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Mimes Jacobのブログ一覧

2012年10月19日 イイね!

BRADY1887, JONSON1842 & STANLEY1913

BRADY1887, JONSON1842 & STANLEY1913ブレディのバッグとスタンレーの水筒だけでは背景がさみしいのでジョンソンのウールのシャツを引っ張り出して置いてみた。

このままジーンズを履いて、ダナーのマウンテンライトでも履けばそのまま山へ行きたい気分になる。




Posted at 2012/10/19 00:13:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | HOT STUFF | 日記
2012年10月17日 イイね!

B面の一曲目

B面の一曲目という視点について

さて、人生にとって音楽の持つ意味は様々だ。
その人にとって(その時の心情次第で)その歌がチェアラップソング(応援歌)になったり、サッドソング(哀歌)となったりする。エモーショナルな感情の起伏によって生じる心の波長を増幅させるのが音楽のもつ作用の一つだったりする。

そんな音楽だが、今の世の中は実にせっかちに出来ていて‘アゲアゲ’の歌ばかりを“コンピレーションアルバム”と称してひとくくりにして「これでもか~」とこちらの精神を高揚させたりするCDが売っていたりする。

この手のアルバムの安っぽさ(と言うしかないのだが)は、手とり足とりの伴奏者が同伴するような、と言うか、寧ろ見え透いたその作為が、冷静になった僕に見えてきて、それに気付いた時に「この仕組まれた行為に乗せられるのはなんだかアホらしい話だ」と、つい冷笑と失笑の狭間で、さっきまで夢中だった事が恥ずかしくなり、その夢中になった行為に終止符を打って、放り出したくなる。

そしていつも思う最後の感想は、利益を追求して安易に作ったものに飛びつく事はなんと愚かしい行為なのか。と言う事でしかない。

現代は情報過多な時代だ。「良いモノ」と称されているものがオムニバス的にパッケージングされ、目の前に提供されては、すぐに去ってゆく。そして、次、そして、次と次々に - 求めてもいないのに - 提供される。
安ものや黙っていても入ってくる情報の中に“真(オーセンティック)”と言える代物は少ない。

レコードに例えるとするならば僕が若いころ、すなわちレコード時代のように、A面の一曲から聞き始め、(当然頭出しも無ければ曲を飛ばすことも無く、玉石混合のLPレコードを最後まで通しで聴き)、聞き終えると今度は裏表をひっくり返し、また裏面の始め、すなわちB面の一曲目から同様の作業を繰り返してそれが終わるまで音楽と共に時間を過した。

そこではアゲアゲ調の連続性は皆目なく、アゲ調から一気にメロー調に振り、さらにマイナー調に振る事で、作者の意図する構成に我々は導かれ、B面の最後の曲が終わるころには、作品の意図する全ての流れをつかみ、作者の(オリジナリティーあふれる)世界観が投影されたその作品に、まるで人生の一生涯を振りかえったかのような素晴らしい一時に出会う事が多々あった。

その代り、中には退屈な曲もあった。それを聞く間は退屈な時間だった。
しかし、時間を(数十年)おいて、自分自身の精神的成長なりがあった後でその退屈だった曲を再び聞くと、豊かになった感受性のお陰で、「あれ、こんなにいい曲だったかな?」と思えるほどその退屈な曲は実は豊かさを満たす音楽だったりもした。

そしてB面の一曲目にはA面の一曲目では表現できなかった作者の別の一面を内包した意図が必ず含まれていた。我々は注意深くB面の一曲目に耳を傾けた。

そこには、実はA面の1曲目に含まれるプロフィットの臭気が抜け落ちたピュアーな世界があった。
それは実に青臭く、挑戦的で、気骨と信念に溢れ、どこか遠くから来たような、昔から身近にあったようなそんな景色を僕達に見せてくれた。それを表現するに“時代の空気”と言えば良いのだろうか。

B面の一曲目が無くなった頃、すなわち時代がレコードからCDに変わった頃、我々の生活は造られた便利さ、というインスタントな流動食の様な栄養だけを与えられながら、ブロイラー室に送り込まれた“消費するだけの住人”へとなり下がり、日々ベルトコンベアーの上を走る暮らしを余儀なくされてきた。

