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NCLapinのブログ一覧

2011年02月06日 イイね!

転車台再び

 再び天竜二俣駅に行ってきました。
200円を払ってツアーに参加。ちなみに今の時期は金曜~月曜日+祝日の10:50と13:45、1日2回予約不要です。天浜線で来ると料金が100円に成ります。

駅舎の隣りに昔の腕木式信号機が有ります。


駅構内には退役したディーゼル列車とブルトレあさかぜ号のB寝台車が静態保存されています。


そして登録有形文化財に指定されたホームを通って

転車台の有る建物に。

窓から中を覗くとイベント列車のヘッドマークが有り

その中には今は使われていない運転区浴場が。
ここも登録有形文化財に指定されています。


今回は前回と違ったアングルで。

ビデオの方は転車台の1回転+扇状車庫から発車する車両になります。


そうそう、撮り鉄連中のマナーの悪さがニュース等で上げられて居ますが今回居ました。
ツアー代払わずにツアーの列にこっそり着いてくる奴らが!

しかも天浜線に乗って来たんだから¥100支払うだけなのに。
Posted at 2011/02/06 22:57:03 | コメント(1) | トラックバック(0) | 鉄分 | 日記
2011年02月06日 イイね!

廃線探訪 光明電気鉄道 1

 今日は午前中に地元の自主防指導で出動。その後お昼頃まで布団を干しながらウダウダしながら過ごしてましたが、お昼過ぎから雲が出てきたので布団も取り込みやる事が無くなってしまいました。

それならまた天竜二俣駅で転車台を見に行くかと思いたって出かけました。
でも車なんだけどね。

 転車台は後で再紹介するとして今のJR磐田駅から天浜線の一部を通り天竜二俣駅からさらに北に向かう「光明電気鉄道」ってのが有ったのを思い出しました。

ちなみに昭和3年~10年のたった7年間だけ運行していた当時では最先端を行っていた電気鉄道でしたが、経営計画が悪かったのか最先端に行き過ぎていたので運賃が高かったのか昭和10年で運行停止。その4年後に会社が解散したそうです。

その後その一部の路盤を使って国鉄二俣線が開通したそうです。

今回はそのほんの一部を紹介します。

まず今日の出発点は天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅。この駅舎は改修を重ねている筈ですが昭和15年の1月、今から70年以上前に立てられた駅舎です。ちなみに国登録有形文化財に登録されています。


駅舎から西に200m程行った所右手に怪しげな石の台の様な物が。

これが今から70年前の阿蔵駅跡です。
何とか形を保っていて階段も残ってます。でも実際はこの2倍の長さが合ったらしいです。


その阿蔵駅跡を更に西に行き

県道の向こうの床屋を通り越すと

昭和2年に出来た橋に。


橋を背にして周りを見回したら。
民家の奥に何やらトンネルが。これが阿蔵隧道、光明鉄道がここを通っていたそうです。

その反対側も塞がってますがトンネルは健在。
前後とも民家の敷地内だったので外からの撮影です。

この後終点二俣駅に行くんですがそこは既に美術館に成っていて駅跡は陰も形も有りません。

ってことでほんの少しですが当時の路線跡です。
実際は二俣駅から北も計画されていて一部工事も着工していたそうですが最終的には未成線になったそうです。


残りは暖かく成ったら磐田駅から遡ってみます。
Posted at 2011/02/06 22:38:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄分 | 日記
2010年12月11日 イイね!

