日刊スポーツ記事抜粋
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ついにメダルに届いた! 80年ぶりに歴史を動かした。男子400メートルリレーで日本が38秒15で銅メダルに輝いた。トラック種目では1928年アムステルダム五輪女子800メートル銀メダルの人見絹枝以来80年ぶり2度目の表彰台。今季で現役を終えるアンカー朝原宣治(36=大阪ガス)が花道を飾った。1走の塚原直貴(23)、2走の末続慎吾(28)、3走の高平慎士(24)がつないだ魂のバトンで、現役生活最後の夢をつかんだ。
走った。朝原が。夢へと。9年前に足首を骨折した左足で。36歳の今も衰えを知らない右足で。右腕をちぎれんばかりに振った。左手には、4人の思いが詰まったバトンを握りしめた。愛する家族の声にも背中を押され、胸を突き出した。つんのめるようなフィニッシュ。瞳の先に映ったのは…2人の背中だけだった。
夢なのか? 確かめたくて、電光掲示板を見上げた。3位の位置に「JAPAN」の5文字が出た。バトンを北京の夜空へ放り上げた。トラックに散っていた仲間たちと抱き合った。泣いた。「鳥の巣」が涙にゆがんだ。日の丸に身をくるんだ。歓喜の“ウイニング・ウオーク”だ。38秒15で駆け抜けた400メートルを戦友たちと1歩1歩、踏みしめるように歩いて回った。
朝原 最高の舞台で最高に気持ちよかった。夢の中みたい。日本が世界と戦えることを証明できた。
人見絹枝がアムステルダムで銀の輝きを放ってから、2万9240日。トラック種目では80年ぶりのメダルだ。男子では史上初。1912年に三島弥彦が短距離3種目に挑戦して以来、96年かかってやっと成し遂げた悲願の表彰台だった。
「朝原さんにメダルを」がチームの合言葉だった。07年世界選手権の決勝直前。ウオームアップを終えた4人は円陣を組んだ。末続が「朝原さんにメダルをあげるぞ!」と叫んだ。アジア記録を出したが、結果は5位。朝原は引退を撤回して、最後の五輪に夢をかけた。1走の最年少塚原は怖いもの知らずの走りで日本を勢いづけた。2走の末続は200メートル予選惨敗の屈辱をぶつけた。3走のムードメーカー高平も髪を振り乱し、3位でバトンを託した。仲間のため、自分のため、朝原は走った。
朝原 夢のようなというか、漫画のストーリーみたいというか…。最後の五輪で、こんな結果で走れるとはね。こんな興奮や喜び、もう味わえない。
世界を相手に“仕事”をするのが夢だった。幼いころのあこがれは通訳かツアーコンダクター。「世界を飛び回る仕事がしたい」。夢野台高1年で陸上を始めた2年後の90年、アジアジュニア選手権で訪れた北京が初めての海外だった。走り幅跳びで2位に入り、銀メダルをもらった。「日本との違いがカルチャーショックを受けて、ますます『海外はいいな』と思えた」。あれから18年、スパイクを片手に地球を旅した。ドイツや米国に拠点を置いたこともある。世界を飛び回った末に、原点となった場所で悲願をかなえた。
完全燃焼した36歳は、もうすぐ1人のパパに戻る。シンクロで92年バルセロナ五輪銅メダルを手にした妻から遅れること16年、やっと肩を並べた。もう思い残すことはない。大仕事を終え、最高の気持ちでトラックを去った。
この銅メダル、素直に感動しました。
短距離は弱いと思われがちな日本の陸上が銅メダルは快挙でしょう。
朝原選手は私が中学のときに陸上をやっていた頃から有名だったので、10数年間、日本のトップランカーを務めていたのですよね。
この大会で朝原選手は引退とのことですが、最後に銅で締めくくれて思い残すこともないのでは!?
お疲れ様でした♪
そのうち、日本からも9秒台で走るランナーが出てきてくれたらと期待をもって次のオリンピックも楽しみにします。
Posted at 2008/08/23 11:30:41 | |
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