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2022年06月11日 イイね!

戦争の変遷 マーチン・ファン・クレフェルト著

戦争の変遷 マーチン・ファン・クレフェルト著多くの評論家や専門家も参照していると言う名著の呼び声も高い一冊でウクライナ侵攻で慌てて取り寄せたものの、最近買う本のどれもが5~600頁ある本ばかりでなかなか読み進められませんでしたが、ようやく読了。

著者のマーチン・ファン・クレフェルトは軍事史を専門とする歴史学者、軍事学者。

本書のテーマであるクラウゼヴィッツは18-19世紀のプロイセン軍、ロシア帝国軍でナポレオンと戦った軍人ですが、著書「戦争論」において近代戦争の戦争概念を著した事で孫子と並び称される軍事理論家であり、戦争は国家、軍隊、国民が「三位一体」として行う政治目的を達成する為の手段という現代の国民国家にも通じる概念を打ち出しました。

クレフェルトもクラウゼヴィッツの「戦争論」を評価しつつ、現代的な視点から批判を加える意欲作となっています。

本書がソ連邦崩壊前夜の1990年に執筆されていた事を考えると、今後はクラウゼヴィッツが言う「三位一体の戦争」は鳴りを潜め、地域紛争やテロなどの低強度紛争が主流になるだろうという慧眼には驚くべきものがあります。

将来の戦争は「山岳に隠れた老人」が指導するだろうという件はウサマ・ヴィン・ ラーディンそのもので後から加筆されたのではないかとすら思えますが、当時の中東情勢などからそのような指導者がゲリラ戦を指導する姿が見えていたのでしょう。

一方で「国家」が行う理性的な戦争というものは溶融して低強度紛争にとって代わられ、国家という概念や軍隊を構成する強力な破壊力も過去のものとなり、将来世代の人から現代人を見れば野蛮過ぎて寒気がすると形容されるだろうと言っています。

本書が著されてから30年が経ちますが、国家が無くなる兆候はなく、むしろ分離独立闘争が成就されれば新たな国家が樹立される事を考えれば、少なくとも百年単位で物を見据えているようです。

戦争を構成する要素は「国家」「軍隊」「国民」以外にも意思なども重視しており、更に女性が戦闘に参加すれば「戦争」という概念は終わると主張しています。

それは戦争と言うのは男が英雄である場所であり、女性もそんな英雄たる男の庇護を求めて来たものであり、男の聖域が無くなれば、少なくとも「戦争」はもはや人々が熱狂する事はないだとうという事です。

このあたりは作者の反フェミニスト論も影響しているようです。

また戦争目的は必ず「論理的」なもので「功利」のみで語られるものではないという主張も、今般のウクライナ侵攻で正しさが証明されたように思います。

まさかこれまで数々の西側指導者とやり合ってきた海千山千のプーチンがピョートル大帝を持ち出して他国侵攻を正当化するなど誰が想像したでしょうでしょうか。

他にも生存を掛けた戦争という観点で防衛戦争についても語っています。

残念ながら西洋戦争史が中心で東洋や日本については太平洋戦争で軽く登場するに留まっていますが、近代の戦争に係る国際条約や博愛の精神はまさに欧州で生まれたものであると言えるでしょう。

戦史研究と言うと、特に日本においては「戦争好き」「人殺し」「歴史修正主義」など共産党のプロパガンダがまかり通っていますが、ウクライナ侵攻や懸念される台湾有事を考える時、国際情勢の変遷に則した兵器についての研究は国難に際し必ず必要となる事が証明されました。

兵器の事を考えない、或いは知らないでいる事が戦争を遠ざける事にはならないのですから。
Posted at 2022/06/11 23:58:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2022年05月29日 イイね!

