先々月に生存報告と未更新だった5年間でシャレードにしてきたこと起こったことを書きましたが、今回はドライバーの俺自身は何してきたのかということを書きたいと思います。
なのでこのブログにはシャレードそのものに関わることはほぼ何もないです。
そもそもなんでこんなに間が空いたんだろうって話ですが、ブログの最終更新は2級整備士の試験受けた直後でしたね。
そのあと無事に2級を合格し専門学校の1級科に入ってさらに2年学びました。
1級科に入ってからはバイトも始めたので車で遊んだり弄る機会も減り気力の問題もあり2年間更新していませんでした。
卒業後は整備士1級も合格し、実家の方のダイハツディーラーにサービスとして約3年務めておりました。
入社してすぐ勤務地の近くにアパートを借りてPCも戻したんですが毎日疲れ切っていてブログを書き込む気力もなかったのでPCは動画見るくらいでしばらく過ごしていました。
そしてそうこうしている内にPCが突然逝ってしまいます。
すぐ買い替えようかとも思ったんですけどその時はWi-Fi環境もあったのでPCなくても特に困らず、まあいっかでそのままここまで来てしまいました(笑)
ダイハツには給与面で不安があり、居ても5年くらいかと思っていたところで病気にかかってしまい3年でリタイアしました。
後縦靭帯骨化症という病気で背骨の隣にある靭帯の一部が骨化していくというものです。
骨化していくところは少しずつ膨らんでいって、その結果その周辺にある肋間神経を圧迫。
その神経網は背中から腹、足の方まで伸びている神経なので最終的には麻痺により歩行ができなくなるそう。
主に50代以上の人が成りやすい病気ながら、進行は緩慢なため年のせいで体にガタが来ているんだと思って診断までいかないこともよくあるもののようです。
俺まだ30代・・・(;´Д`)
まだ進行具合は軽度なのでただ生活する分には何の問題もありません。若干右の腹に影響が出ていて触ると麻酔したてみたいな鈍い感覚がしますが(笑)
仕事をしているとこれが痛むのですよ~。
力をかける動作を繰り返しているとじわじわと痛みが増していきます。
特に押す力のかけ方が一番だめで、一回痛み始めてしまうともうだめ。
一旦過敏になった神経はそう簡単に治まりません。
それでもディーラーの整備士なんて作業時間延ばせませんから急がなければいけません。
結果大なり小なり常に痛むようになっていました。
ひどい時は歩いているだけで突然グサッとした痛みが来て呼吸と動きが一瞬止まったり、痛みのせいで力が抜けたり。
タイヤ交換シーズンは地獄でしたね。タイヤを締め付ける時力が抜けてしまうので右手用のトルクレンチを左手で使っていました(´;ω;`)たかだか103N.mの力を加えられないってやばいですよね。
こりゃきつすぎるってことで医者に手術したいと相談したらキッパリとやらないと言われました。
「やれない」ではなく「やらない」。
どういうことか聞いたら脊髄が近いので難しいのだそう。まだ歩けているのに手術をすることによって歩けなくなる可能性があってリスキーだということです。
俺としてもこれからの人生棒に振るようなことはしたくないので手術は諦めました。
骨化している箇所は背骨の右側に2箇所、左側に2箇所の計4箇所。
そこを削る手術法はあるものの病気の進行そのものが収まるわけではない上にそれぞれの箇所でリスクがあるとなると・・・ねえ( ^ω^)・・・。
激しく動いたり力をかけ続けるようなことがなければ痛み止めで十分生活できるので、こうなった以上もはや自動車整備士は出来ない!少なくともディーラー整備士はできない!ということできっかり3年でリタイアしました。
良かったことと言えばディーラーに入ったことで自分がやりたいと思っていたことがほとんど出来たということ。
就職先をダイハツにしたのはシャレードの修理や維持がしやすい
だろうなと思ったからです。
実際事故や故障がそこそこありましたが今なんとか維持できています。
点検も部品も社員割で安く済ませられましたし、入る前と比べると確実に良い状態になっていますから心底やってよかったと思います。
これ以上はディーラーではやれないなってとこまで来ていたのでタイミングは良かったですね。
まあ正直未練はあります。
時間かけて取得した1級小型自動車整備士資格が無駄になってしまったことは悔しいですし整備自体は好きだったので、好きな時に休憩したり作業時間を延ばせるような環境があれば整備していたいです。
でもそんな仕事あるとも思えないので次の仕事を探そうと思います。
次はレンタカー屋とか中古車販売とかいいかなあ~。
なんにせよ車業界から離れる気はありません。
やりたいことをやるだけです。
Posted at 2022/09/09 22:58:24 | |
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