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2015年06月23日 イイね!

関東遠征道中記 ~福井・中編~

関東遠征道中記 ~福井・中編~久し振りの旅ブロ更新となりますが、今回鈴鹿パレランに参加出来なかったことが未だに悔やまれてなりません。

皆さんのブログ等を拝見しておりましたら、すごく楽しそうに書かれているのばかり拝見したからです(。>A<。)


しかし仕事とこんな体調不良では。。


来年こそは!!

と意気込むばかりですp(`・ω・´)q


また先のブログにて通信速度がうんぬん書いてましたが、先日モバイルWi-Fiを導入しました(*゜ー゜)v

しかしながら通信速度が思ったより早くないのがガッカリですた(~_~;)

モバイルなのでそこは、
目を瞑るべきなんでしょうかね(; ̄ー ̄A

ともあれ、これで心置きなく好きなアニメをみれます(☆▽☆ )キラーン

てそこ?(笑)



関東遠征道中記~福井・前編~から1ヶ月近く空いてますが、早速本題に入ります。

今回、思ったよりも話があまりに長いので中編としました(^^;)


さて福井市の中心部に入り、真っ先に向かったところが福井市立歴史博物館です。



私が福井を訪れる頃がちょうどエヴァンゲリオンと日本刀展という春期特別展のイベント期間中でしたので旅計画を企てた時からずっと楽しみにしておりました(* ̄∇ ̄*)

エヴァ好きは観なくては(。 ー∀ー)ニヤ


会場に到着したのですが、場内の駐車場が満車だった為、会場から徒歩5分の距離にある有料駐車場へと案内されました。

その有料駐車場に車を止め、早速会場へ向かうことにします。
が、まさかの展開に私の矛先が思わぬ方向へと向かってしまいました(;゚д゚)


それは、、

福井城が姿を現したからです。




堀の広さに驚きました。

昔はここに立派な城があったのだと推測が出来たからです。

私の関心はすっかり福井城へと移ってしまいお城散策がスタートしました(笑)


人それぞれ城を見るのポイントが変わってくるのですが、私の場合は城外の外観から見て入ります。

マニアックなところとして曲輪の形、石垣の高さ等々、攻城しやすい所を足軽目線で捜す感じでしょうか。

しかし、今回はそんな悠長なことを言ってられないので城内へとさっさと入ります(笑)

目の前に見えるのが福井県庁です。



城内(県庁の敷地)へと入り、まず目に入ったのがこの方。



結城秀康公です。


結城秀康といえば、、

某ゲームでは主人公を務めています。
何のゲームかおわかりでしょうか?
ヒントは蒼鬼さんです(笑)

そんな秀康は徳川家康の次男として生まれ、越前松平家の祖となります。
実際に松平という姓を名乗っていたかは定かではありません。
秀康は若くして亡くなっており、養父の結城晴朝(元茨城県結城市の大名)の手前名乗れなかったという話もあります。
正式に松平を名乗るようになるのは秀康の長男で二代目の当主松平忠直からです。

この忠直なんですが、
なかなかのくわせもので暴君とも言われるほどやんちゃなことをやらかしております。。

その忠直については後ほど紹介しておきます。

秀康は武勇に優れ家康も驚くほど威厳のある武将であったそうで、この福井へは家康の命で移り住み、そこに福井(北ノ庄)城を築きました。
当時の名は北ノ庄城といい、かつてはこの地に同ネームの柴田勝家の居城があった所でそこに秀康が新しく城を築いたのが現在の福井城になります。

※他に同ネームの城と言えば、秀吉の大坂城、家康の大坂城があります。読みで間違えやすいところとして、当時の名称は大阪(おおさか)ではなく大坂(おおざか)です。


現在の福井市は柴田勝家を祖とし、そこを整備、改良したのが結城秀康です。
秀康は34歳という若い年で亡くなり、先ほど紹介した忠直が後を継ぎました。

その忠直について、
忠直の最大の見せ場となったのが、豊臣家最後の戦い大坂夏の陣です。
そこで『かかれかかれ越前衆、たんだかかれの越前衆、命知らずの嬬黒の旗』と歌で詠まれるほど勇猛であの真田幸村をも打ち破る活躍をみせ、大坂夏の陣では徳川軍一の活躍と言われる程でした。

その恩賞が※茶器一個というのに不満を持った忠直は幕府に対し逆らうようになり、話を省きますが様々なことをやらかしております(;゜O゜)

