こんばんは!
10月29日に 『高野山』 に行ってきました。
今年は開創1200年の記念の年で多くの参拝客で賑わっておりました。
主たる目的は、今年は父親の七回忌で高野山の奥ノ院に納骨(分骨です)しておりますので、お参りに行ってまいりました。
皆様もご一緒に、神秘的で壮大な高野山へご案内いたしたく思います。
長い・長いブログですが一見の価値がある写真?を43枚掲載いたしました。
最後までお付き合いくださいな! (*^_^*)
私の実家近くの紀ノ川に掛かっております九度山橋から出発いたしましょう。
NBOXの後ろに掛かるのは、九度山橋で橋の下は紀ノ川です。
橋の奥、右手から紀ノ川に注いでいる川が丹生川(にゅうかわ)で、高野山の方から流れてきております。
清流で夏には多くの人で水遊び・BBQと賑わいます。 私も子供の時はよく泳ぎに行きました。
で・・・NBOXの上の方に遠くにかすんでいる山(助手席の上)が、高野山です。
標高約1000mの山の上に、八つの峯(蓮の花の形)に囲まれた盆地(広さは東西約5km・南北約2kmの平地)があります。
何でこんな山の上にこんな広大な平地が? 本当に神秘的で不思議な地です。
その前に、この九度山橋の向こうに真田庵がありますので、ご案内いたします。
1600年に関ヶ原の戦いで、西軍(石田方)が東軍(徳川方)に負け、西軍に加わっていた真田昌幸・幸村(弟)が東軍の真田信之(兄)の嘆願により、命が救われましたが高野山蓮華定院に蟄居となりました。
高野山蓮華定院に入りましたが、高野山は女人禁制であるので、家族と住まいを一緒にするために、高野山の麓にある九度山に住居を移しました。
1602年に幸村の長男(大助)が真田庵にて誕生。
1614年にこの真田庵から、大坂冬の陣・夏の陣に出撃し、徳川軍と戦い壮絶な人生を終えました。
1611年にこの真田庵にて没した真田昌幸(65歳)のお墓です。(火葬後、埋葬されました)
真田庵近くにある道の駅に展示してある、真田幸村の甲冑(レプリカ)です。
真田庵近くに現在、『真田ミュージアム』を建設中です。(来春オープン予定)
来年にはNHK大河ドラマ『真田丸』が放映されますので、信州・上田城地区と観光客で賑やかになると思います。
九度山では毎年5月4日・5日に、『真田祭り』が行われます。
武者行列や真田鉄砲隊が祭りを盛り上げてくれます!
次は、真田庵から西へ約1kmの女人高野・慈尊院(じそんいん)に向かいます。
慈尊院は、弘法大師(空海)のお母さんが住まわれていた寺院です。
高野山は女人禁制でしたので、四国から呼び寄せた母親を住まわされ、高野山から弘法大師が月に九回、会いに来たことから九度山の地名が付きました。
慈尊院にある、絵馬です。
弘法大師の母親の寺院のいわれで 『子授け・安産・育児・授乳・良縁』 を願って、おっぱいをシンボルマークとしております。
なんで・・・奉納品も手作りの3Dおっぱいが沢山有ります。 子授け・安産祈願でしょうね。
日本では初めての、『乳がん平癒(へいゆ)』の、ピンクのお守りも。
最近では、北斗晶さんの影響か? 全国から女性の参拝者が増えているとか・・・。
慈尊院の境内にある石段が高野山へ向かう、出発点になります。
この石段を登ると、丹生官省府神社があります。 元々、高野山系を納めていた神様です。
写真の右手の旗の右手に、石の塔が建っているのが見えます。
これは町石で、高野山まで一町(109m)ごとに立っており、180町石有ります。
ここから町石沿いに約21km山道を歩いて、高野山に向かう方も多くいる様です。
この写真を、撮っていると若い女性がお一人 『これから高野山に歩いて行きます』 と、この階段を上って行かれました。 徒歩約8時間の山道ですがね・・・気合が半端ない!
