1992年からわずか3年間のみ販売された“伝説の軽自動車 オートザム AZ-1”
販売当時の価格も“軽自動車の中でトップレベル”で、バブル崩壊などの条件が重なったためか?不人気車となり、短命に終わってしまった。皮肉なもので現在は、中古車市場に
おいては一転“年々高値安定車”として人気車になっている。販売開始から今年で、
“20周年”を迎える。その前に、“オートザム AZ-1”の魅力を再確認したいと思う。
AZ-1の話をする前に、デビューするまでの過程ついて説明しておきたいと思います。
1983年11月 「マツダの研究開発部門」で、「オフライン・ゴーゴー」と名付けた、
プロジェクトがスタートした。その当時、“5代目ファミリア(1980~1985年)”
第一回日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞(1980-1981年)や

“4代目カペラ(1982~1987年)”第三回日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞
(1982-1983年)といったメインライン製品は、一応軌道に乗って、
“初代サバンナRX-7(1978~1985年)”も発表当時は、スーパーカーブームの
さなかであり、日本製スーパーカーとして話題となり好調であった。
しかし自己満足は停滞を生むのもあり、中規模メーカー「マツダ」が成長する道は、
他社にはない“個性的な製品”を生み出すことであった。
1985年暮の当時の「マツダ」では、3種のまったく新しい機種構想が
並行進行していた。
その一つが、以前にも紹介をした“ライトウェイトスポーツ=LWS”のちに、
世界的大ヒットを記録することとなる“ユーノス・ロードスター”である。
(1989年9月発売開始。)
二つ目が、技術とデザインの面を含めて、日本の自動車業界として一つの契機となった。
新しいカテゴリーの多目的高級サルーン“MPV”である。
(1988年北米向けに生産を開始、1990年からは国内販売も開始した。)
三つ目が、国内ディーラーが切望していた“軽自動車の復活”だった。しかしながら、
現状では“量産化としては三者択二”と思われていた。ところが、そこに新軽用に
“スズキ”から「プラットフォームとメカ供給」の話がまとまり、3車が成立する。
「オンライン」に乗り、それぞれ開発開始のゴーサインが出た。
最初に選ばれたのが“キャロル”で、「プラットフォームやエンジン」を“スズキ”から
供給して貰い、内外装を独自デザインで開発した。
(1989年11月発売開始)
また、“OEM車”として、“スクラム バンとトラック”も発売された。
(1989年6月“マツダ スクラム”として発売開始されたが、1990年3月
“オートザム スクラム”に車名を変更している。)
1994年9月から追加“OEM車”として、“オートザム AZワゴン”が発売された。
いよいよ“オートザム AZ-1”の話になっていくのであるが、そのベールを脱ぐのが1989年に
開催された“東京モーターショー”で参考出品された「AZ550 Sports」とされている。同時に
発表された3タイプのボディのうち、Aタイプが市販型にもっとも
近いとされています。 写真は、のちのAZ-1のベースとなったタイプA。
ハードなスポーツマシンをイメージしたクーペボディのタイプB。
プロトタイプレーシングカーを模したタイプC。
合計3台を出展し展示した。
自分的には、タイプCで市販してほしかったな~♪
今日はここまで!! 明日は(スケルトンモノコック誕生から発売まで!!)
話したいと思います。

オートザム AZ-1編 (E-PG6SA) マツダ 名車列伝 エピソード2
を終わります。 間違えがあったらごめんなさい。
では、昼食をとって仕事に戻ります♪
Posted at 2012/08/23 12:05:32 | |
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