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Mimes Jacobのブログ一覧

2012年07月11日 イイね!

トワイライト ミュージック 「A SILENT LOVE」

最近、晴れた日は夕陽が美しい。

夕方西の空を見上げれば、もう半ば夏に呑み込まれているような気持ちになる。
早く、梅雨が明け、いっそのこと、全部、夏に呑み込まれて、すっきりと、くっきりと、はっきりと、今すぐ夏になってしまえば良いのに、と晴れた斜陽の空を見上げてそう思う。

そこで、夏の美しい夕陽に付きものの、メローで甘く、切ない音楽について語りたい。

そんなトワイライトミュージックは、各々の生きて来た人生の中に、必ずや深く刻み込まれている“この曲”と言うものが、皆さん各々にある事でしょう。

私のトワイライトミュージックといえばこれ、1987年にTVのCMで聴いて以来25年間、未だに色褪せない名曲。

初めての方、是非どうぞ。

Posted at 2012/07/11 23:47:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | jazz at jacob's hall | 日記
2012年07月08日 イイね!

SUN RISE 1979年 アメリカ西海岸の流行は時差なく、日本の東海岸に影響をあたえていたのか?

SUN RISE 1979年 アメリカ西海岸の流行は時差なく、日本の東海岸に影響をあたえていたのか?SUN RISEと聞けば1960年代以前生まれの方々は、まずこの映像がイメージできる事でしょう。
そこでは、生まれたばかりの、眩いほどの輝きに満ちた日輪の光が、都会のビルのはざまをかけ昇ってやろうとする勢いを感じさせる。しかし全体を支配するオレンジ色の色彩を見れば、既に人生の斜陽を迎えた太陽が西のかなたに最後の輝きを以て没する姿のようにも見えたりする。
この画像は馴染みのドラマ、「太陽にほえろ」のものである。

ドラマは1970年代に一世を風靡した人間ドラマの集大成であった。
放映開始は1972年。アバンギャルドなその展開は、それ以降の刑事ドラマの先駆けとなった。この映画の魅力を引き立てたのは出演者だけではない。そこにあるのは音楽だった。

このドラマを魅力あるものにしたのは、当時GS(グループサウンズ)などとカテゴライズドされた中の実力者、大野克己である。彼の作曲に関する音楽的才能は天賦の才としか言いようがなく、その独特な印象を残す、美しく刹那的なメロディーは彼独特のものであった。

そんな大野克己を「太陽にほえろ」の音楽担当にさせたのは自らも太陽にほえろに出演していたショーケンこと萩原健一だった。

GSのザ・テンプターズにいた萩原と、GSのザ・タイガースにいたジュリーこと沢田研二、そしてムッシュことムッシュカマヤツに、マチャアキこと堺正明らと共にザ・スパイダースでやっていた井上堯之、大野克夫が合流した。これで萩原+沢田+井上+大野+αでPYGというロックグループが結成された。それが1971年の事だった。すぐに解散したが、その様な縁を以て、大野克己の才能が発揮できる場所を得たのが翌年放送開始となった「太陽にほえろ」であった。

私がこの「太陽に...」のテーマ曲などを聴いて思いを寄せたのはハーブ・アルパートだった。
彼はジャズプレーヤーであるばかりでなく、非常に多才で能力の高いマネージメントプレイヤーでもあった。彼の代表作に「RISE」という曲がある。サックスのメロディーが大変美しい、西海岸ジャズの完成形と言っても良い。そのメロディーは大人であり、メローでいて、メランコリックな雰囲気がさわやかに香ってくる。レドンドビーチに、フォードのオープンカーを横付けして珈琲片手に聴きたい。そんな曲である。
その名曲の雰囲気。それがなにやら太陽にほえろに近いのである。と言うか、そのハーブ・アルパートの作ったライズという曲の曲調、時代感、空気感が私的には実に「太陽にほえろ」なのである。

これは西海岸のムーブメントというかムードと言うか、“今の感じ”を早速「太陽にほえろ」は時差なく取り入れたのだな。それにしても上手くアレンジしたものだ大野克己め。と私は長い間思っていた。

ところが、ところがである。
「太陽......」の放映開始は1972年。大野克己を推薦した本人、マカロニ刑事こと荻原健一はTVの中で殉死し、すでに太陽にほえろから去ってしまったのが1973年の7月だった。

と言う事は「マカロニのテーマ曲」も番組の「メインテーマ」それ自体も、それ以外の曲も全ては「ライズ」以前の大野のオリジナルであったと言う事である。


ではハーブ・アルパートが「太陽にほえろ」からインスピレーションを得たのか?