戦争とは何か

ロシアのウクライナ侵攻を機に、日本でも防衛費についての議論が理念と言うよりは現実的な問題として取り上げられるようになりました。

「戦争」とは何でしょうか。

軍隊と軍隊が戦場で交戦する、こんな事がイメージされるかと思いますが、ウクライナ侵攻のような主権国家間の戦闘行為に留まらず戦争の形態は多様な物になります。

近年は核戦力による「恐怖の均衡」により全面戦争や国家総力戦の危機は遠ざかっていましたが、逆に戦争と言う程の規模にはならない「低強度紛争」ばかりが問題視されてきましたのでロシアのウクライナ侵攻は「軍縮」が進められ、戦争の脅威が遠ざかっていたと思われていたヨーロッパに激震が走り、中立政策を取っていた北欧諸国もNATO加盟を申請する事態になりました。

「戦争論」を著したカール・フォン・クラウゼヴィッツに言わせると、戦争と言うのは国家と国家の暴力のぶつかり合い、といった定義になり「低強度紛争」などは戦争とは呼ばれません。

クラウゼヴィッツは18世紀、プロイセン王国やロシア帝国でナポレオンと戦った軍人で同時代の軍略などを体系付け、近代戦争の概念を確立した一人として「孫子」と並び称される傑物です。

プーチンの軍略もクラウゼヴィッツの体系の範疇から出るものではありません。

クラウゼヴィッツは戦争を政治現象の観点から分析しましたが、戦争を構成するのは「国家」「政治」「国民」であると規定しました。

この視点で見ると反戦運動もこの範疇で行われている事が分かります。

そもそもクラウゼヴィッツ以前の戦争は限定的なチェスのゲームのようなものでした。
いかにして戦費の範囲で相手の領地を切り取るか、或いは捕らえた敵の王族や有力な騎士の身代金請求などが行われていました。

これらは騎士道精神などの規範の範疇ではありましたが、戦争を起こすのは王だけに認められた権利であり、市民が武器を取る事はそもおそも御法度で厳しく処罰されました。

従って戦場で騎士に付き従って世話をする従者は戦闘行為の対象とは見做されませんでした。(武器を取った場合、直ちに処刑)

中世、或いは古代において国の大小の違いはありましたが、概ね戦争はこんな感覚で見られていました。

ところがフランスで起きた革命では王族の私兵や傭兵を市民革命軍が打ち破った事は画期的であり、国家や戦争の在り方を変えてしまいました。

それまで王の権威の象徴であった「国」は市民の代表によって運営されるようになり、国家の名の下に徴兵制が敷かれ、国民が国家のために武器を取るという近代国家である国民国家が出現したのです。

従って「戦争」は国家が政治の下に国民の協力で行うものになりました。

またこの時期において、手持ち武器からもっと威力のある投射武器に進化した事や(弓兵は長く卑怯者と見做されていた)市民にまで戦争行為が及ぶようになったため、ハーグ交戦規定や国際人道条約などの戦争についての規定が多く策定されました。

それは戦争の当事者である国民が攻撃の目標にされた事と関係しており、また国王の意志で開戦、終戦が決められてきたものに代わる新たな制度が必要となってきた事に依るようです。

もっとも、これらの人道に関わる規定は現代の戦争においても多くが破られています。

このように戦争というものは「国家」と共に世界中に普及しました。

大きな敗戦を経験した日本では特に「国家」や「戦争」について拒絶する動きが見られますが、個人の権利を守っているのは国家という枠組みになります。

「俺は国家に縛られないぜ。好きなように自由にやるぜ」といってみた所で外国に行く事すらできず、もっぱらその国内で強がっているに過ぎません。

外国では「独立国」を宣言する変わり者もいますが、もし真面目にやるなら全ての国と新しい取り決めをして、取引に関わる条約のような約束事を策定し、自分で自分の安全を確保する必要がありますが、それがいかに非現実的な事であるかは分かるかと思います。

それだけに国家の主権は尊重されるものであり、それを担保する実力である軍隊は必要であり、平和を維持する努力は絶え間なく続けられるべきものであるかと思います。
Posted at 2022/05/29 14:29:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2022年05月24日 イイね!