B面の一曲目を聞きながら、僕らは一体どこから来て、何をして、どこへ行く(はずだった)のかをもう一度見つめ直した方が、皆にある“自分だけの人生は”今よりも数倍楽しくなるんじゃないのか。
と、僕が好きなアーネット・コブのB面の一曲目を聞いているうちに、そう思った。

せっかちな毎日の中で、ほんの少しの時間を割いて
『B面の一曲目』の裏側にあった幸せな時間の過ごし方(それを生活と言っても良い)について、そろそろ考える頃ではないだろうか。

Arnett Cobb with Jimmy Ford and Calvin Owens - I Got Rhythm (Live) 1986



Arnett Cobb, Eddie Lockjaw Davis and Johnny Griffin in "Lester Leaps In" (1984)



Posted at 2012/10/17 22:52:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2012年10月17日 イイね!

WYE with net

WYE with net今日家に来た新しいSTUFF


英国で五番目に長い川として有名なウァイ川の名を付けたこのバッグは英国のBRADYのバッグだ。
このバッグは開けると中にフラップ付きの内ポケットが二つあり、バッグの前全面にネットポケットが付いたハンティング用の本格的ゲームバッグだ。

このネットは本来捕らえた魚を傷つけずに持ち帰る為のモノだが、ハンターではない僕は獲物の代わりに渇いた喉を潤すため、スタンリーの水筒を入れて持ち歩く。。
※スタンレー社は創業が1913だから来年で創業100年だ。

今日、出会いがあって買ってきた。まだひも解いていないので明日にでも画像をアップしよう。
ゲームバッグと水筒。この何とも言えないアウトドアな組み合わせ。タフな感じがいいね。


The Five Corners Quintet - Hot Rod (live)




Posted at 2012/10/17 00:09:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | HOT STUFF | 日記
2012年10月15日 イイね!

見せる事が魅せる事につながるとは限らない。「ハリスツイード」についての僕の感想

見せる事が魅せる事につながるとは限らない。「ハリスツイード」についての僕の感想秋冬のシーズンが始まると、このタグを付けた製品を良く見かけるようになったのはここ数年の話だ。
僕はこと洋服に関して言えばツイード素材に関わらず、元来トラディショナルなスタイルが大好きなので、秋が来ればツイードのジャケットやハンチング帽は必需品となってくる。これは二十数年来変わらないスタイルでむしろそれらを着る事は習慣だ。そしてそれらの“裏側に”このタグが付いてある。

トラディショナルなスタイルやツイードのジャケットと言えばその卸元はヨーロッパのイギリスと相場が決まっている。英国紳士と日本で言われるようにアヴァンギャルドなイタリア・フランスのファッションに比べ、英国のファッションはコンサバティブで地味だ。

パット見た目、センセーショナルで人目を引くデザイナーズブランドの(例えばD&Gやディーゼルなどを筆頭にしたイタリーファッションの様な)洋服は僕的には全く興味がわかない。

華々しく、記憶に残る程のインパクトがある洋服は、残念なことに来年着れないのだ。
同様に流行を追いかけたファッションと言うのは、買った時がピークで、あとは下降線を下るのみ。すぐに廃れる日がやってくる。

そこへ行くとトラディショナルなスタイルは良い。
例えばバランタインのカシミア紺色セーターなどは十年着ていても十年物とは思えない。
今日も、昨日も、明日も、お店に行けば同じような製品が陳列され定価で売られている。靴も同様。
例えばオールディンのチャッカーブーツを十年間履いていて、十一年目にお店に行っても同じ色、同じデザインでそこで売ってある。

ようするにそれらのモノは廃れないのだ。

普遍的なモノ。僕が大好になるモノの価値基準はここにある。
一時のブームや一過性の流行ではなく、静かに流れる清流のように、いつも、いつまでもそこに同じように存在し続ける。時代の風雨にさらされても耐える事が出来る素材であり、デザインであるモノ。
そこに対価を払ってでも買う価値を見出す。と言う訳だ。

