。
と言うわけで久々のブログですが、昨日8月1日をもちまして無事に告別式も終わり、本日から親父の周辺整理(法的手続きなど)を開始しました。暫くはこの手続きなどに忙殺される日々が続きそうです。
と、今回、家から外に出て独立している兄二人を差し置いて、末子である私は両親と同居しているため、人生初である喪主を体験させていただきました。
親父が亡くなってから六日間、葬儀屋と幾度となく打ち合わせをし、さらに親類たちに訃報をお知らせし、菩提にする寺の住職とも打ち合わせ、葬式に関する一切合財を体験、完遂しました。
実に細かな要件の手配や打ち合わせなどが絡みあって、意外と喪主って大変だなぁって感じました。
私以上に大変だったのは葬儀屋じゃないかと思うのですが、それはさすがプロ、手際の良さには感心しきりだったのは私だけかもしれません。
みん友さんの中にも喪主を務められた方がいらっしゃるかもしれません。
私もその方達の仲間入りです。
今の所は親父の周辺整理の傍ら、長年連れ添った母を支え、気持ちを改めて生活して行こうと思います。
従って私の目指すマイデミオ実現までは若干足並みが遅れ気味になるとは思いますが、皆さんのパーツレビューや整備手帳など、ボチボチ拝見させて頂いて楽しみたいと思います。
あ、それから、納骨が済む九月中旬まで私的なお出かけは出来そうにないので、計画している埼玉オフを始め、開催されるオフ会には(ホントは行きたいんだけれど)参加を遠慮させていただきますのでご容赦くださいませ。
近況報告と皆様への感謝の言葉とお礼に代えさせて頂きます。
Posted at 2012/08/02 20:51:41 | |
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風景 | 日記
2012年07月26日
先般のブログにて触れましたが、皆さんの励ましの甲斐なく、寝たきりの親父が本日午後、息を引き取りました。先ほどまで葬儀屋との打ち合わせをし、一息ついた所です。
と言うわけで落ち着くまでの間、しばしログイン出来ない(コメントやらイイねが付けられないかな)と思いますが、何卒お見守りのほどよろしくお願いいたします<(_ _)>
Posted at 2012/07/26 20:58:22 | |
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風景 | 日記