2012年12月09日
某サイトで、見つけた物をコピペさせていただきました。
本田宗一郎さんの目的は、
それを使う人の為に、バイクや車を作っているんで す。
ここが大事なんです。
「乗る人のために」
そんなのあたりまえじゃないかと思うじゃないです か。
でも、会社としての利益を優先するあまり、
これがなかなか出来ない会社が多いんです。
大切なことを忘れてしまう会社も多いんです。
本田宗一郎さんの目的とはなんだったのか。
本田技研のエピソードを紹介します。
(本田技研のホームページより)
『製品に対しては、あくまでも親切であれ』
最初の製品から、それは実行されていた。
「お客さんに迷惑をかけるようなものをつくるな! 」
は、ここへ勤めた時から、イヤというほど、おやじ さんから始終聞かされていました。
モノをつくる時には、それと一番長いこと付き合わ なきゃならない人のことを考えろと。
一番長いのは、お客さんだろ。
その次は売った店の修理工だろ。
その次が、ウチの工場の人間だ。
つくった本人のくせに、一番短いのは設計者だ。
ずっと使う人の身になって考えたら、不親切なモノ なぞ設計できねえはずだ!
と、おやじさんならではの言い方でね
と、河島はじめ、当時のだれもが口をそろえる。
エントツエンジン再生の時、
姉妹エンジンであるA型を詳しく観察した恩田は言 う。
びっくりしちゃいましたよ。いろんなところに、
いわゆる親切設計がしてあるんです。
それに気付いたのは分解した時で、
あれ?このエンジン、ナット外しても、どこからも 部品が落っこちないぞ、
おかしいなぁ?って。
例えば、クランクシャフトや減速機のベアリング部 ロックナット、
つまり、回転体を締め付けるネジなんですが、
これがもし緩んでも、すぐにはトラブルを起こさな い構造にしてある。
ネジが完全に脱落しないか、
脱落してもすぐには壊れないような工夫がしてある 。
具合がおかしいぞ、と気が付く間ぐらいは保つよう になってるんです。
安全性への気づかいですね。
あのころはネジの精度が低い時代で、
ナットなんかいくら締めたって緩むものと決まって た。
だから、こんな工夫をしたんでしょうね。
メンテナンス性にも、同じように細かな心づかいが してあった。
今みたいに専用特殊工具が用意されてないから、
修理する人が困らないように、
特殊工具なしで分解・組立ができる工夫がされてる 。
これも結果的には、お客さんへの親切です。
(ここまで)
ここまで使う人のためを考えて作られていたんです 。
こんな話もあります。
当時、資本金が600万の時に、
なんと4億円もする機械をアメリカから購入したん です。
資本金が600万の時にですよ。
当然、社員は大反対です。
会社が傾くほどの金額ですから。
それでも本田宗一郎は購入したんです。
その理由がすごいんです。
「この機械は日本に必要だ。将来、日本が発展する ために。
会社はつぶれるかもしれないが、機械そのものは 日本に残る。
それは必ず日本の産業界に絶対に必要だ」
と言って購入したんです。
目的が日本のためなんです。
スケールが違います。
ところが、その機械を社員が壊してしまいます。
壊した社員は、宗一郎さんの思いを知っていますか ら
大変なことをしてしまったと思うんですね。
怖くなって逃げ出したかったけど、言わないわけに いかないから、
宗一郎さんのところに言いに言ったんです。
「社長、すいません。機械、壊してしまいました」
ってビクビクしながら言ったんですって。
そしたら、「ケガはないか」って宗一郎さんが言う んですって。
「社長、4億の機械を壊したんです」
「うん。ケガはないか」
「いや、社長、4億の機械を壊したんです」
「うん。だからケガはないか」
社員は社長に事実が伝わっていないと思って、
そのやり取りを繰り返したそうです。
すると本田さんは、
「機械が壊れたのは分った。それで、お前に怪我は ないのか」と。
社員がケガはないというとそれは良かったと嬉しい 顔をしたそうです。
本田宗一郎という人は凄く厳しい人だったけど
