
6泊7日に渡った舞鶴&岐阜遠征の2日目(3月8日)です。
2日目の朝は豊岡市出石町にある出石城&有子山城からお城巡りをスタートさせます。
実は、前夜の宿で事前に出石城&有子山城について緊急ネット調査したところ、山城である有子山城では岩場直登の険しい登山になることと熊出没注意の恐ろしい情報を知ってしまいました。 そのため夜は震えて眠った。
宿から出石城は近かったです。 朝8時前、管理人不在の大手前駐車場に勝手に侵入して停める。

駐車料金1回400円は生きて下山できたならば後払いするつもり。
なお、事前のネット調査では近くに無料で停めれる場所もあるらしい。

ですが、お城をバックに撮影したいと思い、敢えて有料の大手前駐車場を選びました。
すぐ後ろに見えるのは出石城跡。 石垣の上に2つの隅櫓が見えてます。

出石城はもともと天守は建てられなかったらしいです。 出石城は最上段の稲荷曲輪、隅櫓がある本丸、二の丸、下の曲輪、そして平地部の三の丸まで階段状に曲輪が配置されたお城でした。
すぐ手前にある出石城跡は良いのですが・・
問題はその奥にそびえる標高321mの有子山山上に築かれた有子山城跡です。

岩場直登&熊出没注意の有子山城跡に登るのを決断するには相当な覚悟と勇気がいりました。
決心するには少々時間を要しました。 駐車場の周辺をうろうろ徘徊。

三の丸跡の石碑。 駐車場を含め内堀に囲まれた広い平地部分が出石城の三の丸でした。
出石城&有子山城は2つ1セットで続日本100名城に選定されています。

スタンプ設置場所のいずし観光センターはまだ営業開始前で閉まっていた。
自販機でミネラルウォーターを買いました。 サントリー奥大山の天然水が売られていた。

山城登山ではペットボトル片手の軽装姿がいつものパターンです。
と、とりあえず攻略が簡単そうな出石城跡から攻めます。

出石城は有子山の麓に1604年に築城されました。 (有子山城はその前に1574年築城)
いざ、出石城。

その背後に控える有子山城跡から異様な圧力を感じる。
登城橋

かつては埋門があった場所。 江戸時代はここに川は無かったので登城橋も存在しなかった。
登城門(1994年建造)
登城門の左右にある石垣は江戸時代からの現存。

崩落防止のためか金網で補強されていた。
登城門から大手前駐車場を振り返るとこんな感じ。
登城門を潜って下の曲輪。

〇〇先生の石碑。(読めない)
下の曲輪から見る二の丸石垣。
隅櫓(西)を見上げる。 現在、本丸の東西に建つ2重櫓の1つ。

もともと西側には隅櫓ではなく多門櫓が建っていた。 現在の隅櫓は1968年の模擬建築。
二の丸に上がりました。
二の丸

政治を行う役所が建ち、本丸の城主御殿と渡り橋で連結していた。
二の丸の東側に出ると最上段にある稲荷神社への石段と鳥居。 お城坂(稲荷参道)。

本当は平地部の三の丸から始まってますが、途中の二の丸からここを通ります。
隅櫓(東)を見上げる。

1968年の模擬建築。 かつては本丸東端、二の丸東西に合計3基の隅櫓が建っていた。
本丸に上がってきました。
本丸にあった出石城の石碑。
隅櫓(東)
隅櫓(西)
本丸に建つ感応殿(かんのうでん)は戦国武将・大名の仙石権兵衛秀久を祀る。
信州小諸城の城主だった人で、その後は信州上田を経て出石へ。
このとき一緒に信州から移った蕎麦職人から技法が伝わり出石皿蕎麦が誕生。
出石皿蕎麦は一度食べたいと思ってますが、まだ一度も食べたことがありません。
本丸から稲荷曲輪の高石垣(高さ13.5m)を見る。

出石城の最上段は本丸ではなくて、この上にさらに稲荷曲輪というのがありました。
稲荷曲輪に上がって。
出石城の最上段に建つ有子山稲荷神社を参拝。

有子山城登山の無事を祈る。(-人-)
稲荷曲輪の東側、同じ高さのところに有子山城跡への登山口がありました。

いよいよ有子山城への登山となりますが、岩場直登&熊出没注意への恐怖はまだ拭えてません。
少しの時間ここで立ち尽くし、心の落ち着きを待ちました。
このブログ続きます・・。<(_ _)>
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ボクスター | 日記
Posted at
2019/03/28 00:06:01