さて、時代は、時に違う場所に同じ才能の持ち主を産み落とす事がある。この79年の関連性について私はいつまでもそう思いたい。

さて、最後にドラマ「太陽にほえろ」には藤堂役として、石原裕次郎が出演していた。
彼は、皆から「ボス」という愛称を以て親しまれ、また恐れられていた。私は、組織の中心には、常にこのように責任感の強いボスの存在がある。という事が、非常に大切である。と言う事を、経験を持って知っている。

しかしだ。しかしである。

この裕次郎が演じる「ボス」こと藤堂刑事の役職が実は「ただの係長」であったと言う事実を後日、成人して以降に知った時、私は愕然とした。当時子供であった私の目にはあのブラインドを指で少し開け、常に苦み走った大人の、それも苦渋の表情を浮かべ、常に英断を以て(という風に子供の私の眼には映った)部下に支持を与える彼の姿は、どう見ても署長クラス。低く見積もっても本部長クラスのものであった。無理もない、皆から呼ばれる彼の愛称は「ボス」なのだ。

ところがである。ところが、その彼の役職が“ただの係長”だったというのは私にとって大ショックであった。後年、私自身も就業する年齢に達し、主任になった時、上の上司すなわち係長を「ボス」と呼んでみた。すると私のボスは「係長でボスなんて恥ずかしいだろ。ここは日本なんだ。二度とそう呼ぶな」と、普通に冷ややかに叱責された。

「まったく世間ではそうだよな」

と当時感じた“七曲署の不思議”と言うか“アメリカナイズドされた先進性”は、私の中で、ようやく氷解の時をむかえたのであった。


太陽にほえろ!(全てに型やぶり・マカロニ)/井上堯之バンド


herb alpert - rise 1979








Posted at 2012/07/08 15:33:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | jazz at jacob's hall | 日記
2012年07月05日 イイね!

Mingus  Mingus  Mingus

Mingus  Mingus  Mingus 『ジャズの耳』と言うのがある。

これは自然と、無意識のうちに出来るわけではなく、意識して聴き、又意識して学ぶ事で出来てくる。
ジャズの耳になってくると、ジャズの奥深い歓びを感知できるようになり、もっとジャズなジャズを探し始める。

さて、初めてジャッキー・マクリーンを聴いたときの喜びや感動を、料理に例えるのならめちゃくちゃ旨いラーメンか定食屋のAランチだろう。その旨さたるや誰でも、無条件でわかる“分かりやすさ”がそこにはある。

では、例えば京都でいただく極上の懐石料理などはどうだろう。

「ちょっと薄味だな」
そんな物足りなさを感る人。多いのではないでしょうか。
その良さについて、普通ではなかなか分かり辛い。

「大人になって分かる味」などと言われて、いざ大人になってからも分からなかった。
そんな味が最近「良いなぁ」と分かるようになってきた。
料理、器、設(しつら)え、間(タイミング)、そしておもてなし。そんなモノがあいまって「旨いなぁ」と言う事になる。

