厳しい競争社会の現在、地位や名誉、お金、異性などは他人との競争に勝たないと得られない。 誰かが出世して社長になれば、その他の人はなれないし、誰かが素敵な異性を得たらその他の人は得られない。お金も限りがあるため、誰かが沢山集めるとその他の人は得られない。 すると自分だけは幸せになりたいと思い、他人との競争に勝つため利己的な考えになってしまう。 もちろん常に競争に勝てるわけではなく、負けた時には相当苦しむこととなる。 仮に他人に勝ったとしても、その競争過程では苦しみ、勝った時は満足するが、それも一時的で、その状態を維持するためには、苦労が伴い油断できない。 結局、自分だけが幸せになりたいという、利己的な目的の場合、勝っても、負けても苦痛を伴う。 どうすればよいのか考えたとき、仏教では利他という、自ら他人を利することを続けることで、類は友を呼び、自分の周りにも同じように利他の行いをする人を増やし、最終的には他人と自分も一緒に幸せになるという急がば回れの考え方がある。 ただ、利己的な他人の利己的な望みを助けても、更に利己的になるだけで意味がない。 現状では、悩んでいる他人、病気やけがなどで苦しんでいる他人の苦痛・悩みを和らげる手助けすることで、利他の実践をすることが、この世で与えられた私の使命ではないかと思う。