2012年12月13日
MEN'S BIGIというブランドがある。
今もある。しかし1985年以降離散し、再度集合し、近年枝分かれした“生存を第一義”としたこのブランドにはかつての魔力は無い。そう全く無い。
菊地 武夫というおよそ日本人離れした感度を持つ一人の男がこのブランドを立ち上げた。
立ちあげたというより、自身のファッションへの哲学を具現化した。それがMEN'S BIGIだった。
この洋服にはとんでもない魔力が備わっていた。菊地武夫が造るMEN'S BIGIのスーツに身を包み、ウィングチップの革靴を履けば、このウエアー達は僕を無敵な存在に変えてくれた。
この魔法の洋服はどこで、何を、どのようにしていても、ただ着ているだけで、それだけで僕の一日を最高にハッピーな時間に変えてくれた。こんな洋服は今、存在しない。
たとえマッキントッシュのコートを着ていても、オールデンの靴を履いていても、ターンブル&アッサーのシャツを着ていても、グローブトロッターの鞄を転がしていても、ボランジェのシャンパンを飲んでいても、あの頃身に付けたMEN'S BIGIのスーツ以上に僕をその気にさせるモノはない。
その気にさせるとは、世界で最高のモノ。唯一絶対のモノに接している。そんな気分だ。
菊地武夫の作るMEN'S BIGIにはジャズの残り香が香った。そのスーツにはどこかにジャズが忍んでいた。ときにそれがリーモーガンだったり、アートブレイキーだったりした。
そしてジャズが聞こえてくると、そこではMONSIEUR NICOLEではなくMEN'S BIGIのスーツが必要とされた。
菊地武夫が造ったMEN'S BIGIはそんな神がかり的なスーツだった。
僕は彼の作ったMEN'S BIGIを高校生の時に手に入れた。僕にとってそれはマジック スタッフだった。
そして僕がもっとスーツを必要とする年齢になった時に彼はMEN'S BIGIを去って行った。
菊地武夫氏が去った後、MEN'S BIGIは今西氏が継いだ。
僕は1985年に今西祐次の作るMEN'S BIGIを見にMEN'S BIGIに行き、スーツに袖を通した。
そこにはMEN'S BIGIと書かれてあるが、それは僕が知るMEN'S BIGIでは無くなっていた。
それ以来僕の中にあった菊地武夫のMEN'S BIGIはレジェンドに変わり、実体としてそこに存在しなくなった。
そこに実体としてあるMEN'S BIGIと言う名の洋服には魂は無く、ジャズの残り香も又なくなっていた。
醸し出す芳醇な味わいが失われ、ジャズの匂いが失われた時、僕はMEN'S BIGIから離れた。
今も存在し、非常に繁盛しているメンズビギは僕から見ると魂の抜けたモノの残骸にしか見えない。
菊地武夫氏がビギを抜けた。その本当の理由は僕にはわからないが、彼がどうしてここを出よう。と考えるようになったかはよくわかる。
彼の求めるモノは、(今も求めているモノは)洋服の持つ意味、すなわち着るものを際立たせるそのファッションにあるからだ。会社を大きくして商売を繁盛させることが目的ではなく、良いモノ。通用するモノ。モダンジャズの様なアヴァンギャルドなモノ。それでいて英国的なトラディショナルでベーシックなモノ。
そんなエレメントが含まれたモノを希求した結果だ。
MEN'S BIGIは今も存在する。しかしそれはお洒落でいて魂の抜けた蛻の殻の様なものでしかない。
吸引力に似た魔力などは全く存在しないただの洋服でしかない。
あの頃魔法をかけた菊地武夫は今もなお色気のある服を着て、日本離れした感性を持ち続け、驚くほどにダンディーであり続けている。
年をとったら、ああなりたいものだ。
Posted at 2012/12/13 22:28:01 | |
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