私は無理! (-_-;)
私は慈尊院からNBOXを飛ばし・・・約30分で高野山に到着です。
道が整備され昔に比べ、早く行けるようになりました。 (*^_^*)
高野山の入り口にある 『大門』 です。
ちなみに、高野山には117の寺院があり、その寺院の内、52の寺院で宿泊が可能です。
大門から約2km奥に向かいます。
ここが弘法大師が居られる奥ノ院の入り口の 『一の橋』です。
※NBOXは一の橋近くのパーキングに停めました。
高野山のパーキングは、ほとんどが無料です。 一部、路上に停められるスペースもあります。
奥ノ院に近い『中の橋』のパーキングに停めてもいいのですが・・・
弘法大師がこの『一の橋』で送り迎えをしてくれるとの事で、『一の橋』から向かいます。
一の橋から 『奥ノ院』 まで約2kmの道のりです。
ほとんど、平坦な道ですので楽に歩いて行けます。
一部、階段もありますが迂回路もあり、車いすでも行けます。
参道の両脇には樹齢数百年の巨大な杉並木があり、夏場でもひんやりとします。
では、参道沿いの20万基を超える墓石の一部をご紹介いたします。
説明は一部省略しますが、墓標をご覧ください。


明智光秀のお墓ですが・・・アップにしてよく見てくださいな!
墓石(丸い部分)が真っ二つに割れて立っているのが見えますでしょうか?
何度立て直しても割れるそうです。本能寺の変で亡くなった、織田信長の怨念と言われております。
しかし、明智光秀がいなければ・・・織田信長によって高野山は焼き討ちにあってました。
高野山が守られたのは明智光秀の存在が・・・。 (・。・;

『汗かき地蔵』が入っているお堂です。
お地蔵様に、水滴がついて汗ばんでいるように見えます。人々の苦しみの身代わり地蔵と言われております。
で・・・このお堂の右手の『姿見の井戸』が見えますでしょうか?
井戸の上から、井戸の水面を覗いて自身の姿が見えなければ3年以内に命が亡くなるといわれています。
私は行きと帰りに2度覗きましたが、2度とも姿が見え一安心! (*^_^*)
次は、この井戸の先にある、『覚鑁坂(かくばんさか)』です。
石段は43段あり、途中で転ぶと3年以内に終わるといわれ、43段は42(死)を超えるという意味が込められています。
信州・真田家の供養塔です。
豊臣家のお墓で、豊臣秀吉・母親・弟・夫人です。
豊臣秀吉は高野山を焼き討ちにしようとしましたが、応其上人(高野山の高僧)の説得で高野攻めは無くなりました。
織田信長の墓です。
奥ノ院の直ぐ近くにあります。
比叡山・延暦寺に続き、この高野山を焼き討ちにしようとした人物ですが、高野山の懐の深さを知りました。 死後は敵・味方も生前の所業も関係無にすべての人が平等とのご加護です。
また、戦国武将の墓が多くあるのは、多くの戦いでの罪を懺悔する意味で高野山に祀られているそうです。
参道沿いにある無縁仏です。 無縁仏は無数にあります。(数えるのは無理の様です)
約2km、20万基の墓石の間を歩るかせて頂き、御廟橋(ごびょうはし)に着きました。 この橋を渡ると『奥ノ院』です。
ちなみに、奥ノ院の一番近い所には、天皇家のお墓があります。(撮影は禁止です)
御廟橋を渡る前に、お待ちする方がありますのでここで約20分待ち!
今も、奥ノ院の御廟で瞑想(即身成仏)を続ける弘法大師へのお食事を届ける僧侶をお待ちします。
弘法大師の食事は、朝の6時と10時30分の2回です。
これは、弘法大師が即身成仏されてから1200年続いているそうです。
僧侶に続いて、奥ノ院に向かいます。
※御廟橋を渡ると、写真撮影は禁止地域です。
奥ノ院の御廟にお参り・・・。
弘法大師が今も瞑想を続けている、御廟前では体が震えました。
父親へのお参りも済ませます。 ご先祖様に感謝!