その結果豊後(大分県)に配流された上、謹慎処分を言い渡されました。
その地にて大人しく暮らしたのだとか。。

※補足として、茶器一個といえど当時は国一国の価値があるものでした。その茶器を割ったという俗説まで存在しますが、さすがにそこまで馬鹿ではないはずだと信じております(笑)



さてさて、話を福井城散索へと戻します。

結城秀康の石像を後にし、県庁を横目に見ながら天守台へとやってきました。



この天守台ですが、二重構造となっており、この石垣の上にまた石垣があり四層五階の天守閣があったそうな。

この石垣を登ると秀康が福井城を築城する以前よりあると云われ、福井という地名の語源となった『福の井』という井戸があります。




この井戸とは別にこれまた面白い話があるのですが、福井になる前は先にもありましたが北ノ庄と呼ばれており縁起が悪い名だとされた為に『福居』と改めました。
が幕府が文書にしたためる際、何を勘違いしたのか『福井』と文書にしたためた為に福井となったそうな( ̄w ̄)

つまりは勘違いから生まれた名前が福井という地名の由来となった話もあるそうです。


その天守台を後にし、時間的にまだ大丈夫かと思い次に城外のお堀を散策しました。

個人的にお勧めの撮影ポイントはこの位置からでしょうか。





マニアック路線かも知れませんがお城は角がおいしいんです(´-ι_-`)

どこもおいしいのは間違いないのですが、角っこが好きな私なので(笑)


と途中に、作者は不明でしたが瓜と少女というタイトルの像があり個人的にツボりました(。 ー∀ー)ニヤ



これのどこが?と突っ込まれそうですが、、


更に見てますと、御廊下橋という橋が見えます。



現在は山里口御門復元の為にこのような工事が行われていました。



HPより拝借しましたが、完成図がこちらになります。



完成したらまた福井城を訪れたいものですね(〃'▽'〃)


そんなこんなで福井城を散策してましたら、既に小一時間経っていました。

お城好きはこれだから困る(苦笑)


時間的にも余裕がなくなったので急ぎ今回の目玉である、エヴァンゲリオンと日本刀展へと向かいました。

レイちゃん、マリ、アスカがお出迎えです。



か、かっこかわいい(*゜д゜*)ハァハァ

皆さんは誰がタイプでしょうか?(笑)

私はツンデレのアスカですかね(*゜д゜*)ハァハァ

アンタばかぁ?と言われて蹴られたい(ノ∇≦*)イヤン


到着早々息を切らして入場するお客は私だけでしょう( ̄w ̄)


エヴァと日本刀展会場の入り口にはエヴァ初号機が待ち構えていました。



カッチョエェェΣ((*゜ロ゜)

と、興奮しながら人目気にせず写真をパシャパシャ撮ってました(・∀・)ニヤニヤ

エヴァ初号機とお別れし、展示品を見て回わります。
展示品はエヴァで使われた武器を再現した物やエヴァに登場するキャラクターをイメージした刀が並んでいました。


見て回った中で一番良かったのはカヲル君をイメージした刀です。



かっこいい!!(*゜ロ゜)
青い鞘の模様が綺麗です!



そしてカヲル君に似合いますよね(*^^*)

何を隠そう私はエヴァの中でもカヲル君が一番好きなので( ̄w ̄)

あれ?アスカは?(笑)
女の子としてはアスカですが、カヲル君は特別です(゜∀゜)

やはり、私にはあっちの気が。。(||゜Д゜)


私の他にもカヲル君好き?のお姉さん?が何十枚もカヲルの刀を撮っているのが印象的でした(`_´;)負けた


次に紹介するのがエヴァと日本刀展の目玉であろう。
ロンギヌスの槍です。



その全長は332cm、重さは22kgとのこと。

作成過程の映像も流れており、周りの方々もその映像を食い入るように見ておりました。

私は刀匠の技にただスゴい!とばかりつぶやいてました(°°)

このロンギヌス槍の特徴として、
『地肌』という独特の模様が刀身に浮かび上がっているところにあります。



地肌は通常の日本刀にも見られるらしく、このロンギヌス槍はその地肌を強調させる為に複数の金属を層状に重ねて作られたものになります。


またねじりの部分にも匠の拘りがあり、わざと荒々しい表面にすることで躍動感あるものに仕上げたとのことでした。



写真だとわかりづらいかもしれませんが(; ̄ー ̄A


ロンギヌスの槍を思う存分堪能した後は、グッズ売り場へとやってきました。

エヴァグッズが所狭しと並んでおり、
個人的にはあれもこれも欲しい(屮°□°)屮

となりながら、散々迷った挙げ句この展示会限定という図録本を買いました。



エヴァと日本刀展の展示物の写真や説明書きも詳しく載っているので、時間がなくあまり見て回れなかった人にはうってつけのものですかね(*^ー゚)b


と、エヴァと日本刀展で満足して忘れるとこでしたが、あくまでここは歴史博物館です。
歴史好きの私が見に行かないわけには行かない!

