
「中国人 お断り」
そんなもってこいのスケープゴートの種がネット上に出ていた。
当然、中国人は憤慨した。
確かにこのホテルのオーナーの発したこの言葉は問題を含むが、中国人はこれを「人種差別」だ。と非難した。
さて、ではどうして中国人はお断りなのか?
これは人種差別なのか?
無条件で、「その人種だから受け入れない」と言うのは、直近の20世紀まであった、
“カラーとホワイトの色分け”
に見られる、肌の色の違いに端を発した人種差別だ。正に、人種、“種の種類が違う”事を理由に起こる区別であり差別だ。
これはすなわち、その人々が過去に犯した過ちでもなんでもなく、本能的に異種を嫌う(知らない者に対峙した時に恐怖心が起こす)拒絶反応的差別であり、そこには差別をする大きな理由が先天的なものとしてあって後天的な要素は存在しない。
この先天的要素と言うものは、時間によって(互いの理解が深まる事によって)氷解し、そこにあった差別や区別の柵は取り除かれ、互いは同居したり、共存共栄をする為の関係を築いたりする。
すなわち、互いに理解しあう事でその関係は良いリレーションシップやパートナーシップが築かれる方向へ向かうものだ。
しかしここで問題になっているのは「中国人観光客 お断り」と言う事だ。
これを聞いた中国人は「人種差別だ」と声高に言ったそうだ。
さて、彼らは「どうして中国人観光客はお断り」とフランス人に言われたのだろうか。
その事を冷静に、しかし遠くまで届く声をもって言う中国人はいない。
「我々の態度に大いに問題があるからそんな事を言われているのではないだろうか。我々はもう少し社会常識やモラルを学ぶべきではないだろうか?」という疑問を彼らはどうして持たないのだろうか?
中国と言う国の根源にある思考方法とは、「我が国は中華の国だ(中国こそが宇宙の中心だ)」と言う考えだ。
『中華』とは宇宙の中心という考え。だからその思想上の思考方法に従って導き出される正解は、我中心なり、周辺諸国は蛮国なり、つまり中華の外には夷敵(人間ではない野蛮人達)が住む国だ。と言う事になってしまう。
(ちなみに鎖国時代の日本でも、外にいる敵、すなわち夷敵を討つ事から高じて、サムライの御屋形様、つまり将軍職に付く者の事を征夷大将軍と呼称していた)
その様な訳で昔、中国周辺に住む野蛮人の国の名前は“獣”編や“虫”編が付いていた。
そして全ての国家名が二文字以上だった。中華は中心にいるので、中国の名前のみが一文字で出来ていて漢、清、明のように国家を名乗った。
そんな「自分が宇宙の中心」という思考方法を持つ彼らは、実は21世紀において、自分達自身が野蛮な人に成り下がっている事にいまだに気付いていない。紀元前的思考回路の持ち主なのだ。
最後に、このフランスのホテルオーナーのこの問題発言は、種の違いを指して行なわれた訳ではない。
故に人種差別の臭いは無い。
そこにある「お断り」の事情は、世界各地を旅して回っている中国人達と、中国国内で無法者のように暴れている中国人と、世界中がTVやネットやメディアを通じ見たステレオタイプの現代の中国人の軌跡を見て、言っているのだ。
この「お断り」と言う評価は中国人以外の人類が見た、中国人への評価だ。
人種差別等では決してない。
それにしても、このトピックスを目にした時、「我らが宇宙の中心だ。」と言う(思う)、この中華思想の卸売元であるフランスが、元祖中華思想の国に住む中国人にこの発言をした事が、僕としては最も面白い。これはいわゆるブラックジョークの一つだ。
もう一つジョークを言えば、
中国人の言う、中華思想とは華夷秩序と言う考え方だ。
世界は華と夷が居てそれで成立っている。中心に“華”があり周辺に“夷”が住んで居る。
世界の人々は野蛮人で、自分達(中国人)は優れた民族だ。と言う、極端な選民思想だ。
このように少し考えれば選民思想によって成り立っている中華思想そのものが、人種差別を根底にした思想なのだ。と言う事を全く考えない一般の中国人が、
「その発言は人種差別だ」
とフランス人に言った瞬間が、このブラックジョークで笑えた僕のクライマックスのK点だった。
実に面白い。
さて、では最後に
「友よ、水になりなさい」と言う人がいた。
これは名言だ。
「上善水如」
これすなわち、古い習慣やひな型にはまらない水のごとく生きる生き方こそが、人生で最善の上策ですよ。と言う事だ。
Posted at 2012/10/12 22:42:31 | |
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