忘年会の季節。電車のつり革広告に目をやると「液体のキャべジンコーワ」(興和製薬)の広告があった。そこにはこう書いてあった。 忘年会の季節、飲みすぎたら「液キャべコーワ」。「二日酔いのもたれ、胸やけに」さて、飽食の時代と言われて久しいが、胃が持たれるまで、胸やけがするまで喰らい、二日酔いになるまで安酒を飲む。挙句の果てに「液キャべコーワ」なるもので気休めに処方し、夜になれば又暴飲暴食の巷に出掛ける。冷静に考えればこの行為を繰り返すのは愚の骨頂だ。「ローマは一日にして成らず」と言われかつて栄光を誇ったローマ帝国が、その栄華を極めた頃、宴の席で同様の暴飲暴食を繰り返し、さらにひどい事には、「もう食べれない」と言うほど腹が膨らんでいるのに、更に食す為に喉に指を突っ込んで胃の中のモノを吐き出し、更に食し、飲み、喰らい宴は続いたと言う愚かな行為を繰り返した。と言う事だ。で、その後ローマ帝国はどうなったかと言えば、これは滅びた。なぜあのローマ帝国が滅びたのか?と言う多くの人々がローマについて調べると、そこにはいくつかの絡みつくエレメントが存在する事に気付き、その最右翼にあるのは人心の荒廃と言う事に尽きる。と言うところに行きつく。日本はデフレスパイラルから抜けだせない。不景気だ。失われた10年だ。経済学者などからそんな言葉をよく耳にするが、それは全くお門違いで、日本の衰退はローマ帝国同様、人心の荒廃によって引き起こされているのだ。この凋落という事態は健全な上昇志向ではなく、異常事態が異常事態として正しく認識されない事に端を発する。朝早くに起き、自然に近い食事を心掛け、運動を行い早く寝る。そんな健全な生活を常、当たり前、常識と考える国家は、正邪の観念が正常なので、異常事態に対して正しく対処する術を持つのだろうが、21世紀になってもまだ遅くまで酒を飲み歩き、師走になれば二日酔いの日々がいまもって続くなど、不健全極まりない行為としか言いようがない。震災の後、エネルギー問題や、放射能に汚染される食やその安全性を含め、「人の暮らしとは本来どのようにあるべきか」を日本人は心底考える機会を得た。にもかかわらず一年も過ぎれば節度の無い程酔った赤ら顔の大人たちが夜な夜な街を徘徊している。ローマが滅んだのは、戒めの機会を得ずに物質文明を謳歌した為である。であるならば戒めの機会を与えられた我々は、もう一度、人間の生活と言うモノについてリセットした考え方を持つべきではないか。この戒めは我々に与えられた最後のターニングポイントなのかもしれないのだから。