この記事は、
久しぶりに胸糞悪い話題です。について書いています。
トラックバック先で、お笑い芸人・出川哲郎氏のご愛車・ポルシェが犬に汚され、落書きをされると言う演出がテレビであったという事が書かれていました。
とても残念な事が起こったのだと思っています。
あくまで、テレビの演出であり、氏がテレビから仕事を頂いている以上、出川氏は文句を言える立場ではなく、製作陣の思惑通りのリアクションをとる以外の選択肢は無いのかもしれません。職業柄、ある種の正当性のもと行われた事ではあるでしょう。
私はトラックバック先の記事を書かれた方と同様にこの演出を面白いとは天地がひっくり返っても思えないです。
仕事上の正しさはあれど、この演出は人の気持ちを踏みにじる行為であり、人道的とは言い難い仕打ちであるように思えます。
最近は人の気持ちを無視してものをいう人が増えたようにも思えます。
こういう番組を作れてしまう、公共の電波に流せる神経を持った人がいる以上、人の気持ちを考えられない人間が増えているのでは?と思ってしまいます。
私や、私の仲間のように、クルマは家族であり、相棒である。単なる移動手段以上の気持ちで接している方は多いのではないでしょうか?
想像してみてください。 家族が犬に襲われている光景を。
想像してみてください。 抵抗できないように拘束された家族が落書きをされ、辱めを受けている光景を。
仕事である以上は正しいでしょうが、これを胸を張って正しいと叫べますか?
私は正しさを以てこれを論ずるつもりは毛頭ありませんが、この演出は非常に残虐かつ非人道的なスナッフムービーと同じ性質を持つ胸糞悪い演出だととらえております。
「俺は正しい」
そう言って相手に接する人は多いです。
その中には「お前は間違っているから俺に従え。異論は認めない。」というメッセージも含まれているように感じます。
聞き手の気持ちは配慮されているでしょうか?
聞き手も自分は間違ってると思いたいでしょうか?
その会話や議論は正しさを以て相手を押し潰すことが目的なのでしょうか?
正しさって、何のためにあるのでしょうか?
自分の言い分を一方的に押し付け、相手の気持ちを踏みにじり、相手に何も言わせないためにあるのだとしたら私は正しさと言うものに対しても上のテレビ番組と同様のものだと思えてなりません。
決して正しい事を言うわけではないでしょうが、「正しさ」を追及するより、人の気持ちに寄り添い、今よりもより良い未来を作っていく。と言う姿勢の方が私は好ましいと思います。
私は生きている中で、大なり小なり何度も間違いを犯してますし、自分は絶対に正しいのだと声高には言えるほど偉くないですからね(笑)
Posted at 2014/06/12 23:31:33 | |
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