
天下国家の話を始めると、酩酊体質の人が現れて、酒も飲んでいないのに言論に酔ってしまって「バカ野郎、この野郎」と言った暴論が始まる。
本旨から外れた議論を、まともなディベートによって本筋に戻すのは大変な苦労を要する。
しかも声が大きいほうが(その議案が)通る。という性質も備えている。
これでは冷静な議論や公の為の政治など布(し)かれる事はなく、その議論たるや利権に向けた、まったく乱暴な辻褄合わせでしかしかない。と言う事になる。
ところで民主党政権はいつまで政権担当者でいるつもりなのだろうか?
任期があり満了まで政治をおこなってよい。という定めはあるが、どう見てもこれまでの運用を見る限りその能力には大いに欠陥があり、その欠陥は修復できないモノである限り、一日でも早く解散、総選挙を行うべきだ。
と僕などは考える。
民主党政権の欠陥とは何か?
それは政治を行う上で最も重要である“民意”に添うと言う事だ。
100年先を見据えて(“先見の妙”を持って)政治に当たる事が、近視的な国民の“民意を得る”より重要な場合は多い。そんな時でも良(諒)しとされる場合と言うのは、それを行っても国民の鋭意や士気が下がらずに、鼓舞され揚がる時だ。
「増税します」で士気は萎え、「年金下げます、延期します」で後顧の憂いは募り、「外交できません」で鋭意は削られ、「原発、十八年後にやめます」で空手形を切る。
そんな政治によって萎えた国民の士気というのは何よりも恐ろしい。
状況や状態というのは本当に即効的に変える事が出来るものだ。それはこれまでの数多ある歴史が証明してきた。
「時間がかかります」「すぐにはできません」「良く検討してから」「広く口論の場を持って」
その遅れる、できない理由は様々あるが、それらを総括すると
「能力不足」
と言う事でしかないのだ。
携帯電話やPC、タブレット端末。
これら全てのカテゴリーにおいて、その価格の顕著な違いは、「処理能力」すなわち容量と時間に換算して販売価格は異なる。
例えばi phone5 は16より32、32より64(GB)の方が価格が高い。
これはひとえに処理能力と容量による価格差だ。
環境が許されれば(ようするに金があれば)全員64GBを選択するはずだ。32や16を選ぶ理由は、そこに経済的妥協が介入するだけの話で、誰だって64GBが良いに決まっている。
人においても通信機器においても最高の能力とは処理速度と許容容量の事だ。
しかし政治(家)の持つ処理能力と許容容量の尺度は、実は民間と大きく異なる。
民間ではその処理の結果をどちらに付けるかと言えば社の利益の方に持ってゆく。
政治家が処理する場合、その結果の大半を国民の利益の方に持って行けば、言う事はないのだが、彼らは保身の為、特定の団体。特定の地域、特定の人々の方へそのほとんどの利益を持って行こうとする。
そうした事を考えると、これは政治の仕組み、すなわち公選による選出。という選挙のシステム自体がこの結果を産んでいるという事に考えが巡る。
であるならば、そろそろ日本 株式会社を起こし、黒字が出る政治職員を配置し、社員一丸となって善政を行ってもらい、株主である国民(納税者)に安定したその配当(社会福祉)が配布されるべく運営してもらうしかないのでは無いか。
政治は外交と地域の行政さえ行なえれば十分だ。
と僕は思う。
結局、政治と言う事に思いを寄せても、それは酒の肴にはなっても、腹の足しにはならないと言う事だ。
そして国民が政治に参加できるのは選挙の時だけなのだ。
であるならば、全ての国民が今の政治に、NOを示すためにストライキを起こし、選挙に行かない。投票率しない、投票率0%と言うのも面白いかもしれない。
もしくは原発ゼロを早期に真剣に目指すのであれば選挙票に「アンゲラ・メルケル」と書いて票を投じるのも面白い。
彼女は福島原発事故があった震災の当日3月11日から数えて、わずか2カ月後の5月31日に
「国内にある17基すべての原子力発電所を2022年までに停止する」と発表した。
17基のうち、7基は老朽化のため、1基は技術的な問題のため既に運転を停止している。
残り9基のうち、6基は2021年までに、建設年度が最も新しい3基は2022年までに停止する。
と発表した。
この(決断の)スピード。この正しい舵とり(方向性)。これが政治を行う上で有能な処理能力と言う事だ。残念ながらこれはドイツにあって、我が国にないものだ。
「NO」と言える国民。「YES」と言える政治家。
そんな施政下で暮らせる国が幸せな国なのかも知れない。
Posted at 2012/10/20 12:11:11 | |
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