震災後ほぼ毎日避難所に居ます。
はじめの避難所で起きた出来事です。
私たちはどこの人であれ、避難してきた人へは平等に避難所に入っていただきました。福島からおいでになった方達にも、当然入っていただきました。
ある日、一人の上品なおばさまが私たち係員に近寄ってきて言った言葉に愕然としました。
「あの人たちは福島から来た人?服に放射能が付いてるんじゃ無いの。あのままじゃ私たちまで被曝しちゃうじゃない。服脱がせなくていいの?」
当然、その必要はないこと。避難所は平等に避難民を受け入れる旨説明しましたが、近所の人と思われる人たちに耳打ちをして、数人出て行きました。
そのいきさつを見ていた福島からのかたは気まずかったことでしょう。
こりゃ、まずいと思い、速攻上司に電話し、避難所で起きようとしている「差別」についての問題提起をしました。
上司も私と同じ考えを持ってくれ、「上と対策について検討する」と力強い言葉をいただきました。
その間もぞくぞくと福島からの避難民は増え、避難所の半分が福島の人になりました。中には双葉郡からの避難者も居ました。
私が担当する時間も終え、本部に戻り上司に「例の件どうなりました?」と聞いたところ・・・涙目で・・・
「うちは、福島県民の受け入れは行わない。福島県民が避難所に来た場合にはその旨説明することになった・・・」と。
上司はもう・・・激怒ですよ、おいらは脱力・・・何もできない組織、行政が行う「差別」という行為にもう、涙が出ました。
上司は私には本音を言ってくれましたが、他の部下には、そういうことになったからやらなきゃならないと強い口調で・・・そういうことを部下にさせさければならないことが切なかったことと思います。
代替え案もなく、ただ、ここから出て行けと・・・。
うちは、その状況が約12時間続き・・・翌日にやっと福島の人用に避難所ができました。(福島の人用っていうのもどうかと思うけど)
ただ、避難所に入る前には保健所で所定の検査を受けなきゃならない。
その保健所もやってる時間が「8:30~20:00」まで。
20時過ぎについた人は最初についた避難所の「駐車場」で夜を過ごせと。
もうね・・・こういうところに産まれたのをこれだけ後悔したことはありませんでした。
はじめに「福島からの住民の受け入れ」を県が打ち出していたにもかかわらず、何の手立てを打たず、市町村の避難所に被災者が入ってきてるにもかかわらず、彼らになんおフォローもできない・・・本当に申し訳ない気持ちになりました。
いち早く茨城は復興して、福島の皆さんの復興のお手伝いをしたい。
原子力政策の転換は余儀なくされると思いますが、原子力発電所がある以上放射能に対する正しい理解が必要なことを認識しなければいけませんね。
あまり、過剰反応することは、風評被害につながるので冷静に対応しましょう!
この記事は、
私たち被災者・避難民は、病原菌じゃないぞ!@私だけ「いわき市」に戻ったについて書いています。
Posted at 2011/03/21 20:43:46 | |
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