廃線探訪 遠鉄奥山線 完結編

先月の奥山線探訪の続きです。
今日は朝9時頃から自宅をスタート。クリエイト浜松でナビの電源ONしてルートログ収集開始しました。

スタート写真は前回の使い回しです。

今回のルートログです。
赤枠と番号は、以下参照して下さい。


スタート直後の地図。右側がカットされてるのはここの設定ですね。
詳しい地図は掲示板を参照して下さい。

昔の駅から新川沿いに出て行く所。画面真ん中から右手に向かって線路が有った様です。


前回ここの道(↓)が奥山線跡だと思っていたら

ここの石垣上が線路跡でした。場所は①の地図参照して下さい。

↓が証拠でした。

よく見ると奥行き(画面左~右)が少しの建物が沢山。

暫く行くと児童公園が有りここが「北田町」だった様です。


前回の使い回しの広沢トンネル。

その近くに車輪だけ残して車両部分だけ昇天したみたいなモニュメント。


場面はずっと飛んで都田口周辺。

旧駅跡にはパチンコ屋が建って居るんですが、そこの交差点に枕木を地面に突き刺したモニュメント(?)が有りました。

これも使い回し。
旧都田口駅跡。

ここから金指方面に入っていきます。

そしてここでもルート修正。
土手の上が線路跡だと思ったら(↓)

このガードレールの下(↓)

つまりここが線路跡。これは西側です。

ビニールハウスと法面の間が線路跡です。
これは上の写真の反対側で東側。既に線路跡は埋められてしまい今では見る影が有りません。農作業中のおばあちゃんに聞いた所、ここから東の都田口の間もかなり埋め立てられたそうです。


場面はちょっと飛んで金指手前~気賀高校近辺

電柱に隠れて判りにくいですが田んぼと赤い雑草が微妙に左にカーブしています。
そこが線路跡らしいです。そしてみかん直売所の入り口を入って金指駅に。

使い回しの跨線橋を通り越して、

天浜線との並走区間。


岡地~気賀口

現在の気賀高校前駅の手前に「岡地駅」が有ったそうです。
左の民家がその跡に建てられたそうな。

民家の基礎に使われているのはその「岡地駅」のホーム。


次は「気賀口駅」跡。
現在はハローワークに成っています。

で、前回パンクした跡を通り抜けて場面は↓

神宮寺川鉄橋跡へ。

ここは車1台がやっと通れるぐらいの道路ですが、ここも線路跡です。


煉瓦を使った古い橋脚です。


小斎藤~奥山駅跡

ここにも鉄橋跡が。
でもここは自転車やバイクぐらいしか通れないみたいですね。

ここも橋脚に煉瓦が。

小斎藤駅跡の看板。


山中の道を左に曲がった途端!

鉄橋跡が。


ここの鉄橋跡も橋脚は煉瓦を使ってます。コンクリートなんて高価だったんでしょうねぇ。

橋脚跡を反対側から。



橋脚跡を左手に線路は奥山駅方面へ(画面奥)。

空き地が線路跡の様です。

そして終点の「奥山駅」跡へ。
現在は遠鉄バスのバス停(終点)に成っています。
画面奥が上の写真に成ります。


今日の走行距離は自宅から含めて約74km。
時間にして約6時間。ずっと走行していたのではなくて写真を撮りつつ途中X2で速度を上げたりゆっくり走ったりでした。
Posted at 2010/12/11 21:29:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄分 | 日記
2010年11月14日 イイね!

遠州鉄道旧奥山線探訪

 土曜の休日を利用して以前から行ってみたかった「遠州鉄道旧奥山線」跡を辿って奥山まで行ってみました。

まずスタート地点。クリエイト浜松前。

歩道上の斜めの2本線は線路跡だそうです。


遠鉄の高架下に線路跡を利用した町道が。

時間が止まったような標識。

西に行くと車道の左に幅の広い歩道が。
これが線路跡だそうです。

そこを抜けてR257を越え目の前は旧元城駅前跡地に建ったホテルコンコルド。
ここは遠州鉄道が経営しています。


コンコルドを抜けるとラッキョウ型の亀山トンネルに到着。



トンネルの中には当時の色々な写真があります。

枚数が多いのでトンネル内の写真は「掲示板」をどうぞ。

トンネルを抜けると左手に森、右手にマンションの自転車道。


そして短い広沢トンネルに。



浜松聖隷住吉病院から都田方面に抜ける自転車道に整備されています。
左が自転車、右が歩行者に。所々の路面には旧駅跡のプレートが路面に埋め込まれていました。


そして一般道に入ると旧曳馬野駅跡に到着。
ここも遠州鉄道系列の遠鉄ストアーに変わっていました。


山が見えてくると、そこはもう都田地区。
写真奥の道が線路跡と推測されます。


都田から細江の区間は民家が少ないんですが線路跡は畑に変わっていたりで
しばらく周辺を見ないと線路跡が判別出来ません。
どうやら左手のプレハブ後ろ、右手の茶色い民家の手前の土手が線路跡のみたいです。
跨線橋の跡は既に無くなっていました。

ガードレール奥の森辺りが線路跡。


1分ほど線路跡を平行に走ると線路跡見つけた!

