2012年04月19日
毎日新聞社
常滑市消防本部の男性救急救命士(39)が11年2月、救急救命士法で認められていない点滴治療を患者に施した問題で、市は11日、救命士を10日付で文書訓告処分にしたと発表した。
市によると、救命士は交通事故で出血性ショック状態だった男性に救急車内で輸液を点滴投与した。救急救命士法では、心肺停止状態の場合に医師の指示を受けて点滴できるが、男性は心肺停止状態ではなかった。救命士は同法違反の疑いで書類送検されたが、不起訴処分になった。
出血性ショックで輸液をすることは正しい判断・行為だと思います。
むしろ、心肺停止状態で、エピネフリン投与目的で点滴することは、
ルート確保が難しく、できないことが多い気がします。
救急救命士法・・・おそらくあまり医療に詳しくない人が考えたのでしょうか?
釈然としない法律です。
Posted at 2012/04/19 17:58:00 | |
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2012年04月18日
毎日新聞社
香山リカのココロの万華鏡:演技でも感謝の一言を /東京
何かとあわただしい4月が始まり、診察室でも「落ち着かない」「イライラする」といった声を聞くことが多くなった気がする。「会社や家でキレやすくなった」という人もいる。みんな「これじゃいけない」と思っているが、なかなか気持ちをしずめることができないのだ。
そんなとき、身近にいる誰かから「いつもたいへんでしょう」「たまにはゆっくり休んでね」といったやさしい言葉をかけられたら、どんなにほっとするだろう。張りつめた心がほぐれて、それだけでも疲れが半減する気がするかもしれない。
それなのに、忙しい人のまわりにいるのはたいてい“もっと忙しい人”なので、なかなかねぎらいの声をかけられない。
診察室である女性が、こんな話をしてくれた。多忙な職場で働くその女性は、家に帰ってから急いで食事の支度をする。深夜近くなって帰宅する夫は、帰るなり「なんだ、今日も野菜炒めか。たまにはさっぱりしたものを食わせてくれよ」と料理に不満を述べる。すると女性も思わず、「今朝、ごみ出ししてくれなかったでしょ! あんなに頼んだのに」ととがめてしまう。「本当は“遅くまでおつかれさま”と言いたいし、言ってほしい。でも、言えないんです。相手のミスを指摘し合ってしまうんです……」
疲れていると、どうしても「ありがとう」「おつかれさま」より、「どうしてやってくれないの?」「もっとこうしてよ」と不満や要求を口にしたくなる。これは、どんなに地位の高い人や賢い人でも同じなのだ。でも、そこで「ちょっと待てよ。相手はいまそんな言葉を言ってほしいかな」と立ち止まることは、誰にでもできるはず。
顔を合わせたとたん、「だらしないわね」「こっちだってたいへんなんだ」とチクチクと身近な人を攻撃し合うのはやめて、まずはにっこり笑って「今日も一日おつかれさま」「こちらこそ、いつもありがとう」。「思ってもいないことは言えない」という人もいるかもしれないけれど、たとえ演技だっていいではないか。ねぎらいの言葉をかけるうちに、「そうそう、今日も無事に帰ってきてくれただけでも、ありがたいわね」「この人のこと、大切にしなきゃな」と本当の感謝の思いも生まれてくるというものだ。どうしても伝えたい不満があれば、その後なら相手も素直に「そうだよね」と聞いてくれるはずだ。
まずは、鏡の前で笑顔と「ありがとう」の練習を。最初は“芝居”から始めてもよいのだ。
私も得意の営業スマイルから始めるぞと。
Posted at 2012/04/18 16:33:38 | |
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2012年04月17日
脳梗塞の前兆の発作を医師が見逃し治療を怠った結果、脳梗塞で半身まひなどの後遺症を負ったとして福岡市の70代女性が、救急搬送先の同市の村上華林堂(むらかみかりんどう)病院側に約8千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、福岡地裁は16日までに440万円の支払いを命じた。
消化器などの担当医が対応したため、専門外でも脳梗塞を疑う発作と診断する義務があったかが争われ、増田隆久(ますだ・たかひさ)裁判長は「発作は一般的な医学文献に載っており、非専門医でも診断すべきだった」と判断した。
16日に記者会見した原告代理人の弁護士は「専門外の診断義務について判断基準を示した判決は例がない」としている。判決は3月27日に言い渡され、確定した。
判決によると、女性は2009年3月、飲食店での支払い時に硬貨を何度も落としたため、店主が脳梗塞を疑って119番通報し搬送されたが、同病院の医師は発作と診断せず、15日後に別の病院で脳梗塞と分かった。
判決は、発作だと診断していても脳梗塞を完全には防げないとしたが、重篤な後遺症の発生を免れた可能性はあったと認定した。
病院側は「十分な診療をしたと考えているが、紛争の長期化を避けるため控訴しないことにした」とコメントしている。
なかなか厳しい世の中ですね。
Posted at 2012/04/17 18:45:05 | |
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2012年04月16日
昨日も子供と一緒にお仏壇にお参りすることができた。
穏やかな一日を頂き感謝した。
お香をたき、お鈴を鳴らし、お仏壇を見ると、それぞれ
嗅覚、聴覚、視覚が刺激され、集中できた。
落ち着いてお参りをすると、自分の中の神聖な
気持ちが引き出される気がして落ち着けた。
桜も散り始めたが、週末は家族で旅行ができて
良かった。
ついでに安部礼司も聞けたので、
今週もいいスタートができた。
Posted at 2012/04/16 16:33:23 | |
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2012年04月15日
『他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である』
ラッセル
確かに自分と他人を比較することは無益な気がする。
なぜなら私、あなたなど言語を用いて頭の中では区別しているが
生物学的な視点からみると、自分という確立したものは無く、
他人と自分を厳密に区別することができないから。
福岡伸一先生によると、ヒトを構成している全ての細胞は分子・原子でできており、
消化管の細胞で一日、筋肉で二週間で、入れ替わる。最終的には
全ての体の分子も一年で入れ替わってしまうとのこと。
ということは、一年前の私と今の私は分子がすべて異なっており、別人と
いうことになってしまう。
つまり、食事・排泄・呼吸等を通じて他の生物と分子のやり取りを
常にしているということになる。
このように、自分という存在でさえ、一定せず常に移り変わり、
同じように地球上でも、毎日生命が生まれると同時に亡くなり、入れ替わっている。
他人、自分などと区別せずに
同じ地球に暮らす生命体として、協力して生きていくぞと。
Posted at 2012/04/15 13:50:14 | |
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