そして英国流ファッションにおいて重要な事は、見せない事だ。
裏地にレイヨン素材ではなくキュプラ地を使用し、見えない場所の素材にこだわりをもっても、それを表面に見せない。そんな見せないおしゃれ。そこにダンディズムは宿る。

所が近頃街を歩けば、洋服に、バッグに、帽子に、このハリスツイードの認定ロゴマークを見えるように張り付けている製品を実に多く見かける。

英国のブランドや英国人の気質において、これ見よがしに見せるお洒落というのは存在しない。
寧ろそれは恥ずかしい事なのだ。というのが英国の常識であり基準でもありプリンシプルでもある。

それをないがしろにして表面に張り付けるようにして見せている愚かな(としか言いようがない)ファッションをした人を本当によく見かける。他にも、分かりやすい例で、アメリカのブランド、ニューエラ社の作った帽子の唾に貼ってあるステッカーをいつまでも貼ったままかぶっている黒人かぶれした若者。と言うよりもバカ者。そしてカシミア素材のコートの袖に付いた「カシミア」の製品表示生地をいつまでも付けたままコートを着用しているお嬢さん。

あなた方はおかしいのだ。早くそれはおかしな行為なのだ。という事に気付いた方が良い。
さり気ないお洒落。と言うのが洗練されたファッションであって、過剰に主張する行為はどこまで行ってもドレス・アップにはつながらない。

それは車においても同様で、過剰な装飾を施すとその車が本来有する造詣の美しさからどんどん外れて行く事になる。

過剰な装飾は、過度な整形手術の繰り返しによって、本来あった自然さを持たない、
“造られた寂しさのみが漂うルックス”を生じさせる。

だから“作ること”はなるたけやめた方が良い。

出来るだけシンプルに、そして長く飽きのこない奥ゆかしさを秘めたスタイル。そんなモノの良さがわかり、それを模索し始めると英国の美意識や美学に辿り着く。

日本が明治時代を迎え、侍が髷を落とし、帯刀をやめた後、模倣したのはそんな英国の美学だった。
美意識の高いサムライ達が新たなスタイルとして唯一認めたのが、英国紳士のスタイルだった訳だ。

どうだろ、僕的には然もあらん。という気がしてならない。
日本人は元来、かなりのこだわりモノでいて、美意識の高い民族なのだから。

Art Blakey & The Jazz Messengers - A Night in Tunisia.wmv















Posted at 2012/10/15 00:03:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2012年10月14日 イイね!

LES TOILES DU SOLEIL 「太陽の生地」

LES TOILES DU SOLEIL 「太陽の生地」生地屋が織る生地というのは、それが製品になってしまうと、本来持っていた独特の特徴が薄まり、製品の中の一部として構成されるエレメントとして収まってしまう。

個性ある素材や繊維は造詣に支配されてしまう。と言う訳だ。

しかし生地が生地のままで居る時に出会うと、その存在感は個性を伴って一際光彩を放ち、訴えてくるので、そのモノの良さが直に伝わる。

それが紳士服の場合はトレロビエラ社の生地だったり、ジーンズの場合はコーンデニム社の生地だったり、ツイード地の場合、ハリスツイードだったりする。

今日、出会った製品も、その生地の面白さや良さ、と言う事だけで買ってしまった。
それはレ・トワール・デュ・ソレイユの生地で出来たペンケースだ。

レ・トワール・デュ・ソレイユの生地について少し触れておこう。

この生地はフランスの地方にある工場で製品を職人が手作業でいまも作っている。

目を引くマルチカラーのストライプはgrand teint(グラン タン)というレ・トワール・デュ・ソレイユ特有の染め加工技術で染色され、ピュアコットンで出来た生地は特殊な折方で作られていて、非常に丈夫であるのが特徴で、この生地は、フランスの国宝文化財に指定されているそうだ。

生地が良い。と言うのはデザインが良い。という事よりも重要だ。
なぜか?それは女性に例えれば分かる事だ。

過剰なデザインが施されたルックスの女性が好きな男性もいるだろうが、素材が良い(ノーメイクでもかわいい)方が良い。という男性は圧倒的に多いからだ。 

僕もその一人だが。

Material - Reduction (1980)




Posted at 2012/10/14 20:14:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | HOT STUFF | 日記

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