変電所前に短い鉄橋跡が。

線路跡によじ登ってみました。


場面はちょっと進んで天竜浜名湖鉄道(旧国鉄二俣線)金指駅。
ここは奥山線との連絡駅でした。最初に奥山線が出来てその後二俣線が開通しました。

奥の雑草が生えている辺りが奥山線金指駅

金指駅を跡にし、踏切を渡ると目の前に立体高架の跡が。
奥山線の方が先に開通し、その後二俣線が開通なんですが元々貨物がメインの二俣線だったらしく奥山線の方が高架に成ったらしいです。

その高架を北側から。


もうすぐ奥山に到達しようと細江に入ったところアクシデント発生!

スパーン!
パシュー。

とけたたましい音が・・・・・



どうやら釘が刺さったらしくタイヤもかなり大きな切れ目が入り、チューブは2カ所も穴が開いてました。

パンク修理をしているとシルバーのハイエースに乗った30代後半の綺麗な女性から「何かお手伝いしましょうか?私も自転車乗っています」と有り難い申し出が(^○^)
でも何とかなりそうだったのでこちらからお礼を言ってパンク修理続行。
お姉さん有難う御座いました。何とか無事に自宅に戻れました。(ここを見られていないと思いますが、どうもありがとう。)

今日のルートです↓


残りは12月に入ってからだな。

 それと↑のルートの「謎の墓地」ですが、帰宅の際に浜名湖周遊自転車道を通ったら途中で自転車道が終わり。
で、山の中の農道の様な道路で東名高速をくぐり抜け坂道を上がったところ木の杭の墓標の墓地が。今でも参拝されているらしく真新し花が献花されていました。舘山寺の集落の墓地の様です。もう4時近かったので薄ら寒く、ちょっと雰囲気が・・・・

今日の走行距離は約60km。パンク修理を含めて約6時間の走行でした。
Posted at 2010/11/14 00:56:31 | コメント(3) | トラックバック(0) | 鉄分 | 日記
2010年11月06日 イイね!

廃線探訪(少しだけ)

富士山静岡空港を昼食後に引き上げ、昭和45年7月31日に全線廃線(正確にはその前から区間を段階的に廃線)された静岡鉄道駿遠線跡を見てきました。

 空港近くに今は太平洋自転車道等に整備され牧之原市の小堤山公園下に駿遠線唯一のトンネル小堤山トンネルが有ります。場所的には御前崎港の近くに成ります。




このトンネルは煉瓦の色や組み方に特徴が有るとの事でした。
側溝も煉瓦で作られています。


下2枚の写真はトンネルから西に10km行った所、県道69号線掛川市役所支所のすぐ東に有る鉄橋架台跡。と言っても現在は一般道の西側のみ残されていて(当時は農道だったかも)高さは1.6mぐらいです。

この写真は上の写真の道路を挟んだ東側の状態。
今は住宅が建ってますが1.2m程使い道がない土地が残されている状態です。
架台の西側は住宅に変わってましたが、そのほとんどは自転車道や細街路に変わってました。


 今回は沿線跡付近を途中から車で移動しましたが今年中に藤枝~袋井の廃線跡を自転車で通ってみたいですね。

ちなみに今回のルートは↓。

1枚目はルート右下の少し上辺り。R473号線バイパスや油田の里公園近く「小堤山公園」に有ります。
架台跡は写真の掛川駅の字の下辺りです。
Posted at 2010/11/07 12:25:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | 鉄分 | 日記

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