25日(金)深夜26時頃に出かけて、岩手へ向かいました。
1週間前と比べ、ガソリン事情が緩和されているから大丈夫!? などと楽観視したものの、
後々つな渡りのはめに。被災地は、想像以上に切迫していることが肌で感じ取れました。
最近、Twitterではこのネタであらぶってますが落ち着く日を思い浮かべながら。
この投稿で節目のはず。。。
■故郷が消えるなど誰も思わない
行ったキッカケは、知り合いが岩手県釜石市のちょっと北の海岸沿いに実家があることからです。
この町は、今回の津波によって200世帯ほどが丸ごと消えました(T_T)。想い出の実家が消えた心を癒す言葉は、思い浮かびません。。。
ニュースで見た大惨事に心打たれ、
自らの目でも目で見ておかなければならないと感じ、捜索の手助けなどと思ったわけですが。結局は何もできませんでした。無力。
今回の震災で、都内近郊だと揺れで心情に変化はあったものの、映像からしか感じ取れません。
もちろん、それで多くの人が義援金などの行動になって、大きな力になっているわけです。
震災後、本来はもっと早く行くべきでした。
しかし、19日深夜はご存知のように、さらに過酷でした。無力さを感じた2週間。。。
知り合いの親は、いまだ消息不明です。
■やはりガソリン給油がネックに
25日深夜は、都内でガソリン満タン状態にて(50L)一路北へ。
燃費走行を続けて早朝近くになり、仙台を超えると雪が。途中夏タイヤだからと断念したものの、気持ちが収まらず、さらに北上。
途中、給油可能なSAではつねに満タン給油を心がけるものの、那須を越えた辺りから事態が急変。
宮城から上は、ハイオク2,000円(レギュラーは4,000円)制限という、遠距離からには酷な状況でした。
被災地ではクルマが足となっているだけに、深夜から開店時に向けた列ができてました。
首都圏から出向く私が、現地で給油するなど、許されることではない…、という空気なわけです。当然であります(;・∀・) 早々に諦めて、次なる策を考えることに。
選択肢がないからやむを得ず、残量30Lほどで花巻から釜石入り(MINIは50L超満量:仕様値)。
花巻では、整理券がないと給油が無理! これも
shizukaさんなどの情報で認識済み…。
花巻から釜石の往復をしても、一関辺りまで戻ってこられる。そう考えて、海岸沿いを目指す。。。
遠野を過ぎて仙人峠を越え、海岸沿いに近づくと、支援物資を届けるトラックなどで大渋滞でした。
各地からの愛で溢れてます(´;ω;`)ブワッ
東北道を走っていても、ほぼ90%の走行車が物資を積んだトラックでした。
日本、捨てたもんじゃない(´;ω;`)ブワッ
以下は、消えた町の全貌動画と写真。石巻はもっとすごい状況なんですよね。
言葉にならないです。。。。
まだ余震が収まらぬ日々。皆さまはお気をつけください。
スマトラ沖地震は1年超続いたわけなので、まだ楽観視はできず。だからって買いだめで被災地を圧迫してはいけませんよね。
日々、地味に蓄えましょうw え?我がMINIには被災グッズが満載で重量過多ですよ。
首都圏大震災の時には、物資をお分けします。え?機械式駐車場だから停電時はクルマが出せない!www それは最近気づいたことw
皆さま、お気をつけを!
こんな町並みが、、、
堤防や防波扉は崩壊。9メートル超の津波が町を消し去りました。
光景からは、信じることなどできない悲惨さばかりを感じます。いい想い出ばかりの地が消えるのはつらい(´・ω・`)(´;ω;`)(´;ω;`)ブワッ
木造の建家は、土台だけ残して柱がすべて折れて行方不明。これは、重機用に道を切り開いて作った以外、各家庭の敷地は何も手を付けてない状態だとか。道路標識や電信柱もすべて消えています。
防波扉は閉じること無く、津波でひっくり返ってました。3.11のあの時、どんな光景が(T_T)
26日1時頃発、27日2時着
走行距離1224km 燃料80L(途中、90分程度の待ちで10L給油を3回)
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たわごと | 日記
Posted at
2011/03/27 20:03:36