2012年11月27日
アドバタイジングが日本の企業とは全く違う。と言う事をこの動画で見てとれる。
安易なキャラクターで幼児心に訴求するCM。
若い娘さんの起用で、旦那心に訴求するCM。
著名人や知名人の活用で、安心に訴求するCM。
このRAPHAが訴えかけるアドバタイジングにはそのあたりの匂いが微塵もない。
ストイックに何かを求める野心に、
遥か彼方を目指す好奇心に、
誰よりも早さを求める競争心に、
RAPHAは訴えている。
そのハートを持つ者にこそ、RAPHAはふさわしいのだと。このアドバタイジングは訴えているのだ。
日本のCMは僕にとっては歯がゆい。
才能あるCMプロデューサーは星の数ほどいるはずなのに、スポンサーの意向なのか?どうしょうもないナンセンスがまかり通っている。これをナンセンスと言わずして何を持ってナンセンスと言えば良いのだろうか。この国には決定的に何かが足りない。
足りない理由、それは向上心を持たない人間が見て、安心できる庶民的笑いを含んだコマーシャルを大量生産するからだ。そこには庶民的と言われる暮らしは反映されていても豊かな暮らしは反映されていない。
今の日本には、経験と博識によって落ち着いた心を持つ大人の心が、それでもさざ波立つような、飛躍を夢想してしまうような。そんな挑戦心に訴えかけるコマーシャルが必要なのではないだうろか。
人の能力にはいささかの差もない。
優れた人と言われる人々は時を貪(むさぼ)るのではなく、刻(きざ)んでいる。
CMを見た後居てもたってもいられなくなるような、人間の向上心に訴求するような、そんなアドバタイジングをもっともっと世に出すべきだ。
美しくなるためにセサミンを摂りましょう。というアドバタイジングではなく、
美しくなるためにはあなたも走りましょう。というアドバタイジングだ。
Just do it , now !!
Posted at 2012/11/27 23:36:53 | |
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Rouleur - fun to ride - | 日記
2012年11月27日
先ず見てほしいのはこの動画だ。
アウディの新型A6ハイブリッド
さて、このA6の見事なフォルム。娘に宇宙船と言わせる程の近未来型デザインだ。きっとアウディはI ROBOTのアウディに近づいて行っているのだろう。
ところで、僕がこのCMの中で最も興味を奪われた点というのは何もA6(車)の事ではない。
それはパパの週末の過し方。そう、その趣味にある。
パパの井出達から分かるように推測するまでも無く、このパパは週末にロードバイクに乗っているのだ。そして、メット。サングラス。ピチピチウエアーを身にまとえばそれは宇宙人をイメージさせるコスチュームになる訳だ。
僕も週末は似たような“コスチューム”を身に纏っている。だから、息子から「パパは宇宙人だ」となどと言われないように、マウンテンバイクに乗る息子にもその内、同じようなコスチュームを買い与えたい。
それにしてもこのA6はハイブリッドになった事でますます魅力的な一台となった。
Posted at 2012/11/27 22:55:40 | |
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2012年11月27日
歴史作家で面白い小説を書く人が何人かいらっしゃる。
津本 陽もその一人だ。
彼の書いた本はすでに文庫にもなっていて、その数は数多あるが、1983年に彼が書いた小説 『薩南示現流』 はずば抜けて面白い。
僕はこの『薩南示現流』と『下天は夢か』(1989)、『鬼骨の人』(1990)、『夢のまた夢』(1993 - 1994)、
『椿と花水木 万次郎の生涯』(1994)を彼の作品の中でもベスト5として紹介したい。
さて『薩南示現流』だ。
歴史小説と言うモノは、出だしが退屈な読み物でエンジンがかかり始め、中盤を超え所謂“起承転結”の“転”辺りに差し掛かると、そこから先は坂を下るがごとく一気に結まで行ってしまい、読後「あーもう少し読みたかったけど終わってしまった」となるものだ。
そういう意味で感情の起伏がジェットコースターの様に目まぐるしく変わる面白さを内包するのが読みやすく、良い小説とされる場合が多い。その上男子の読み物としては任侠的正義感や、強きをくじき弱きを助く的なヒーロー的要素が含まれるとたまらない節がある。
その辺を表現するに、津本陽は実に巧みな小説を書く。
この薩南示現流の主人公、東郷も我々男子好みの武骨で無口なキャラクターと言える。
薩摩とは現在の鹿児島県+宮崎県の一部で、江戸時代までここは日本で一番強い男たちが棲んでいた場所だ。特に維新回天の業となった明治維新などは、この街の自治区。それもほんの1自治区だけで行ったようなものだ。それだけ有用な男たちが江戸末期、明治の初めにこの街にごろごろといた。という訳だ。その上かれらのは剣技はこれまた日本一で、あの新撰組でさえも薩摩の示現流は「一の太刀をはずせ」といって恐れられたものだった。
ここで言う「一の太刀」とは最初の一振り目と言う意味だ。示現流はトンボの構えから目にもとまらないスピードで一の太刀が繰り出される。それを受けたら絶命必須。だから外せ(よけろ)と言う意味だ。
ではその開祖、東郷重位のスピードがどれくらい早かったか。と言うとその速さの呼称は『雲耀』うんよう
といって稲妻の如くと称される速さで時間に換算すると、手の脈が四回半鼓動する間を「分」と言い、
分の1/8を秒、秒の1/10を糸、糸の1/10を忽、その忽の1/10を「雲耀」と云う。
これは一回、脈が打つ拍の約8000分の1の早さと言う事だ。
これを体得したのは東郷重位ただ一人と言う事だが、この人が京都でこの示現流を伝授される経緯が実にドラマティックでいて、感動的だ。男の美しさ、美学がそこには描かれている。
そしてこの技を薩摩藩の公式な剣術として認知された後がまた感動的である。
筋は是非小説を読んでご自身で確かめて愉しむがよろしいかと思うのでこれ以上は言わない。
因みに維新後、警視庁(所謂警察機構)は薩摩が中心となって行なった。そのため現在も警視庁で剣術を学ぶと、トンボの構えから繰り出される示現流を伝授して頂ける。なんと時代を超越した話だろうか。
善吉和尚も草葉の陰で喜んでおられる事だろう。
Posted at 2012/11/27 01:01:05 | |
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