2012年08月08日
「洋風」とは西洋的な様式にすること。と辞書などに書いてある。
では洋風の洋が指し示す西洋とは一体どの国の事を指し示すのだろうか。
明治以降、鎖国の禁は解かれ、官僚は外遊し、民間人も渡欧した。
そして、遠くユーラシア大陸まで出掛けて、そこで初めてローマ色に染まる欧州を見て、おったまげて、全てをひっくるめて日本人は彼らを西洋とした。
ローマ色に染まるとは、西洋の文明の起源でもあるギリシャ様式とルネサンス様式を携えてローマ人達が起こした民族大移動的、文化蹂躙運動の結果、蹂躙された国が、自国の文化をかなぐり捨てて、あこがれと高効率の進む進歩的なローマ文明を受け入れる事に他ならない。
当時蹂躙された欧州の国々では洋風などではなくローマ的な、と呼ばれていたに違いない。
しかし現在のイギリスやフランス、イタリアにオランダを見てまわって、彼らの事を言うに、ローマ人の末裔と言う人は皆無だ。
なんでもXX風として一つにくくるのが好きな日本において、ローマ文明の名残を、いつまでも「洋風」と言い続けるのはどうだろうか。
その昔、姿かたちと言う物が伝播される時には、その距離が長ければ長いほどにオリジナル性は薄れて、似非モノになり果ててきた。しかし現在は世界は小さく狭くなり、正確に伝播されるだけの情報量を格安で入手できる時代になった。そのように文明は伝播し、起源も創造者も分からないほど浸透しているのに、今更「洋風」はないだろう。
それにしても“洋風”住宅に畳敷きの部屋があるのは何ともナンセンスの極みだ。
なんでも折衷は良い。と言う事ではない。
折衷によって生まれたモノが結局の所、相馴染まずに双方の良さを潰してしまう事は往々にしてある事だ。ハイブリッドでもミックスでもなく相反するものが同居するその様は、まるでステーキの脇に蕎麦が盛られてあるようなモノだ。ステーキはステーキ、蕎麦は蕎麦で頂くが良く、これを一緒に食すものではないはずだ。
洋風リビングルームに隣接する畳敷きの部屋。
なんとも不思議な光景だ。
Duke Ellington And His Orchestra - Ad lib on Nippon
Posted at 2012/08/08 00:11:37 | |
トラックバック(0) | 日記