
津久井観音霊場 第三十番 願廣山
井原寺
曹洞宗
昭和十年に示寂された霊嶽宗光和尚の記した「霊教記」ががあり、よく整理された寺歴が伝わっている。
北条貞時の頃、御家人の小磯城二代目城主(所在、氏名不明)が、敵方の払い焼き作戦にあい、落城。
念持仏を持って、一族と共に青野原に逃れ隠棲したという。
その念持仏の延命地蔵菩薩を祠に祀り、一族の家臣の冥福と世間の平和を祈ったといいます。
五代をすぎる頃には、地元の人々に次第に信仰されるようになり、文明四年(1472年)初代の城主から数えて六代目の城主を開山として三青山 青原寺を興したという。
旧道に面した駐車場から、石段を登る。結構急なので、コンクリートで固めてあるのは、少し残念。
その後、四代を経て天文の頃、井上左衛門尉行泰は信仰厚く諸堂宇を現在の地に建てて、山、寺号を巌高山 井原寺と改めたといいます。
行泰は天文七年(1532年)に逝去したので、氏の業績を讃え法号を送り、当山の中興開山をしたといいます。
慶長十二年(1608年)示寂の伊勢原の洞昌院の和尚の時に、曹洞宗になったらしく、師を第一世の開山と仰いでいる。
明治になると、寺に小学校が開かれました。
聖観世音菩薩は、享保十二年(1727年)に安置され、以来地元の信仰を集めています。
武将の館の跡の説明図が書かれている石碑などがあり、お寺の周囲をぐるっと回ってみました。
軽自動車でないとクルマで回るのは難しいので、やはり旧道に面した駐車場に止めて横からはいるのがいいです。
昭和になって、宗教法人化した時に山号を願廣山と変えたそうです。
敗者を意識するお寺のようです。
Posted at 2021/03/21 12:10:02 | |
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観世音菩薩霊場巡礼 | 日記