あまりにも地味過ぎるアクティビティであったため、みんカラブログでの投稿は見送ろうかと思ったのですが、今年力を入れてるお城活動の一環として記録に留めておきます。
一応少しばかり車ネタもありますが、それもまた地味な内容となっています。
なお、このブログで4月分までのネタは終了です。
(ブログ進捗遅れています)
近年、米子城跡では様々なイベントが催され、とても頑張ってるお城という印象があります。
これまで、以下のような関連イベントに参加してきました。
2016年 :
米子城を極める! 現地ウオークに参加 (前編)、
(後編)
2017年 :
石垣で魅せる! 山陰三城跡シンポジウム、
お城学者 加藤理文さんとめぐる! 米子城 (前編)、
(後編)
2018年 :
2018新年明けまして米子城
その流れで今回のイベントにも参加してみることにしました。
史跡米子城跡発掘調査現地説明会2018
現在、米子城跡では史跡内の発掘調査を平成27年度から進めています。 平成29年度は本丸北東側で、既存の絵図には描かれてない竪堀(たてぼり)を確認することが出来ました。
竪堀とは、斜面を登るように設けた堀で、敵の横方向への斜面移動を遮断するもので、中世の山城などで多く作られた防御施設です。
今回は、発掘調査中で普段は立入禁止である竪堀を見学する現地説明会が催されたのです。
聞くからに地味でマニアックな内容でしたが、他に予定も無かったので現地に行ってみました。
米子城跡遠景。 米子城跡は標高90mの湊山山上に天守閣が築かれたお城でした。
ボクスターを停めた駐車場は西側に位置し、元々は海であって埋め立て造成されたものです。
直前にホームセンターで買い物してから行ったのですが、集合時間より1時間早く着きました。
実は、センターコンソールの小物入れにタッチペンを入れてるのですが、以前に蓋をきつく閉めたら塗料でくっついてしまい開かなくなったことがあり、それ以降は蓋を緩めに閉めていました。
ところが・・
ある日、車内がペンキ臭くなり、気付くと小物入れの中でタッチペンの塗料が漏れてしまってた。
慌ててタッチペンを取り上げると、今度はセンターコンソールの上に塗料が落ちてしまった。
零したときはすぐ気付かなくて、それに気付いたときにはもう塗料が固まってた状態。
そこで、ホームセンターで買ってきたのがシンナーです。
スプレーシンナー。 塗料を零した場所に噴きかけ、塗料を溶かしてからウエスで拭き取る。
それを繰り返して元通りの綺麗な状態にしています。 (画像無し)
そんな作業に熱中してたら時間になったので、集合場所の枡形虎口に行きました。
地味でマニアックな内容なのに、意外にも多くの人が集まっていました。 約160人だとか。
殆どは年配層の方々です。 家族連れで小学生くらいの子も見える。
配布された資料です。 発掘調査現地説明会の資料、米子城跡ガイドマップ。
年間で続く米子城関連イベント用のスタンプ台紙もある。
それから全員で列になって、竪堀の発掘調査現場へ移動。
普段は立入禁止区間で登山道は整備されてません。 急な斜面を登って見えてきた竪堀。
市の文化振興課の職員さんがガイド役で、土のう積みの上に立ち説明して下さる。
竪堀は、二の丸枡形から本丸番所跡方向に直線的に延びています。 堀の全長は約63m、堀の幅は上端で約13m、深さは北壁側が約6m、南壁側で約2mを測り、北側は急崖となっています。
竪堀を登ってから後ろを振り返る。
一帯は樹木で覆われてたのですが、近年の発掘調査で伐採を進め竪堀の発見となりました。
ここで今回の発掘調査で竪堀の底から出土したという月山富田城と同じ文様の軒平瓦(のきひらかわら)を見せて下さりました。
この瓦には小槌の左右に宝珠を配した中心飾り、そのまた左右に唐草文が配されています。
月山富田城と米子城の城主だった吉川広家の時代の瓦と考えられ、湊山山上に吉川広家が建てた瓦葺建物が存在していたことが推測されるのだそうです。
本丸の石垣に上っていきます。
この段階ではもう参加者たちの行列は消滅して自由行動になってます。
本丸石垣の上にある番所跡から竪堀を眺める。
米子城跡の発掘調査では、平成29年度に確認された竪堀の他、平成28年度に確認された登り石垣、平成27年度に確認された水手御門下郭と八幡台郭があります。 参加者たちは各々見学したい場所に散りました。 竪堀を見た後はもう自由解散状態。 もう帰ろうか。
最後は山頂の天守台跡に上ってみました。 ここは360度パノラマ景色が望めます。
青空は広がり、風が通って気持ち良い♪ 以上、米子城跡発掘調査現地説明会への参加でした。
Posted at 2018/06/06 19:13:34 | |
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