と言いながら時間が迫る中ザックリ見て回ったせいか、あまりに印象が薄い(゚ω゚;A)

ですが、特別展示してあった大坂夏の陣での越前軍の活躍の様子や、真田幸村に関する資料などちょっとした裏話などを知れて良かったです(^^)b

真田幸村については、またのブログで書き綴るつもりでいます。



さて、時間がないないと書き綴っていましたがこの後に丸岡城へと向かう予定でした。
が、時既に16時になっており最終入城時間が16時半までだったので今回は見送ることにしました(^-^;

予定外の福井城散策が尾を引いた結果に(苦笑)


となればと以前より行きたかった柴田神社に行くことにしました。


と、いきたいところですが、
後編へと続きます(^^)/では
Posted at 2015/06/23 23:35:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一人旅 | 日記
2015年06月15日 イイね!

鈴鹿パレラン不参加についてのお詫びと現状

ブログの福井編より2週間以上も空いてますが、ご無沙汰しておりました(__;)

理由(言い訳)として、6月に入ってからというもの体調が優れず朝からめまいや吐き気、頭痛腹痛となんらヒドい有り様です(;´Д`A
慣れない環境下でのストレスからくるものだとは思いますが、、

ヒドいようなら病院にでもと考えてはいるのですが。。

行ける暇がまずない(・・;)

仕事も6月だというのに休みが週1のペースで、週末は不天気続きということもあり悪セラにも最近乗れていません_| ̄|○


その結果、、
今週開かれる鈴鹿サーキットパレランにも急遽参加出来なくなってしまい、管理人様を困らせてしまう有り様です。。

本当申し訳ありませんでしたm(__)m

また私が参加するということになっておりましたので、パレランの挨拶に来られる方もおられたのですがその方に申し訳ない気持ちでいっぱいです(。>A<。)

こちらもずっと楽しみにしていただけに残念で仕方ありません。

来年こそは参加したいですね。
その頃には仕事も落ち着いてくるとは思うので(; ̄ー ̄A


そして、更なる不運が続きます。

関東遠征道中記もまだまだ未完成だというのに6月一週経たずしてスマホのデータ通信量が上限を超えてしまい、通信速度制限を食らってしまいました。

解除する方法を知らないわけではないのですが、新たにお金をかけたくはないので。。

よって、現在もネット見るのもままならない状態にあります( ̄。 ̄;)

そんなことがあって最近はログインせず仕舞いでおりました。
みん友さんのブログ等にも顔を出せず、本当申し訳ありません。


今回はパレラン不参加というお詫びという案件も含めて、久しぶりに顔を出しました(^_^;)


あ、と近々にですが、
モバイルWi-Fiなるものを導入する予定です。
これは、ある方のセールストークにより導入を決意しました(笑)
やはり、ネットが出来ないのはツラいですし遅かれ早かれ導入するにはいい機会だと思いました。

好きなアニメもたくさんみたいですし(。 ー∀ー)ニヤ

えっそっち?
という突っ込みが来そうですが(笑)


という私情はそのくらいにしてと。。



今回急遽パレラン不参加となったこと大変申し訳なく思います。
参加出来ない分はパレランの様子を皆様方のブログで拝見出来たらなと思っております(*^^*)

よいパレランになることを祈っております(^^)ノシでは
Posted at 2015/06/15 21:15:18 | コメント(3) | トラックバック(0) | 私事 | 日記
2015年05月27日 イイね!

