三重県伊勢市にある神宮(いわゆる伊勢神宮)は皆さんご存知と思います。元々は当時の皇居内に祀られていた祭神・天照大御神を現在の伊勢の地に鎮座させるまで、理想の地を求めて各地を転々と遷座させたという伝承があります。本日はその伝承地の一つとされる、京都府福知山市にある元伊勢三社(豊受大神社・皇大神社・天岩戸神社)を回ってきました。
こちらは豊受大神社の鳥居です。ここの鳥居、杉の木を外皮を剥かずにそのまま用いている珍しい形式です。
鳥居の向こうに見えてくる、豊受大神社の全貌。
拝殿です。
拝殿の周りには計 37 の末社があります。この形式は出雲大社と似ていますね。
本殿と、その後方に生えている杉の大木。本殿は茅葺、屋根には杉の幼木でしょうか、何本も生えていますね。
さてこちらは豊受大神社から 2 km ほど北西に行ったところにおわします皇大神社の鳥居です。豊受大神社と同じ形式の、外皮を剥いていない杉の木で造られた鳥居ですね。
こちらが拝殿になります。
拝殿を囲むように、計 83 の末社が建てられています。
境内にさざれ石を見つけました。
皇大神社から奥宮である天岩戸神社へ向かう途中で見られる岩戸山。この山は天岩戸神社の御神体と信じられ、禁足地とされています。この山を拝むと、願いが一つだけ叶うそうな。
こちらが天岩戸神社が建てられている宮川の渓流です。辺りに見られる大きな岩を磐座として祀っております。
で、天岩戸神社の社殿の写真はありません。参拝するためには鎖場を登らなければならず、両手を空けるためにカメラをしまっちゃったからです。
ちょっと離れたところから撮れないこともなかったんですけど、なんかここは撮影することが憚られまして、はい。
さて本日訪れたこれら元伊勢三社を含む各地の元伊勢ですが、一般の神社でも鎮座地を求めて各地を遷座する話は珍しくないのであってもおかしくはないことと思います(全部の地を遷座したかどうかはまた別の話になりますが)。
ただ、天照大御神はその名の通り太陽の神様ですので、当時の都であった奈良辺りから見て東にある伊勢の地に鎮座したのは、あちこちをさまよった末というよりは最初から計画されていたことのような気がします。では、何故いくつもの地を遷座したのかというと、太陽の神様である天照大御神が奈良から伊勢へ、つまり西から東へ動くのは自然に背く行為だから、なのではないかと思っています。太陽は東から南側を通って西へ向かいますから、その動きには逆らわないよう、わざわざ北側を回って東の方向へ移動して戴いたのではないか、と、僕の勝手な推測ですが。
Posted at 2017/04/22 16:36:32 | |
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