
前の愛車「デリカ スターワゴン(以降SW)」には1995年〜2013年の18年間乗りました。
結婚を決めたとき“いま買わないと結婚したらなかなか買えない”と、独身最後の大きな買い物で、そのSWは1992年製の中古車でした。
私はとにかくそのSWが大好きになり、過保護なほどのオイル類の交換と錆びないようにケミカルを注入し、大切に大切に乗っていました。
長男が生まれて産院から家に帰る時、スライドドアを開けて、そっとセカンドシートに置いたとき、“平らな椅子はこういうとき良いな”と、飾り気のないシートを褒めたくなったものです。
それからしばらくして、同じデリカを愛する仲間と知り合い、乳飲み子の次男まで連れてのオフラインミーティングやキャンプにも参加して、刺激と知識、そしてパーツを譲り受けながら自分なりの姿に仕上げていったのでした。
そして17年が経たある時、“あ、親が乗り降りするのにしんどそうだな”と思ったのが乗り換えを考えたきっかけでした。
仲間たちの車と並べるとちびっ子のmySWも、高齢者には優しくなくなっていたんですね。それほど長く乗り続けていたのでした。
2011年2月、SWの車検にあわせて乗り換えを決めD5を契約。
登録に必要な書類と手付金をディーラー勤めの友人に渡し、「納車のときは燃料満タンね」と冗談をいって別れたのが3月11日の昼すぎでした。
地震で食器や照明が壊れ足の踏み場のないことと、震度4〜5の余震が何度もくる中で家には居たく無いため、片付くまでの3晩ほどはSWが私たち家族の寝室になりました。
チープなシートはほぼフラットで、そこに布団を敷いて4人で寝ましたが少し窮屈で、それがかえって寒い夜を暖め合いながら眠れたのが、このSWとの大きな思い出です。
その後、“震災で仕事も不安定になるだろうからD5はキャンセルしよう”と決めると、頃を同じくして「部品の供給が途絶えてしまい、納車時期がわからない」と連絡があり解約することになりました。
このとき実は、「またしばらくSWに乗られる」と嬉しく思ったものです。
震災から1年が経って生活も元に戻り始めたので、改めてD5の契約に至り2012年4月、SWを手放すこととなりました。
そうそう、納車予定日の翌日にD5の慣らし運転を兼ねて、富山県にある「南砺バットミュージアム」に日帰りで長男と私の「男二人旅」を計画していたのですが、D5の電装品の取り付けに時間を要したため納車が遅れ、その旅はSWで行くことになりました。
普通なら納車が遅れたら“イラっ”とするのでしょうけど、またSWで旅ができることが嬉しく思えました。
道中は生意気になってきた長男と色々な話しをしたり、トラックがひっくり返って通行止めになるほどの強風の中、高速道路で悲鳴と笑い声をあげながら走ったり、SWとは最後の良い思い出ができました。
このSWはディーラーに引き取らせても廃車になるだろうし、買取店とも考えましたが、自分で改造(もちろん合法です)したところも少なくないのでそれも見合わせ、乗り継いでくれるという友人(デリカ仲間)の元へと行きました。
どこの誰かもわからない人の手ではなく、嫁入り先が友人だったことはとても嬉しく、その後も何度か見ることも叶ったので、その度に色々なことを思い出すことができました。
そして今年の春「すみません、とうとうSWを手放すことにしました」と報告をいただいたのですが、8年間も乗ってくれたことがありがたくて「長い間、大切にしてくれてありがとう」と、寂しいけど感無量の言葉を交わすこととなりました。
このP35Wは、1992年〜2019年、27年の間、事故も無くノントラブルで18万キロ近くを走りました。
そして昨日のこと、別のデリカ仲間からラインが。
「degumaさんのSWがアメリカに渡ってるよ」と。
添えられていたURLは向こうのカーショップらしく、そこには紛れもなくmySWの画像が載っていて、すでに「SOLD」と書かれています。
写真も多く載っていて、譲った友人が手掛けたカスタムもありますが、ナルディーのステアリングは紛れもなく私が付けたもので、DIYで貼ったミラーフィルムは、失敗した部分がはっきりと映ってます。
さらに、デリカ仲間が作ったオリジナルステッカーや、ディーラーの「○○三菱」のシールも貼ったままです。
仕事の写真撮影で天井に登るために付けたハシゴやキャリアもそのままでしたし、エンジンルームの写真には、これもDIYでつけたランプ類のリレーや配線が雑なまま写っています。
ナンバープレートはすでにあちらのものがついています。
「ワシントン」ナンバーですねw
説明文を翻訳サイトで読んでみたのですが、「とても良い状態」と多々褒めてあったので、「当然だよ。手をかけたんだから」と巣立った子供が褒められているみたいな想いになりました。
遠くアメリカに渡ってしまった寂しさはありますが、廃車にならずに現役でいてくれることが嬉しくて、そしてmySWとの18年間の思い出がたくさん蘇りました。
こんな切なさを味わえるのは、SWも私も元気で過ごせているからなんですね。
そんなお話しでした。
Posted at 2020/10/05 17:07:21 | |
トラックバック(0) | クルマ