関東遠征道中記 ~福井・前編~

関東遠征道中記 ~福井・前編~先日関東地方で大きな地震がありましたが、皆様方は大事はなかったでしょうか?
5月1日まで関東に滞在していた私にとっては、気掛かりなニュースでした。
また、みん友の方もご無事で何よりです(´ー`)


さて、このブログ福井編も二部構成で綴っていきます。

福井県は私にとっては思い出深い地で、私の地元佐賀県にどことなく雰囲気が似ていることもあり好きな都道府県では4番目に好きな都道府県になります。

私事の話になりますが、
当時付き合っていた彼女がここ福井県の方でした。その方とは4年近く付き合っていて結婚も視野にいれていましたが、向こうの勝手な都合で突然別れを切り出され、それから5年が経ちます。
出雲に行くようになった理由もこのことがあってからです。

福井県には15回以上は訪れ、滞在日数で換算すれば100日にはなるのではないかと思います。
そして、観光目的としては今回が初めてになります。


さて、本題に入ります。

昨日(4月25日)、夜遅くに到着したこともあり予定出発時間より一時間遅れての出発となりました。

向かった先は、福井市の南東に位置する一乗谷へと向かいました。
ここは100名城の一つである一乗谷城跡があります。その麓には一乗谷朝倉氏史跡があり観光客も多く訪れます。

その一乗谷はかつて北の京都と呼ばれるほど栄えた所でした。しかし1573年、織田信長の家臣柴田勝家がこの地に進撃し、応仁の乱以降100年続いた北の京都こと一乗谷も灰となって消えてしまいました。

現在はその一部だけ、当時の一乗谷の城下町を復元した復原町という町並みがあります。
今回は時間の関係上行けなかったのですが、次回は一乗谷朝倉氏遺跡資料館と合わせて行きたいですかね(*^^*)

川を挟んで屋根がチラッと見えているのが復原町になります。




そして、この一乗谷朝倉氏遺跡の目玉であろう。
唐門(松雲院の寺門)です。



またこの唐門は江戸時代、朝倉義景の菩提を弔って建てられた唐門なんだとか。

朝倉義景とは誰ぞ?
戦国時代の越前の国(福井県)の大名で朝倉家最後の当主です。
彼は風流人と知られ、和歌や詩を詠み茶を嗜んだりするような風流大名でした。

京の文化にハマったと言うべきか(笑)
後世では『文におぼれ、武を忘れた』愚将として名が通っています。

しかしながら、彼が当主として治めていたここ越前では大きな争いごとや一揆などが起こらず戦国時代では珍しく平穏で平和であったと云われています。
それほど統治されていたということでしょうか。
戦国の世は略奪や虐殺などが日常茶飯事に行われていた世の中でしたので(||゜Д゜)クワバラクワバラ

そんな彼の性格は、絶対的な場面で判断を誤ったり決断を渋ったりと優柔不断な性格でした。
それが仇となり、家臣の離反が相次ぎ最後は家臣(従弟の朝倉景鏡)の裏切りによって討たれてしまいます。
下剋上の戦国の世とはいえ、従弟に討たれてしまうのはどうかと(`_´;)


話を戻します。
この唐門の奥が朝倉義景館があります。





現在は屋敷の礎石しか残っていませんが、義景の生活の場がここにあったと想像ができます。
中庭には花壇があったとされ、日本庭園のような風流ある庭もあったとのこと。
風流な義景らしい屋敷だと思いました。


その屋敷の端の方に朝倉義景公の墓所があります。



屋敷の裏手には一乗谷城跡のある山があるのですがその城への登城口がわからず、時間もなかったので結局朝倉義景館跡周辺を散策して次なる場所へと向かいました。


その場所は兼ねてより行きたかった一乗滝です。

到着して、出迎えてくれたのがこの方!



佐々木小次郎です。

巌流島で宮本武蔵と決闘した、あの佐々木小次郎です。
この滝で佐々木小次郎の必殺剣である『燕返し』を編み出したと云われています。



近くでみるとカックイイですね(*゜ロ゜)




何とも凛々しいお顔!(*゜д゜*)

なのか?(笑)

ちょっと冴えないお顔なのが残念ですが、、
もうちょっとイケメンに・・・
いや、何でもありません(゚ω゚;A)

その燕返しとはどんな必殺剣だったのか?
あくまで推測での話にはなりますが、、

はじめに佐々木小次郎の得物といえば物干し竿という長刀です。その長さは1メートルもの長さがあったとのこと。
常人には振り回すのが難しいであろうその長刀を自由自在に扱い、その上予測不可能とまでされたのがこの燕返しという必殺剣でした。

燕返しはどんな必殺剣?
ワザと相手に隙をみせるかのように斜めに切り下ろす袈裟切りから入り、長刀が故に間合いをとってかわした相手が隙あり!と踏み込んで来たところに刃を反転させて切り上げるという二段攻撃であったとされています。
実にカックイイ必殺剣ですね(*'▽'*)

