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あっきいのブログ一覧

2003年10月11日 イイね!

続 「恩人」と「恋」

睨み合いは十数秒ほど続きました。
人数的に劣勢とはいえ、あちらとは「気合」と「根性」がちがいます。大将(兄)はそのへんの彼我の力量差を敏感に察知し、「いける!」と踏んだのでしょう。
大将の「いけっ!」の声と、斬り込み隊長(私)の最初の一撃はほとんど同時でした。「阿吽の呼吸」というやつで、血を分けた兄弟ならではのものといえます。
ついに、「戦いの火蓋」が切って落とされました。

小柄な私は戦場を「縦横無尽」に駆け巡り、大柄な兄は戦場中央で4名を相手に「獅子奮迅」の働きをしています。他の2名もさすがに歴戦の勇士に相応しい「真剣勝負」を、それぞれ複数の敵を相手に繰り広げています。
しかし、「ちょろい」と踏んだ敵の反撃も凄まじく、戦いは膠着状態に陥ってきました。
こうなってくると、少数の我々にとって、不利な状況となってしまうのは時間の問題です。

「関ケ原の合戦」を当時の我々は知る由もありませんが、今振り返ってみると、「西軍」が我々の状況といえます。
ただ、それとの相違点は、「両軍の見かけの戦力(人数)比」と「西軍に裏切り者は無し」という2点だけです。

一進一退の攻防が続きましたが、時間は我々を徐々に、そして確実に「敗戦」へと導いていこうとしています。
戦力不足はいかんともし難く、このままでは「敗戦確実」という、正にそのときでした。
3~4名の「戦士」が我々の合戦に乱入してきたのです。

無我夢中の我々は戸惑いながらも、眼前の敵との激闘中の出来事に、状況を把握する余裕はありません。
闘っている者がひとり、又ひとりと徐々に減っていくのだけは、半分朦朧とした意識の中で感じ取っていました。
ふとわれに返った時には、そこに立っていたのは満身創痍の我々4名と、ケロリとした2名のあの「戦士」でした。
そう、「ふたりだけ」です。
そのあまりにも精強な戦い振りは、2名を3~4名と錯誤させるほどのものだったのです。

状況的に若干の違いはありますが、「小早川秀秋軍」が「家康本隊」の側面に突っ込んだ、といえばおわかりいただけるかと思います。
闘い済んで放心状態の我々に、「小早川秀秋」はニッコリと「最高の微笑」で応えてくれました。
「義はわれにあり!」石田三成は正しかったのです。

聞けば、「常陸の国の出」だというその「助っ人」は、我々に対する東軍「家康」の老獪な振る舞いを、当初の頃より見ており、苦々しい思いをしていたとのことでした。

でも、なんかヘンな人達でした。
大恩人に対して失礼だとは思いましたが「○○だっぺ」には笑いをこらえるのに・・・いえ、腹を抱えて大笑いしてしまいました。


明日に続く

Posted at 2003/10/11 14:29:36 | コメント(1) | トラックバック(0)
2003年10月10日 イイね!

「恩人」と「恋」

もう遠い昔のことですが・・・。

そう、私が小学校5年生のときですから、今から30年以上も前の話になります。
当時、私、兄(6年生)、私の同級生ふたりの計4人で、毎週日曜日にスイミングスクールに通っていました。そのスイミングスクールは池袋の「マンモスプール」(現在はもうありません)というところでやっており、「スパルタ教育」でけっこう有名でした。
名前からして、「井脇水泳学校」という「いかにも」ですので、正座、ビンタなんていうのは序の口。気合が入っていなければ、血反吐はくまで泳がされました。
そんなところに2年間も通っていたのですが、夏休みに実施する「夏季合宿」は毎日が、それはもう「地獄」でした。

その合宿は「学校生」以外にも門戸を開いており、毎年、ほぼ関東一円から、200人くらいの参加者があったと記憶しています。
「少年の船」と銘打ち、カーフェリーに「拉致」され(当然親同伴ではありません)、その年は九州宮崎の日向まで連れて行かれました。

私達兄弟と友人達は、武蔵の国は「小江戸」と呼ばれたところで生まれ育ったのですが、その当時は田畑の広がる、まだまだ田舎の面影が色濃く残ったところでした。
当然、言葉の方も「訛り」がありました。
「○○だぜ」というのを「○○だで」(イントネーションは「だぜ」と同じ)と、何の疑いも無く使っていました。当然といえば当然なのですが、当時子供の我々は、「標準語をしゃべっている」と固く信じていました。

そんな「田舎者」の4名が、東京のスカしたマセガキ共約10名の「餌食」となった合宿でした。
「だでぇ~、だでぇ~」と、私達の「標準語」を無惨にも打ち砕いてくれたのです。
それはもう、恥ずかしさと怒りと虚しさと・・・。どう表現したらよいのでしょう・・・。
往路の航海は、こうして始まりました。

「スパルタ」で鍛えられている私達は、反撃の機をうかがいました。
一対一なら絶対に勝つ自信はありましたが、こちらは4人で相手は10人。劣勢は火を見るよりも明らかです。かといって、ひとりづつ「狙い撃ち」にするのも「潔しとせず」などと、プライドだけは一丁前にもっていました。

モンモンとした「時」が半日ほど過ぎ、その事件はおこりました。
デッキでバッタリと「両陣営」が対峙したのです。


明日につづく








Posted at 2003/10/10 21:19:05 | コメント(2) | トラックバック(0)
2003年10月08日 イイね!

「打ち上げ」失敗!

は~~~。
「あたたたたたっ!」とキーボードが打てるようになりたい。指を1.2本(右人差し指1本分、左人差し指0.2本分)しか使っていないので、おそーい!
たまに、まんなかのふといやつがカツヤクすることもあるが、このサイトで、そんなことはない。

らすかる号につづけとばかりに、わが愛車(名無し)を雷蔵さんに打ち上げていただいたが、私のせいで軌道投入に失敗。なんとも無様で情けない。

だぁってぇー・・・、おしごといそがしいんだもん。(雷蔵さんは、たまにはおさぼりすることもあるらしい)
うちの会社にも、彗星さんのような上司がいるんだもん。

ところで、「雷蔵さん」と呼んでいるのは私だけのようだ。他の皆さんは「嵐田さん」である。なれなれしいぞ。
最初からだから、いまさら変えるわけにもいきづらい。どうしようか・・・。

えーい、このままイッちゃえー。
Posted at 2003/10/09 01:42:29 | コメント(2) | トラックバック(0)
2003年10月07日 イイね!

友情

友情本日(って、もう8日です)、つくばと江戸川を結ぶ友情が二つ、誕生した。

2003年9月28日に、こちらへ仲間入りをさせていただいたものの、肝心の「画像」を持ち合わせていなかった。
理由はといえば、なんのことはない。ただ、カメラというものを持ち合わせていなかったということだ。
そして本日、その念願の「画像」をアップすることができた。カメラを購入したというわけではない。「他力本願」。そう、さるお方に撮っていただいたものだ。

そのさるお方と、初期登録以降メールのやり取りにて親交を深め、本日お会いし、わが愛車の撮影をしていただいた。仕事なのに・・・無理にお願いして・・・。

さるお方と私、エスクード界のスターとわが愛車。
この二つの「友情」を大切に育んでいきたい。

Posted at 2003/10/08 03:05:51 | コメント(2) | トラックバック(0)

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干支:寅、動物占い:ライオン これで「しし座」生まれだったら完璧だったのに・・・・・ こんな野郎ですがどうぞ宜しく(^^)/
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