
昨日から私はおじいちゃんのお骨がある部屋で寝ています。
天井がいつもと違うとちゃんと起きれるからですw
ほとんど笑わないおじいちゃんの遺影があり
見ると慣れない笑顔でにやけ気味
少し笑っちゃいますw
今日はおじいちゃんの自慢話をしますm(_ _)m
今年の4月、私の二十歳の誕生日がもう少しってとこで逝きました。
おじいちゃんは昭和4年生まれ、
私は平成4年生まれ。
ちょうど昭和の年の分違います。
若い時におじいちゃんは屋号を継いで
一家の大黒柱になりました。
とても几帳面な人で、
農薬や、肥やしの分量を毎年細かく記録してたらしいです、
ある日、おじいちゃんは仕事中大きな事故にあい
木材を運ぶクレーンのようなものが倒れ
下敷きになり意識不明になりました。
同僚の積み過ぎによるミスだったそうです。
数日だって意識は取り戻したそうですが、
数年は少し頭がおかしかったようで
30代なのに、自分はまだ10代だとか
記憶が飛んでいたそうです…
おじいちゃんのプライド高&意地っ張りな性格のおかげで
なんとか回復しましたが
片目は潰れ、脚は骨折しましたが
当時の医療では傷が治らないと
骨折の治療が出来ないみたいで
折れて重なったの骨は
重なったまま
大きな鉄のアングルと六角ボルトで繋ぎ止められ
片足短い状態になりました
手も片方不自由になり、指が曲げれない感じでした
でも、おじいちゃんは
めちゃめちゃ器用だったため、不自由な体でも
あるタイヤ製造会社に雇われることに
リトレッドタイヤで儲かった会社ですが
完成品をまとめる金枠を作れたのは、おじいちゃんだけだったそうですw
しばらくして、おじいちゃんは結核になりました。
手術は成功‼でも、
肩から脇腹にかけて大きな傷が…
肺も片方なかったような気がします(;´Д`A
治療所では看護婦さんに見つからないよう
布団をかぶってみんなで麻雀とかして遊んで、
おばあちゃんに見つかり呆れさせたり
お茶目な一面も…w
おじいちゃんの生命力も半端なく
入院してからも、病院の先生から
危篤です、早く来てくださいというのも多々ありました
年に一回はのペースであり、
次の日に普通に飯食ってるのもありましたw
身体だけ凄い訳じゃなく、顔も名前もイケメソでした☆彡
おじいちゃんの名前は
苗字を一文字変えて、名前も一文字変えると
天下の大泥棒、石川五右衛門と同じ名前になりますw
なので、家の五右衛門風呂はおじいちゃんが作ったから
幼い頃は五右衛門風呂だなんて勘違いw
友達を家に呼ぶと
外見と、普通のおじいちゃんサイズより大きかった為に怯える人も ( ; ; )
漫画とかで出てくるようなおじいちゃんだったので
漫画好きな私は世間を知るまで、私のおじいちゃんが普通で、
おじいちゃんというものは
片目が潰れてるのと、身体が傷だらけってのが普通と思い込んでました( ; ; )w
あと、おじいちゃんは車が乗れました
あの時代では珍しいAT車限定免許です‼
私と逆です(笑)
車は脚の関係でアクセルとブレーキが逆になっていて
乗ったことある人は口を揃えて
怖いと語りますw
まだまた、たくさん書きたいですが、
物凄い長文になってしまったので
今度にしますm(_ _)m
写真は脚のアングルです、
骨についてたやつは3本目らしいです
リハビリで2.3回折れたそうです(汗)
グロ注意です
おばあちゃんに写真撮る許可とりましたm(_ _)m
つまらぬ独り言&長文すいませんでしたm(_ _)m
おやすみなさいです
Posted at 2012/07/17 23:10:43 | |
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