その予測不可能と言われた必殺剣も宮本武蔵には効かなかったわけですが。。

この話はまた機会があれば語ります(笑)


さて、話を戻します。
佐々木小次郎の銅像とお別れして見えてきたのが、一乗滝です。



結構な水量があり、水しぶきがすごかったです。

マイナスイオン放出((((*゜▽゜*))))

なんて感じられるものでもなかったのですがね(笑)

ただ涼しかったです(*´ー`*)

私も佐々木小次郎にあやかって滝の前で燕返し!とやりたかったのですが、子供に痛い視線を向けられていてしようにも出来ませんでした(`_´;)

ちなみにこの近くに小次郎公園?という公園があるのでここは家族連れが多く訪れるところになります。
ですので私はいい的だったのでしょう( ^∀^)ケラケラ


そんな一乗滝を後にして、今回のメインである市内へと向かうことにしました。


後編へと続きます。。
Posted at 2015/05/27 23:30:50 | コメント(1) | トラックバック(0) | 一人旅 | 日記
2015年05月21日 イイね!

関東遠征道中記 ~出雲大社参拝編~

関東遠征道中記 ~出雲大社参拝編~出雲大社へと向かいました。


ここからはあまり知られていない?出雲大社の正しい参拝順序も合わせて紹介していきたいと思います。

テレビの受け入り知識なのですが( ̄w ̄)


はじめに、出雲での拝礼の作法は二礼四拍手一礼です。
なんでも手を四回合わせることで魔を封じ込めるという。。
はないとして、四と幸せと掛けて幸せを呼び込むようにそうなったのだとか。

※手を合わせる際は、シワとシワを合わせるのではなく手をずらして手を合わせます。


それでは上記を踏まえて、参拝へ参ります。

出雲大社の二の鳥居と言われる勢溜の鳥居です。
ここが出雲大社の参道の入り口となります。



※鳥居をくぐる際は鳥居の真ん中を歩いてはいけません。端の方を歩いてくぐります。なんでも神様がお通りになるからだとか。
また、鳥居をくぐる際は神様に対し頭を下げて通るのがマナーとなっています。


二の鳥居をくぐると全国的に珍しい下りの参道となっています。
その参道の途中に祓社という小さな社があります。



ここで心身の汚れを祓います。




この祓橋を越えると、三の鳥居です。



三の鳥居または鉄の鳥居と言われています。
なお三の鳥居より先は神様が通る道となっていますのでその中央を突っ切ることが出来ないようになっています。
※松の根っこを保護する為とありましたが(^^;)

三の鳥居をくぐり舗装された松の参道を通ります。
三の鳥居をくぐらずに松の参道に直行する方もいらっしゃいましたが、くぐるのが正しい参拝順序となります。

この松の参道は左右に分かれていますが、私は左の参道を通りました。

左の参道の途中に可愛らしい白の兎のオブジェクトがあります。



出雲の白兎とありました。
何故出雲大社に兎が?と疑問に思った方もいらっしゃると思いますので後程お話しします。

このオブジェクトがある敷地には縁むすびの碑という石碑がありました。



二人の神様が夫婦の契りの盃を交わされ永遠の縁を結んだという。

永遠ていい響きですね(^^)
私も永遠の縁を誰かと・・・


松の参道に戻り道なりにしばらく行くと、だいこく様という像が見えます。



だいこく様またの名を※大国主神(おおくにぬしのかみ)といい、ここ出雲大社で祀っているのがこの大国主神です。

※大国主神の名前がコロコロと変わっているためにこのブログでは混乱を避ける為に大国主神に統一して綴っていきます。

余談として七福神の大黒様(大黒天)と大国主神は全く別の神様でした。が音の読みが同じということもあり室町時代より同一とみなされるようになったとのこと。


だいこく様の像の下にまたしても兎が。。

この話は神話の一説にあります。
因幡の白兎という話をご存知でしょうか?



