
今夜はジム・ホール
少し長い映像だ。38:20あたりから見てほしい。もちろん好きな方は全部見た方が面白い。
この曲「UNCLE ED」は真夏の夕暮れ時にゆったりした気持ちの時に聴きたい。
僕がジム・ホールが好きな理由は単純で明快。彼は非常に良いセンスの持ち主だからだ。
ギターでジャズと言うと先ずケニー・バレルが最初に出てくる。彼のアルバムジャケットのデザインはアンディー・ウォホールによる秀作なので、中古レコード店を探してもなかなか見つける事はできない。
ジム・ホールのアルバム・ジャケットも秀作ぞろいだが、中でも私の一番のお気に入りは
「Dialogues」このアルバムの意味は、「対話」や「意見の交換」といったところだ。
先ず、このアルバムジャケットのデザイン。
ヴァシリー・カンディンスキーの《印象Ⅲ(コンサート)》が表紙に使われている。
この「コンサート」と言われる作品は1911年の作品で、レンバッハハウス美術館が収蔵している。
「コンポジッション」という有名なカンディンスキーの作品と共に著名なこの「コンサート」のオリジナルを私は実際に見た。20分はかけてじっくり鑑賞した。
この絵は「コンサート」の生の迫力と観客の喝さいが今にも聞こえてきそうな色彩と躍動感をもつ非常に素晴らしいモダンアートの頂点に君臨する作品だ。
それを軽く、なにげなく、ひょいっと拝借して発売されたのがジム・ホールのアルバム「Dialogues」だ。
私はカンディンスキーの絵にひかれてアルバムを手に取り、ジム・ホールと言う事が分かるとそのままレジに直行した。ジャケ買いの典型の様な行動様式だ。
とくにこれから少しずつ季節が秋に向かう時、傍に一枚置いておきたいアルバム。それが「Dialogues」だ。
ところで韓国が日本から解放された今日8月15日を前に、かの国の政治主導者は日本の竹島に渡り、政治的虚勢を張って、自身の政治家としての株を上昇させた。
と本人とフィクサー、そしていくばくかの単純で愚かで激昂しやすい韓国国民は思った事だろう。
あぁ、そういえば愚かな韓国国民はサッカー選手の中にも紛れ込んでいた。
韓国と日本は実に近くて遠い国としてこれまで過してきた。
その理由は今の日本人が、今の韓国人にたいして“田舎に住むおじさん”を見るからである。
おじさんがいつまでたってもあか抜けてくれないので、田舎から出て、今は都会に住む日本人はその故郷のおじさんに、自身のルーツを見つけて嫌な気分になるんだ。
韓国のおじさんがもっとスマートでもっとクレーバーで、もっとあか抜けてくれば、「あれは僕のおじさんだよ」と日本人は言う事だろう。おじさんがいまのような田舎モノで、泥臭いままでいれば「あれ、あの人おじさんじゃないの」と言われても、「さぁ、全然知らねえな」と都会に住む日本人は言う事だろう。
尊敬と言うのは勝ち取るものであると言う事を韓国の指導者は知ったほうが良い。徳を伴った凛とした姿勢ほどスマートでクレイバーで美しい姿はない。
指導者がこそこそと、最前線を超えて視察をするようでは、軽軽とした匹夫にしか映らない。
彼が知らないだけで国際社会は、非常に成熟している。見え透いた行為に対して世間は冷めた目で見ている事だろう。あかぬけてきた韓国の有識者たち、市民達もきっと同様の目線で見ているはずだ。
それにしても、いつまで愚かな行為を繰り返すのだろうか。
国境など関係ない鳥にしてみれば、いがみ合っているバカな連中に上空から爆弾でも落としたくなる事だろう。
双方の国に足りないのは「Dialogue(対話)」ではなく「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」である。
暗闇で、目を閉じて心を開けば見えてくるものがある。それは過去ではなく今だ。そして未来だ。