“マツダ”もバブル全盛期時代の“1989年”に多チャンネル体制を展開したことが
あります。そのことが、この先“マツダ”を“経営危機”に追い込む形になり、
1996年4月 出資比率33.4%となり、米・フォード傘下に入ることになろうとは、
その当時“経営陣”は、夢にも考えてはいなかったに違いない。
(5チャンネル体制の失敗。)
今日からは、“フォード傘下に入る前”までの動きで、“短命で消えていったクルマ”
さらに、“フォード傘下直後”に入って“短命で消えていったクルマ”と、
その後“マツダ”の動きについて話していこうと思います。(チャンネル再編などを中心に)
1989年“マツダ”が5チャンネル体制を展開する。
① マツダ店
② アンフィニ店
③ ユーノス店
④ オートザム店
⑤ オートラマ店
扱う車種の内訳は、ファミリアなどの小型車・商用車・高級車と幅広く扱う“マツダ店”
RX-7やMS-9等のスポーツカー系・高級車を扱う“アンフィニ店”
ユーノス・ロードスターを始め、ヨーロッパのイメージを持たせ扱った“ユーノス店”
軽自動車(キャロルなど)・小型車を中心に取り扱った“オートザム店”
フォードブランド(フェスティバなど)車を扱う“オートラマ店”という体制を構築した。
“好景気を背景”に“収益増大”を狙った“広告代理店”の提案に、当時の住友銀行から
送り込まれていた“経営幹部”が乗ってしまった事もある。
しかしながら、“マツダ”のような中規模メーカーに見合わない急激な“多車種展開”は、
“ブランドイメージ”の著しい拡散と販売台数低下という形で跳ね返ってきた。
明日からあえて取り上げていきたいのが、その波の中で“短命で消えていったクルマ”に
“スポットを当てて”話していきたいと思います。
(発売時期の順番は関係なく、車種を絞って紹介していきたいと思います。)
年代でいえば、1987~1997年に発売された“クルマ”の中で“5チャンネル体制”
の波を“マトモニ”受けて、消え去ってしまった“クルマ”たち・・・
間違えがあったらごめんなさい。 シリーズ1を終わります。
明日のシリーズ二回目は、“アンフィニ MS-9”を紹介したいと思います。
では、仕事に行ってきます。
Posted at 2012/09/25 07:27:47 | |
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