知らない方の為に書いておきます。
舞台は※島根県の隠岐の島だと云われています。
※これには諸説ありますが、、
ここでは、おきの島と表記しておきます。

このお話は、私なりに解釈したお話となるので多少物語が違うかも知れません。指摘等は大歓迎です(^∀^)


時は神々が住んでいた時代、おきの島という島に白兎(以後、兎さん)がいました。

兎さんは元々本州の兎さんで何かの使命を受けて間もなく洪水に巻き込まれおきの島に流されたのだという。

兎さんは使命を果たさなければ・・・
との思いでどうやってこの海を渡って帰ろうかと考えます。

兎さんは、奇天烈な発想でサメを騙し海を渡るという何とも危ない橋を渡ることにした兎さん。

どうやらこの兎さん賢くはないらしい(笑)

サメもまんまと兎さんの嘘に騙されサメの危ない橋を渡ることに成功した兎さん。
本州に帰ったという安堵感から騙して渡ったことをサメの前で暴露してしまいます。

どうやらこの兎さん命は惜しくないらしい(笑)

騙されたことを知ったサメは兎さんの毛をむしり取り丸裸にしてしまいました。

何故兎さんは食べられなかったのか?
古来より兎は聖獣とされていた為に、サメは罰を恐れ食べなかったのだとかなんとか(笑)

兎さんは泣きわめきました。

とまあ、自業自得な結果なんですが、
例え嘘をついたとしても自分の心の内にしまい込みましょう。しまい込むのも勇気の一つです。
この兎さんに教わりました(謎)

そこに旅(八神姫という超美人さんを追い求める旅)をしていた大国主神の異母兄弟の※性悪な神様達に遭遇します。

事情を聞いた性悪な神様達は兎さんにこう言います。
「海水で身体を洗って風当たりのいいところで寝れば治るよ」
と教えました。
そのことを真に受けた兎さんはその通りにします。

普通に考えればわかることですが、フォローをすれば兎さんは神様は嘘を付かないと信じていたのでしょう。

当然治るどころか痛みが増し更に傷が酷くなってしまいました。

まさに傷口に塩です。
効果はバツグンだ((((;°Д°)))

痛みで悶え苦しんでいるところに性悪な神様達に遅れてやってきた大国主神が登場します。
苦しんでいる兎さんの話を聞いた心優しい大国主神は次のように言いました。
「さぞかしお辛いことでしょう。早速川へ行って真水でその身体を洗い流してください。次にがまの穂をすりつぶしその上に寝転んでください。そうすれば元通りの姿に戻れます」

いくら騙されても神様は嘘を付かないとまだ信じている兎さんはその通りにします。

するとどうでしょう。。
傷がみるみる癒え、元通りの姿になりました。
兎さんは大国主神に感謝しました。
兎「さっきは助けて頂きありがとうございました。あなた様(大国主神)は心優しき神様です。あなた様は兄弟の中で一番みすぼらしい格好をされていますが八神姫と結ばれるのはあなた様です」
という予言?を言い残し兎さんはどこかに行ってしまいました。


この兎さん実は、、 


八神姫の使いの兎さんだったのでした\(°o°;)/

この話の概要として、大国主神含めこの性悪な神様達(異母兄弟達)と八神姫を求めて旅をしている最中に泣いている兎さんと出会いました。
兎さんに託された使命は、八神姫に相応しい結婚相手を見極めることでした。
その中で的確な答えを出してくれた心優しい大国主神を選んだということになります。

この兎さんの甲斐あって?大国主神と八神姫は結れることになります。
がハッピーエンドにはなりませんでした(゚ω゚;A)

この話の続きは機会があれば話たいですね(; ̄ー ̄A


※性悪な神様達について

神様達の達とつけているのは、大国主神の兄弟が80人いることからです。
性悪なという表現をしたのは、他でもなく大国主神を忌み嫌ってイジメたり殺そうとしたり本当にゲスい神様達だからです。
兎さんのくだりでもヒドいことを言ってましたしね(`Д´)

ここでだいこく様の銅像の写真を再度見ていただきたいのですが、だいこく様が大きな袋を背負ってるのがわかるかと思います。
この大きな袋は性悪な神様達の荷物(旅行バック)です。
また大国主神にみすぼらしい格好をさせたのもこの性悪な神様達です。

本当にゲス過ぎて、性悪な神様達という表現にしました。


以上が因幡の白兎の話です。

何故出雲大社に兎が?というのは因幡の白兎の話が元になったからです(^^)


さて、話を戻します。

だいこく様の像より松の参道を挟んだ反対側にムスビの御神像があります。



幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)というみたまを授かり、これにより縁結びの神様となられたのが大国主神になります。

このムスビの御神像の所でと同じポーズ(両手を空に広げる)をするとご利益があるのだとか(*'▽'*)

私ももちろんしましたが(笑)


