先週、実家に帰った時に父から「○○が壊れた」と言われたのでプレゼント持って実家へ。
とその前に何故か常盤道乗って
こちらで下りて
ココへ

若い頃、よく走ってたんです。
こんな段々やキャッツアイはなかったけど。
こんなとこ頑張って突っ込んだり
結果、どアンダーで↓の壁にぶつかりそうになりながら。
馬鹿でした。
気分よくドライブしてお決まりの場所に到着。
結構集まっているんですね。
ここは夜景が綺麗なんですけど。。。

残念なことになってしまっています。
どうもすいませんでした!
なので昼間の関東平野を。
お花もね。
木漏れ日も気持ち良かったです。
筑波山をあとにして実家へ。
1時間くらいかな。
いつものように駅ビルの駐車場に停めてお昼ご飯を買いました。
駐車場の前を歩いているお爺さんにストップかけてもらい助かりました。

ギリ。
お爺さん、ありがとうございました。
実家に帰ったのは父が「時計が壊れた」と言っていたので金曜日にヨドバシで
時計を買ったからです。
年寄りなので電波ソーラー・サファイアガラス・軽いの条件で探しました。
あとそんなに高くないこと(ーー;)
で、コレを。
喜んでもらえました。
若い頃、10代、20代の頃はほとんど話もせず、話をしたと思ったら喧嘩ばかりだった。
それなのにこんなに歳とって弱気になってしまうとは思ってもみなかったな。
40半ば過ぎて、やっと親の気持ちとか苦労とか少しづつ理解できるようになってきた。
“親孝行したい時に親は無し”とはよく言ったもんだと思う。
父は勉強はかなりできたみたいだけど貧乏で進学できなかった。
コレが父子不仲の原因に。
でも祖父からは“進学させてやりたかったけど一人だけ進学させることはできなかった”
と直接聞いたことがある。
父は10人兄弟。
母親から可愛がられなかったと思っているようだったけど。
祖母から、“海軍航空隊で墜落事故を起こしたと連絡があった時は心配で堪らなかった”
とも聞いた。
親子だったらから最後まで蟠りとけなかったのかな。
t父は色々問題はあったけど、自分がした思いをオレにはさせたくないと思って死に物狂いで頑張ってくれたのは事実。
オレはそのことに対して何にもできていない。
心配ばかりかけている馬鹿息子。
兄が生きていた方が良かったんだろうな、、、なんてしょうもない考えも浮かぶ。
でも、子供は自分しか生きていないので、できることを精一杯やっていくしかないだよな。
しみったれた内容になってしまってすいません。
Posted at 2014/05/19 00:08:03 | |
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