ちなみに、奥ノ院で納骨(分骨)が出来ます! お費用は5万円でした。
弘法大師に預かって頂けるので価値はありますね。
私の時も・・・娘にはお願いしております。 (*^_^*)
奥ノ院を後にして、次の目的地 『蓮華定院(れんげじょういん)』 に向かいます。
真田昌幸・幸村が蟄居した寺院です。 ここの寺院は、超人気の宿坊です。
真田幸村が寝起きしていた部屋で、くつろぐ・・・夢のような話ですね。
お寺の家紋はもちろん六文銭です。
お寺の裏手には兄(信幸)のお墓があります。
高野山には、戦国武将と契約していた寺院が数多くあり、お寺の家紋もその戦国武将の家紋をそのまま継承しています。
高野山は戦国武将の遂の住み処だったんですね。 こぞって、入山されました。
次は、高野山の2大聖地のひとつの 『壇上伽藍(だんじょうがらん)』 へ向かいます。
壇上伽藍の入り口の『中門』です。
門にある、四天王の二人をご紹介します。 日本ではここでしか見れません。
※後の二体は、『持国天』と『多聞天(毘沙門天)』です。
門の表にこの二体、門の裏にご紹介する二体があります。
今年の開創1200年に合わせて、この中門が再建(1843年に焼失)されました。
『増長天(ぞうちょうてん)』様です。
胸のトンボがポイントです。
敵から仏法を守るという仏様で、決して後には退かない意味でのトンボです。
※トンボは前にしか進すみません。
『広目天(こうもくてん)』様です。
胸の蝉がポイントです。
千里眼をもってこの世の人々を救済する仏様です。
蝉の鳴き声が遠くまで聞こえる様に、千里眼の意味を持っています。
『金堂』 です。
中では、仏像の『お薬師さん』が奉られております。 (撮影は出来ません)
高野山開創1200年で今年初めて御開帳となりました。 (1200年ですよ。凄い!)
『根本大塔(こんぽんだいとう)』です。
中には、色鮮やかな立体曼荼羅が奉られております。
極彩色の大日如来さまと、多くの仏様お迎えしてくれます。(めちゃめちゃ綺麗です!)
前に立っているのが、ユルキャラの『こうやくん』です。
『三鈷の松』 です。
多くの人が、下を向いて何かを探しています。
松の落ち葉です。 普通、松の葉は2又の2本ですが、三鈷の松は弘法大師が唐(中国)で修業を終え、中国からの帰省時に唐から投げた仏具の三鈷杵(さんこしょ)がこの松の枝に掛かっていたことから、この地に密教の聖地を作る決心をされたそうです。
この松の葉はまれに三鈷杵の形になることから皆さん一生懸命下を向いて探しています。
しかし、毎日何百人・何千人の方々が探しているので、めったに見つかりません。
手にすると3つの福を授かると・・・。
で・・・私も15分程、地面とにらめっこして・・・GET!
※今年の運を使い果たしたかも?(笑)
3つの福・・・何だろ? (・。・;
蛇腹道を通り次の目的地の 『金剛峯寺(こんごうぶじ)』 へ!
高野山の中心にある総本山 『金剛峯寺』 です。
高野山真言宗 全国3600寺、信徒1000万の総本山です。
豊臣秀吉が建てたお寺でもあります。
高野攻めを改心し、粋の住み処にした所でもあります。
『死んだら何処に行こう?』と考えたらここだったんですね! (・。・;

金剛峰寺の綺麗な庭です。
最後に『霊宝館』に向かいます。
ここには数多くの、重要文化財・国宝が展示されてます。
極彩色の曼荼羅の金剛界と胎蔵界が圧巻です。
閉館ギリギリの、17時半まで堪能!
すっかり陽が暮れてしましました。
さー、帰りますかね・・・。
あっ! 昼ごはん食べるの忘れてる! (・_・;)
皆さんも一度は、高野山へお越しください。
世界遺産になってから外国の方が非常に多いのでびっくりです!
高野山と車も縁があり、毎年11月第二土日(詳しくはお調べおください)全国からクラッシクカーが集結しますよ!