松の参道の左側に手水舎(ちょうずや)があります。
そこで手を清め口を清めす。


手水舎の次に四の鳥居をくぐるのですが、その手前の方に神様の乗り物と云われる神牛、神馬の像があります。



なんでも神牛を撫でると学力がアップすると言われ、神馬の鼻を撫でると子宝に恵まれ安産出来ると言われているそうです。

像を見てもわかるとおり鼻のところが色落ちしていますよね(・・;)

私はというと、神馬を撫でました(笑)
子宝・安産と聞くと対象は女性のようですが、、

私の場合は、、
馬と上手くを掛けて何事も上手くようにと念じておきました(゜∀゜)
神馬にそのように念じていいのかはわかりませんが・・・(笑)


神牛、神馬の像の次は四の鳥居またの名を銅の鳥居といいます。
ここは最も古い銅の鳥居と言うことで国指定の重要文化財となっています。

その四の鳥居をくぐり抜けると正面に御拝殿(御仮殿)が見えます。



まずはここで神様にご挨拶をし、本殿へと向かいます。

※お参りをする際の注意点として、賽銭を投げてお願い事をするのが一般的だと思いますが、神様はそんな都合よくは叶えてくれません。
正しくはどこどこに住むだれだれというように神様に自己紹介をします。次に神様に対しての感謝の言葉を言います。最後にお願い事です。


御本殿の正面になります。



しかし、この方角(南)は神座がある方角ではないとのこと。

写真は撮っていませんが、この御本殿を左周り(西周り)にみていきますと、神座に向かった拝礼所があります。

そこで再度拝礼をします。
以上が、正しい参拝順序となります。


更に左周りに見て回っていきますとまた白兎のオブジェクトがみえてきます。



本を読んでる兎さん手を合わせている兎さん等もいて可愛いですよ(*'▽'*)


御本殿の東側には素鵞社(そがのやしろ)御仮殿があります。



※本来は御本殿の裏側に祀られていましたが、現在は修復中となっていたのでここに祀られています。

ここも隠れたパワースポットなんだとか。

御祭神は八岐大蛇退治で有名な素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。
大国主神の義父にあたります。


最後に大きなしめ縄で有名な神楽殿を見て帰りました。
ここは結婚式も執り行われる場所です。

私が訪れた時も丁度、結婚式が執り行われていました。



ここでの挙式なんて羨ましいですね(*゜д゜*)
私もそのうち・・・



出雲大社参拝は以上となりますが、最後に国譲りの話をして終わりたいと思います。


因幡の白兎よりだいぶ後の物語です。

素戔嗚尊が義父だと紹介しましたが、この素戔嗚尊に娘と共に国づくりをするようにと託されます。

それからの物語になります。

神々の時代、この世界は天上界(高天原[神々が住む世界])と地上界とで分かれていました。 

地上界を代表とするのが大国主神です。

天上界の大神様(天照大神)は地上界も天上界の神々(天照大神の子)が統治するべきだとお考えになりました。

そこで地上界の大国主神の元に使者を送ります。
が、あろうことかこの使者は大国主神の人柄に惚れて地上界に住むようになりました。

使者が帰って来ないことを不思議に思い再度新たな使者を送ります。
が、またあろうことか今度は大国主神の娘に惚れ込んでしまい地上界に住むようになりました(笑)

なんだこのモテモテ一族は( ̄w ̄)

いくら待っても使者が帰って来ないので、痺れを切らした大神様は力ずくで国を奪うことにしました。
天上界で一番力の強い神を引き連れて降臨したのが、稲佐の浜です。

ここで国譲りをかけた勝負をします。

が、負けてしまいました。

国を譲る代わりに大国主神は大きな神殿をこの地に建てて欲しいと願い出ました。

その神殿こそがこの出雲大社です。


後が宜しいようで(*^^*)メデタシメデタシ



この日の走行ログになります。



時間にして約11時間でした。


次回のブログは、福井編となります(^^)ノシでは
Posted at 2015/05/21 23:03:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | 一人旅 | 日記
2015年05月19日 イイね!