民主主義の弱さとは

ロシアが隣国ウクライナに軍事侵攻し、21世紀にこんな前時代的な戦争を目の当たりにするとはと愕然として遅まきながら国家とは、戦争とは何かについて学び直している所です。

プーチンにも直接間接で影響を与え、ヒトラーも引用した「戦争論」を著したクラウゼヴィッツ自身も興味深い人物なのでどこかで取り上げてみたいと思っています。

訪日したアメリカのバイデン大統領から注目すべき発言が飛び出し、日本の国連常任理事国入りや旧敵国条項撤廃か?と色めき立っていますが、中でもアメリカが台湾に軍事的に介入するというのは方針転換か?と驚きました。

必要以上に中国を刺激する事になるため、すぐにホワイトハウスから「台湾政策はこれまでと変わりはない」と補足が入りましたが、バイデンのウクライナ侵攻黙認とも取れる戦略発言がプーチンに侵攻を決意させた反省から強い事を言ってしまったのか、或いはアメリカが台湾に軍事的に介入するのが「従来の方針」であったのか憶測を呼んでいます。

プーチンは恐らくこういったゴタつきを「民主主義の弱さ」と見下していたでしょう。ロシアでの権力闘争を上り詰めて来た海千山千の人物ですから、まさにそういう付け入る隙を虎視眈々伺っていたのでしょう。

実際、ロシアがウクライナに侵攻した後になってもNATO諸国の初動は遅れました。

ウクライナがロシアになればロシアと直接接するポーランドが比較的強い支援に踏み切ったのに対し「緩衝地帯」で隔てられたドイツは、第二次世界大戦の半生と言う観点もあって当初は支援や制裁に消極的とも取れ、まさにプーチンが切り崩しに成功したかのような印象を与えました。

西側が一枚岩となってロシアが敗北するまで無尽蔵の支援をすると纏まったのはウクライナ都市で行わていたジェノサイドが明らかになってからでした。

本来であれば他国に軍事侵攻したら圧倒的軍事力を持って阻止すると言うのが正しい対応でしょう。しかし民主主義においては多くの意見が出て対応が紛糾します。
これこそが「民主主義の弱さ」であり、力の信奉者である覇権主義国家が初手で優位に立つ動きとなります。

判断を誤ったとしても政治家は次の選挙で審判が下るまではとりあえず職責は全うできるでしょう。

しかし独裁は即決と行動が即座に一致するのが強みである反面、為政者が判断を誤った時に自力でそれを是正する事が出来ません。

それが施策の一つに余計な口出しをした失敗であっても国家存亡の致命的判断ミスであってもです。

民主主義には時間はかかっても自浄作用があります。
間違った判断は是正されます。

それだけに一度方針が固まったら、例え反対であってもそれに向けて団結するのが本来的な民主主義の在り方でしょう。

そういう意味でもウクライナの主権を守ると言うだけでなく、民主主義の覚悟が試されているのが今の状況といえるかと思います。
Posted at 2022/05/24 08:41:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2022年05月22日 イイね!

ジュリアクーペ、内装プチレストアの打ち合わせ

今日はジュリアクーペの内装のプチレストアの打ち合わせで練馬のL-8さんに行っていました。

以前にこちらでウッドステアリングの補修をして頂いて、ステアリングが綺麗になったら今度はダッシュボードの化粧パネルが気になり始めました。


練馬の住宅地にあるのでなかなか気が引けますが爆音ではなくなったので多少は許容されるでしょうか。


まずラジオが収まる部分のウッドパネルに穴が開いています。

これはこの車両をイタリアから引っ張ってきた時にダッシュボードが割れていたのでストックのダッシュボードに交換してもらう時に元々付いているパネルを移植されたものだろうと思います。


当時は少々くたびれた感じも気にならなかったのですが、改めて見てみると結構ヤレています。


こちらは綺麗にはがせるなら表面に塗布されたニスを剥がしてリペアですが、綺麗にはがせないと掛けた一部分を再生しても痕跡が分からない程の完璧な補修はできないので張替えが推奨との事でした。

まぁなんにしても現物でやってみて、との事ですが、この季節は内張り天井が落ちるネオクラシックあたりの欧州車の作業で埋まっており7月頃にあらためて、との事でした。

もう一つの懸案と言うかこれまでやってなかった部分でシートのヘタリがあります。


なんとなく自分の体にフィットしているので気にならないのですが、明らかに使用頻度が少ない助手席と座り心地や座面の高さが違っています。

こちらも現物を預かって、との事でしたので帰宅してからさっそく取り外して見ました。


懸念されたようなスプリングが突き破って崩れているというものではないようでした。

こちらもウッド化粧パネルほどではありませんが、今立て込んでいるため手が空いたらいつ頃お願いできるか打ち合わせになります。

シートを外したついでにシートレールやガイドを掃除しておきます。
Posted at 2022/05/22 17:29:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2022年05月21日 イイね!

