
もはやフォトギャラ化したブログの第三弾になります。(汗)
道中に面白いハプニングも無かったので、写真が見易いように文章は最低限に控えて・・・という言い訳をして~(^◇^;)
前回の続き、本耶馬渓へ到着。
一番に取った行動は、腹ごしらえ。
郷土料理を所望致しました。
カミさんは、とり天定食を。漬物は食べ放題~
私めは、だご汁定食を。 やはり、甲府で食べた「ほうとう鍋」に似てる!
さあ、エネルギーも充填されましたので、青の洞門を久しぶりに散策して来ます。

ここで青の洞門のご紹介を。(ウィキより引用)
1750年(寛延3年)に第1期工事が完成し、最終的に開通したのは1763年(宝暦13年)であった。
諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚が、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇って
ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれる。
1750年(寛延3年)の第1期工事の完成後には、通行人から人4文、牛馬8文の通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は
日本最古の有料道路ともいわれている。
だそうです。
流石の耶馬渓も、夏は暑い!!
ここは紅葉の季節が非常に美しいので、秋がお勧めです。
全長342m、トンネル部144m、こんな断崖絶壁の横を通って、
交互通行の、洞窟のようなトンネル(車道のトンネルは明治の拡張工事との事)を歩いて入口(下流)側へ行きますと・・・
青の洞門の石碑が登場。
ここから元来た道に戻りつつ、すぐ横の車道とは別の小さなトンネル(洞門)へ。
写真右奥の明るい部分が、最初に造った「明かり取りの窓」と言われる開口です。
引いて見るとこんな感じ。ノミの手掘りとは恐れ入ります。
外に見えるのは、山国川。
この横に、和尚さんの石像とお地蔵さんが鎮座されています。
像の右側の岩肌の、引っ掻いたような模様がノミの跡らしい。
先に進むと、まだトンネルが続き・・・
これもノミの跡か!?
外に出て、車道のトンネル上流側を望む。

「石の上にも3年」とは言いますが・・・
ノミと槌だけで30年ですよ!! 私だったら3時間でギブ!(笑)
昔の人の粘り強さと根気には脱帽しますね~
これが「現代人に なにかを語る」と言うものでしょう。
ということで、耶馬渓を後にして、やまなみ方面へ戻る事にしました。
しかし、晴れ間が少しずつ出てきましたので、「やっぱ、狭霧台に行きてぇ~」という衝動に駆られ・・・
気付いたら、玖珠から再び210号に乗って由布院を目指してました。途中からは、朝走った道です。←ウマシカ!!
おお、天気が少し良くなってきた!!
しかし、由布岳には相変わらず雲が掛かってるし・・・
道は車も少なく、爽快!!
こんな緑色の九十九折を爆走して・・・
狭霧台へ到着。今度は車を止めれた~
雲はどっか行かんかねぇ~
場所を変えて一枚。後ろにトイレが有って下がれず、景色が入らない・・・
ここの展望台から、由布院の街が見下ろせます。
すぐ下の草原には、野良牛か?(笑)
さて、大牟田へ戻ろうと走りだしましたが、まだ日が高かったので気が変わり、もうひと走りします。(^◇^;)
やまなみの途中から湯平~長湯~豊後竹田と抜け、岡城跡は時間的に無理だったので素通りし、「道の駅 原尻の滝」へ。
過去に数回、近くを通っていたのですが、いずれも夜だったので滝を見てませんでした。今回がお初。
幅120m、高さ20m、東洋のナイアガラとも言われるらしい。
ほほぅ、なるほど。
横に照明も有ったので、ライトアップされるのかな?
近くに吊り橋を発見! 早速行って来ます。
高所恐怖症の方はご注意を。当然、揺れますので。
橋の中央部から滝を望む。

高さは有りませんが、横に広くてなかなか面白い滝でした。
以上をもって、12日の徘徊ドライブはお開きとなりました。
岡城跡近くに敷設されてるメロディーライン、滝廉太郎の「荒城の月」を聞いて、57号から阿蘇を通って大牟田へ。
その途中に・・・ゲッ!!

まだ初車検まで半年もあるのに・・・
横のカミさんは呆れ顔。と言うよりも、既にサジを投げてるという・・・
そんなこんなで無事帰宅して、〆はすぐ隣のラーメン屋にて。

ドギツイ豚骨です。ハッキリ言ってクサイです。が、これが病みつきになるんですよ~
500円。当然、替え玉有り。
さて、翌日はカミさんの実家の長崎へ行く予定。
夕方までに着けば良いので、それまで何しようかなぁ~
そうだ! あそこへ行こう!! そして、アレを食べよう!!
てな訳で、新品のレグノがまたすり減ってゆくのでした・・・(^◇^;)
Posted at 2014/08/22 00:56:11 | |
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