関東遠征道中記 ~島根・出雲編~

関東遠征道中記 ~島根・出雲編~これからのブログは関東遠征道中記となります。

4月25日ここ山口県を出発し、観光しながら下道で移動し4月29日関東(群馬、栃木県)に到着しました。
ここまでの道のりは実に1300kmに及ぶ道のりでありました。
この数字だけみれば長い道のりのようにも感じられますが、観光しながらの移動でしたので長いとは感じませんでした。

さて、ここで疑問が生まれます。
関東遠征から帰っての総走行距離が3500kmでした。往復で計算しても2600kmです。
空白の900kmはなんだ?となりますよね(^^;)

全て関東で費やした距離数になります(・・;)
我ながらよくもまあ、あっちこっち走ったなと( ̄w ̄)

考えてみれば関東で給油した回数が実に5回もあったことに驚きです(||゜Д゜)



前置きはこれぐらいにしてと。。

本題へと入ります。

関東へと向かう道中で立ち寄った最初の都道府県といえば、島根県です。
まあ、山口のお隣なので行こうと思えば行ける距離なんですが(笑)

さて島根県と言えば、縁結びで有名な出雲大社がありますよね!


実は私、
好きな都道府県でこの島根県がベスト3に入る都道府県なのです(^^)

だったら島根に就職して住めよ!はなしでお願いします(笑)

島根県は何といっても日本神話の始まりの地です。

日本神話は創作や捏造だと言ってしまえば、そこで終わってしまうのですがロマンは持つものです。
そこにロマンがあるかないかが大事ではなく、ロマンは追い続けるものだと私は思っているからです。


話が逸れましたが、島根県で立ち寄ったところは出雲です。

まずは、
神様が降り立つと云われる稲佐(いなさ)の浜から行きました。
出雲大社に来る神様の玄関と呼ばるところで、国譲りという神話で有名な海岸です。



正面に見える岩は弁天島と呼ばれている島です。
岩ではなく島です(笑)

どうみても砂浜の上に乗っかってるようにしかみえないですが‥

昔は海の上に浮かんでいたそうな(^^)

※補足として
地元の方の話によれば20年以上前までは海の上にあったそうです。稲佐の浜保護の為に堤防が築かれたことにより砂が集まり現在のように陸続きとなったとのことでした。


また、ブログのトップ画はここで撮りました。

ここはパワースポットとも知られているので観光客も多いです(゜Д゜;)
パワースポットブーム前はこんなに人はいなかったんですがね(°°;)
ていう私は九州出身ながらにこの稲佐の浜には5回は訪れています。

ちなみに出雲大社は4回です(;・∀・)

ここを初めて訪れたのが今から5年近く前になるので毎年のようにここに来ている計算になります。
理由として、この浜に来ると不思議と気持ちがリフレッシュするんです(*^^*)

その前に何かあったのか?と突っ込まれそうな(;´Д`)


稲佐の浜を後にし、昼過ぎということもあったので出雲大社前の神門通りをブラブラしました。

と言いますか、、
行き先は決まっているのですが(笑)




それはここ、日本ぜんざい学会壱号店というお店になります。
ここ出雲がぜんざい発祥の地ということでこのお店がその壱号店という所です。

ぜんざい発祥というだけあってぜんざいのメニューが豊富です(*゜ロ゜)

私はというと、
縁結びぜんざいを注文しました。
出雲大社に来る度にこの縁結びぜんざいを頂くのが私です( ̄w ̄)



焼き餅を焼くほど仲がいいという意味合いが込められた紅白焼き餅が入ったぜんざいになります。
写真ではわかりづらいですが( ̄。 ̄;)


ぜんざいの起源の話ですが、
元々は出雲地方で執り行われている神在祭で振る舞われていたのが『神在餅(じんざいもち)』でした。
それが出雲の方言で訛って『ずんざいもち』となり『ぜんざい』となったそうな。
ちょっと無理があるような(`_´;)

そのぜんざいが京都に伝わり今日のぜんざいがあります(*^ー゚)b


ちなみに女性客が多いです(笑)
女性客が多いなか野郎一人で縁結びぜんざいを食べるのが珍しかったのか視線が痛かったです(苦笑)

当の私はもくもくと食べて早々と出ました(。>A<。)

ぜんざいでお腹いっぱいになったところで出雲大社へと参ります。


・・・
といいたいとこですが、出雲大社参拝への文章が長々となってしまいそうなので一度切ります(^^;)


さて、
次回は出雲大社参拝へとなりますが、せっかくですので出雲大社の正しい参拝順序も紹介しながら綴っていきたいと思います(^^)ノシでは
Posted at 2015/05/19 23:00:41 | コメント(2) | トラックバック(0) | 一人旅 | 日記

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「@銀ハル 当たったら何をされるんでしょうか(*゜д゜*)ハァハァ」
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