人が集まってきたのは、こういう人柄だったからで しょうね。
青山本社ビルの建設の話も凄いですよ。
世界企業になったホンダだから、本社も全面がガラ ス張りの
凄い高いビルの設計図を宗一郎さんに持って行った 時に、
凄い怒られたらしいんです。
もし地震が起こったら、ビルの下を歩いている人が
どうなると思っているんだと。
そこまで考える人だったんです。
もし地震になって下敷きになることがあっても
周りのビルも全部倒壊しているんだから
ホンダに文句を言ってくる人なんていませんよ。
それで、いまでも青山に本社ビルがありますが、
これがそうなんです。
(そこには、最小限に窓ガラスがあり、地震があっ てもガラスが 落ちないように会社なのにベランダが設置された ビルでした)
ベランダを作ったらもの凄いコストが掛かるんです 。
さらに、角が丸いでしょ。
交差点に高いビルが立っていたら、ただでさえ見通 しが悪いのに、
さらに悪くなるという理由で角を丸くして、
敷地内いっぱいに建物を建てるのではなく、
奥に引っ込めてビルを建てたんです。
これ、もの凄くもったいない建て方なんですって。
宗一郎さんって、そういう人だったんです。
ホンダはやがてアメリカに進出します。
アメリカでホンダのバイクが安くて良品だというの で市場で人気が出ました。
その当時、アメリカでバイクのシンボルだったハー レーが
倒産の危機におちいったそうなんです。
その話を部下から聞いた宗一郎さんは、なんと言っ たと思います?
「ハーレーはアメリカ人の魂だから絶対につぶすな 」
と言ったんですって。
そして、水面下でホンダはハーレーに技術提供をし ていたそうなんです。
そして、ハーレーは蘇ったらしいんです。
これ、凄いことですよね。
本田宗一郎さんが親に教えてもらった一番大切な言 葉とは、
「人に迷惑をかけることだけはするな」
だったんです。
これが親からの最大の贈り物と言っています。
そんな人でしたから、生前に俺が死んでも葬式はす るなと。
近隣の人たちに迷惑がかかるから、葬式はしなくて いい。
その代わり、世界中の新聞に
「ありがとうございました」
と出してほしいと言っていたそうです。
その原文がこれです。
【皆様のおかげで 幸せな人生でした どうもあり がとう 本田 宗一郎】
新聞を見てみると故人の意志で、葬式・お通夜・弔 電・献花一切なしという
前代未聞の対応が書かれていました。
「自動車を作っている者が大袈裟な葬式を出して交 通渋滞を起こすような
愚は避けたい。もうすぐお迎えが来るが、何もする な」
生前、こう言っていた宗一郎さんの言葉を忠実に守 った「通夜」は
むしろ清々しいほどだったらしいです。
「お礼の会」として3日間ずっと宗一郎さんの遺影 と今までのホンダの歴史を
飾った初期のオートバイと自動車が展示されていた そうです。
でも、渋滞はあったようです。
それもそのはず、3日間で延べ6万2000人の人 が訪れたそうです。
世界中から。
社長引退から20年以上の月日が経過していたのに です。
人の為にバイクや車を作って、世界中の人に感謝さ れ、
そして自分も、心から周りの人に感謝しながら亡く なっていった。
こんな幸せな人、いないじゃないですか。
信頼や感謝はお金では買えません。
この人のためならという人がたくさんいたから
ホンダは世界的企業になった。
すごい感謝されているんですよ。
人として、ものすごくカッコイイ人生の最後じゃな いですか。
世界中から人が本田宗一郎のために集まってきたそ うです。
以上。
確か最初に、作ったバイクは奥さんの買い物が大変だから少しでも楽になれば、と、思って作られたんですよね。
人を思うもの作りイイネ!
(GDフィットのジャダーをリコールにしてくれれば良かったのに……ボソッ)
やっぱりホンダはイイネ!!フィットもサイコーd(⌒ー⌒)!
Posted at 2012/12/09 10:07:36 | |
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