失われた30年

「岸田ショック」なんていう言葉が生まれる程、円安が進んでいます。
業種によっては恩恵が大きい所もあるでしょうが、あまりに変化が早いとそれに対応できない企業が脱落したりと混乱をきたす為、外国為替相場はある程度の範囲に収まっているのが良いとされています。

これまでは「有事の円買い」などと言われて大きな紛争が起きると不安材料が少ない日本円が積極的に買われてきたのですが、ロシアのウクライナ侵略以降、円安が進み、1ドル130円を睨むあたりで推移しています。

日本は今回の紛争当事国でもないですし、ロシアにエネルギー資源を依存していると言う程関りは深くないのに、です。

世界各国から制裁を受けて暴落しかかったロシアのルーブルが介入などの効果で持ち直したのに対し、一向に上向かない円を揶揄して「日本はセルフ経済制裁中だから」などと言われました。

このため原材料を多く輸入に頼る日本は「コストプッシュインフレ」に見舞われ、ガソリン価格や電気料金などの値上げラッシュで生活にも影響が出始めています。

これは「悪い円安」と言われていますが、「失われた30年」の影響が出て来たのではないかと危惧しています。

日本は1990年代に入った辺りから経済成長率が鈍化し、ほぼ0%に近い状態で30年間推移してきています。

この間に2、3%でも成長を続けた各国と比較すると1.5倍近い差が開いています。
ずっと据え置かれた大卒初任給は直近で日本が300万円なのに対しアメリカ700万円、ドイツ600万円などとG7中最低で労働者の平均給与もOECD35ヶ国の平均を下回っています。

しかし日本人の意識の中にはどこかでかつてGNPが世界第二位となり山手線の内側の地価でアメリカ全土が買えるとかで言われた頃の記憶があり、日本のポテンシャルはまだ高いハズという思い込みがあるのではないかと思います。

一部の産業や企業は確かに国際競争力があり高いシェアを誇るところもありますが、そういった企業は年々数を減らして、競争力が下がって来ていると思います。

まず、この30年間で日本企業は借入を減らし内部留保を増大させてきました。
これは良い事のように思えますが裏を返せば設備投資を減らしていると言う事になります。
これで何が起きるのかと言えば競争力が低下し付加価値が減少する事に外なりません。

企業の稼ぎだす付加価値というのは労働者の賃金の原資ですから、消費者でもある労働者の給与が上がらないかむしろ下がっていると言う事になります。

つまり経済が縮小すると言う事になります。

また、日本人労働者と言えば勤勉で長時間労働といったイメージですが、特にバブル崩壊以後は労働時間が減少しており、現在ではアメリカ人は日本人の1.1倍、韓国人は1.2倍働いています(計上されないサービス残業は除く)

つまり労働付加価値、労働力ともに減少の一途をたどっています。

それでもこれまで生活に大きな影響を感じなかったのは、それまでの大きな「貯蓄」があり、また労働者一人一人が自己犠牲の精神で支えて来たからではないかと思います。

ところが今回「有事の円買い」が起らなかった。

これはひょっとしたらこれまでなんとか支えて来た経済の底が抜けるのではないかと危惧している所です。

果たして今の政府に乗り切って打開するだけの胆力があるのか。
これまでも日本の政策は「トゥリトル、トゥレイト(少なすぎ遅すぎ)」と言われて決断しないことが美徳のようにして来ただけに不安しかありません。

今回は主に「小川製作所」さんの作成された統計図表を参考にさせていただきました。
小川製作所ブログ
http://ogawa-tech.jp/blog/
Posted at 2022/05/21 20:26:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「今日車検出してきたけど車検時の法定費用先払い、今は後払いになってた。
一回で済むならそれに越したことはないけど用意してた現金を口座の方に戻しておかないと。」
何シテル?   06/14 22:03
ネコとキャブを愛でるのが趣味の低年式オッサンです。
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