実はジャズもそれに似ている。どんどんジャズを食べていると、すぐに旨いと思うジャズと徐々にその旨さが分かってくるジャズと。

今日私が紹介したいのはその後者のジャズだ。
その代表としてチャールズ・ミンガスを挙げたい。

1976年に「僕たちにはミンガスが必要なんだ」と植草甚一さんがスクラップブックに書いてもう40年近く経とうとしているが、40年近くたってもやはり、「僕たちにはミンガスが必要なんだ」と思う。
ベーシストで、作曲家。独自の路線を変えることなく、すぐにミンガスと分かるその音色は非常にアヴァンギャルドだったと言える。彼の元にいたエリック・ドルフィーがコルトレーンとやっても、コールマンとやってもどこでやっても、だれとやっても素晴らしい演奏ができ得たのはミンガス・スクールの影響が大きいのではないだろうか。

ワークショップを立ち上げ、立ち退きを食らうほど貧乏をしたけどミンガスが残した軌跡は非常に大きい。
「大人になった喜び」をまだ味わった事がないあなたは、司馬遼太郎の本と、チャールズミンガスのジャズによって、その歓びを得る事が出来る。まだの方、是非お勧めしたい。

ゴー・マン・ゴー・レッツ・ゴー

Charles Mingus - E's Flat And Ah's Flat Too



Charles Mingus - Haitian Fight Song
Posted at 2012/07/05 22:58:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | jazz at jacob's hall | 日記
2012年07月03日 イイね!

私は今まで世界を旅してきたが、日本ほど私の心に強い印象を残してくれた国はない。それは演奏を聴く態度は勿論、何よりも嬉しいのは、アフリカを除いて、世界中で日本だけが我々を人間として歓迎してくれたことだ

私は今まで世界を旅してきたが、日本ほど私の心に強い印象を残してくれた国はない。それは演奏を聴く態度は勿論、何よりも嬉しいのは、アフリカを除いて、世界中で日本だけが我々を人間として歓迎してくれたことだこの長いタイトルはアートブレイキーが日本に来て感激のあまりに残していった名言である。

第三勢力である、黒人国家すなわちアフリカ諸国が経済的に隆起し、日ア貿易摩擦という事態が2050年ころに起こったら、時の外務大臣はアフリカ諸国に赴き、演台に登った際には、冒頭でこのアートブレイキーの残した名言を引用して、100年前からアフリカ人に対して、いかに日本人が敬意を表していたのかを説明するとともに、日本とアフリカは意義ある関係を継承すべきであるという旨を訴えるべきである。

「アルジェリア」の過去について触れたくないフランスと、
「チュニジアの夜」で一緒に盛り上がりたい日本と、君たちはどちらを選ぶのだ。

これは殺し文句に違いない。

さてアルジェリアとフランスの件は、アルジェリア戦争で調べて頂くとして「チュニジアの夜」についてはここで語りたい。

まずはN.Y.にある バードランドの名物ドアマン、ピィウイー マーケットのMCから



そして次があの「チュニジアの夜」である。
“ナイアガラロール”と言われるアートブレイキーのドラム技。
私は“KNOCK”と言われるドアをノックするような音が彼の技の中で一番好きだ。

アート・ブレイキーはアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーとして多くの名プレイヤーを輩出した。
アルフレッド・ライオンが最も信頼したジャズプレイヤーの一人ではないだろうか。
その信頼の厚みはブルーノートレコードに残されたアート・ブレイキー名義のリーダー作の多さが物語っている。

それではレディース&ジャズマンへ贈る。「ア・ナイト・イン・チュニジア」どうぞ



Posted at 2012/07/03 22:59:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | jazz at jacob's hall | 日記
2012年07月02日 イイね!

フレディー

フレディーフレディーと言えばフレディー・スペンサー? それともフレディー・マーキュリー?
私の場合はフレディー・ハバート

十代後半に、フレディー・ハバートのステージを観た。もう、断然黒かった。

フレディー・ハバートは名盤が多い。それだけにお薦めのアルバムは非常に悩むのだが、
初々しいアルバムとしては「OPEN SESAME」はお薦めの一枚に当たる。
比較的新しい所では「RED CLAY」は秀逸と言える。

しかし、この曲を紹介したいので一押しのアルバムは 『HUB CUP』 としたい。

FREDDIE HUBBARD, Plexus



Posted at 2012/07/02 23:07:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | jazz at jacob's hall | 日記

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