
日本で、「その道の人」と言えば893の事だ。そしてその道を極めれば、極道となる。
他にも日本には“道”は色々とあり、柔の道もあれば剣の道もあり、気合の道(合気道)もある。
では「その道」とは何か
道とは宇宙自然の普遍的法則であり、根元的実在であり、道徳的な規範であり、美や真実の根元などを広く意味する言葉。と道教の本に書いてある。
「天道」と言えば万物の終始の事であり、「人道」と言えば人が人として生きる誠の道と言えば良いか。
道とは真理であり、宗教や、礼や義などを超越したものである。
そんな道だが、近頃“道”から外れた人を良く見かける。
昔は外道(げどう)と呼ばれたりした。これは鬼畜の様な人間の事を指す。
近頃世は何があるにせよオブラートに包まれたような穏やかな空気が漂う。
極道も、外道も昔と比べてその数は減り、道を道として改めて考えるような機会も減った。
武道によって「道」の真髄を会得すればせめてバカな人間にはならず美しく生きる事が出来るのではないかと思って息子には合気道に通わせた。
「履きモノを揃えれば心が揃う」
合気道の道場をはじめて見物で訪れた際、道場で師範が子弟に垂れていた言葉だ。
僕はこの言葉を聞いて、それだけでここに息子を預けようと思った。
学校は人としての生き方を教えない。と言われて久しい。
国語算数理化社会などほどほどに出来れば、それで良い。それよりも古の四書五経などを復活させ、人間としての質的向上を目指し、金の多寡を競い合うのではなく、人の質の度合いを競うような社会になれば、この世はもっと良い世の中になる事だろう。
いや、むしろ競い合う事の無意味さをも感じて「我は我、彼は彼」となった時に、はじめて本当の意味での個人主義が始まり、高度な社会が営まれるのだろう。
万物、元来始終あり。
人生いわんや百年の窮少なし
名を競い合い、利を争う営営として没す
識らず 何の愉しみか この世に存せん。
訳
百年も生きる人は極めて少ないのに、ひたすら名を競い
利を争うばかりの人々が居る、そこに何の愉しみが
あるのだろうか。
これは高杉晋作の詩集にある。
まさに、今話した、“道”に通じる詩を彼も書いていた。
僕は二十代の頃に尋ねた東行の墓(高杉の墓)の隣でこの詩を買って読んだ。
そしてそれ以来“道”について思いを馳せ今に至る。
教育の場所が、教え育てる場所である限り、学生、書生には授業すなわちロジック(論理)を教える前に“人の道”という真理(トゥルース)を求める事を教えるべきだ。
人と競う事をやめ、自分の求めた自分に向かって行くときに人は真理を見出すのだろう。
最も大切な事は自分が求める(未来の)自分をイメージする事だ。
現実はいずれ理想を超える。とは限らない。
でも理想に向かって生きる事が現実なら、それは素晴らしい現実で、それこそが理想的な人生だ。
そして現実が理想に追いついた時、人は初めて気が付くだろう。
次の世代の人達にも是非、この素晴らしい人生を悔いの無いように生きてほしいと。
その思いが、言葉として口から出た時、それは聞く者達が嫌悪する所謂「お説教」となるのだ。
以上、道のお話はこれでおしまい。
Posted at 2012/11/09 23:08:00 | |
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