
華々しいタイトル、そして聴きなれないセクステットという言葉。
今日のJACOB HALLでは歴史的なジャズのアルバムを紹介します。
“歴史的”という言葉には様々な意味が内包される。
歴史的に売れた。とか、
伝説的なメンバーで演奏した。とか、
時代の転換期だった。とか
ここで紹介するアルバムはその全てを含み、さらにほとんどがワンテイクで録ったという凄みまで付随する。
ではそのアルバムを紹介する前に、先ずはセクステットと言う言葉の意味から。
ジャズは何人で演奏するか決まっていない。
独りでやる奴は“ソロ”という。
Cecil Taylor セシル・テーラー(ピアニスト)などはソロで聴くとたまらない。
先般もブルーノート東京に来ていた。もう初老と言える年齢なのに20代の様なプレイをする。
この人は150歳くらいまで生きるだろう。
さてそして、二人でプレイするとデュオ、三人でやればトリオとなる。
トリオならエディ・コスタ(Eddie Costa=ピアノ)やマル・ウォルドロン(ピアノ)など良い。
エディ・コスタは若くして(31歳で)死んだので、その活動期間は短いのだけれども、最初のリーダー作「コスタ=バーグ・トリオ」はトリオ・アルバムとしては非常にお薦めの一枚である。
さて、そして四人でやればカルテット ( quartet 4重奏 )
五人でやればクインテット ( quintet 5重奏 )
六人でやればセクステット ( sextet=6重奏 )
となる。
そこで今日の主題、最凄のセクステットである。
時代は1959年 季節は初春の頃そしてメンバーは
Miles Davis (tp)
Julian Cannonball Adderley (as)
John Coltrane (ts)
Bill Evans (p) (+Wynton Kelly )
Paul Chambers (b)
Jimmy Cobb (ds)
の六人である。
実はこのブログを書く前に、キャノンボール・アダレイ(アルト・サックス)とジョン・コルトレーン(テノール・サックス)を紹介した。本当は次にビル・エバンス(ピアノ)を紹介して、ポールチェンバー(ベース)のトップ・オブ・ベースをやって、ジミー・コブ(ドラム)をやって、このアルバムに入ろうかと考えたがめんどくさいのでやめた。
あれ、離れた所に一人余ってるぞ?ともう一人のピアニスト、ウイントン・ケリーの存在に気がついたあなたは流石である。
となると全部で7人いる。
だったらセクステットじゃないじゃないか?と言う人が出てきそうだ。
これは7人で演奏したのではなく、アルバム中の2曲目、FREDDIE FREELOADER(フレディ・フリーローダー)という曲にだけ、ウイントン・ケリーがピアノで参加したのだ。
この曲を彼がやっている時、もう一人のピアニスト、ビル・エバンスはきっとタバコを吸いながらケリーのプレイを眺めていたはずだ。
マイルスはS(サディスト)である。このアルバム作成時の本来の固定メンバーであったピアニストはウイントン・ケリーだった。当然彼はスタジオに来た。するとマイルス・カルテットの以前のメンバーであったビル・エバンスがピアノに座っていた。ショックなのはケリーである。
ニュー・アルバムのレコーディングは、彼抜きで始まっていた。
スタジオで本人はプレーできないばかりか、これでは放置プレーである。
ウイントン・ケリーはM(マゾヒスト)ではない。故に快感を以て放置プレーを受け入れる訳ではないのである。そこで彼はマイルスに言って一曲だけ弾かせてもらった。それがこのフレディ・フリーローダーである。それ以外はすべてビル・エバンスがプレーした。これによって完成したアルバムに漂う香りは、57-58年に行き詰まりを感じるようになったバップ、ビ・バップ、ファンキーとは異なる、モードジャズの先駆けとなった。
「モーダル」と表現されたこのアルバムは、コード進行よりもモード (旋法)を主に用いて演奏される。そうした手法を以て、その後マイルスは自身の代名詞と言える『クール』へと舵を切り始める事になった。
そのようにして作られた、“モーダル”なこのアルバムが、マイルス・デイヴィスのリーダー作として発売された。
この年日本ではフジテレビが開局し、プリンス自動車工業が「グロリア」「ブルーバード」を発売し、和製ポップスデュオ「ザ・ピーナッツ」がデビューし、巨人の王貞治選手がプロ入り第1号本塁打を放ち、長嶋が昭和天皇の天覧試合でサヨナラ本塁打を放ち、日本光学工業が「ニコンF」を発売し、司馬遼太郎が『梟の城』で直木賞を受賞し、山口百恵、山下久美子、石川ひとみ、松原ミキ、岡田奈々、畑中洋子、プリンセス天功が生まれた。
そして世界ではシンガポールが独立し、世界中でバービー人形が売られ、ニュー・ヨークにグッゲンハイム美術館がオープンし、設計したフランク・ロイド・ライトが亡くなった。
ついでに言うと私の好きな、永井荷風も逝ってしまった。そんな年だった。
この最凄のアルバムタイトルは「Kind of blue」と言う。そしてこのアルバムは売れに売れた。
マイルス・デイヴィスの生前時点で1000万枚。
現在も売れ続けているのでこの記録は更新中である。
しかも渋谷のタワーレコードで買えば、安価版として690円/枚で売っている。正に投げ売り状態である。
(この値段なので音の保証はないが十分にBGMとして聴ける。)
この売上のお陰で、マイルス・デイヴィスはニュー・ヨークにレジデンシャルとフェラーリを持てるようになった。イリノイ州で生まれた若きマイルスが、初めてニュー・ヨークに出てきて、ジュリアード音楽院に通っていた時に、想像した未来が手に入ったわけだ。
かれをスターダムにのし上げた、最高のアルバム、最高のメンバー、そして最高のジャズ。
「Kind of blue」はこの曲から幕をあける。その神話が生まれた頃、我々はまだこの世に存在していない。
NYC, March 2, 1959