
タイトル画像は茨城県は日立市の宿泊先の近くのシビックホール。
いやはや近代的な建造物ですね(^^)
隣町、高萩市の某製薬会社での仕事を無事に終えて
今日お昼に次の目的地である福島県郡山へ。
きっちり高速道路を使えば2時間とかかりません。
僕の住んでいる大阪府からは遠く離れたこの地。
そして、東日本大震災があったところ。
高萩のお客様から震災の話を少し聞かせて頂いて、ここから北はまだ震災の爪痕が残ってますよ、と。
同僚と、僕らに何が出来るわけではないけど、震災の悲惨さを肌で感じないで帰るのは無いだろうと、国道6号線を北上しました。

ここはまだ日立市のバイパス。
キレイな眺めでした(^^)
運転は僕だったので、あまり道中の画像はありません(^^;;
そして、福島県いわき市にあります
“いわき・ら・ら・ミュウ”というところに立ち寄ってみました。
フィッシャーマンズワーフみたいなところです(^-^)
ここでは、東日本大震災展が催されていて、このブログには載せられないような悲惨な写真が展示されていました。
これらの写真や展示物が、今まさに自分の立っているところで起こった事なんだと思うと言葉も出ませんでした。
避難区域に残された動物たちの写真は、
野生化した牛や餓死したペットのものも有りました。
でも、そこで働いている地元の方々はとても元気で逆に何かを貰ったような気分になりましたo(^_^)o
そこから更に海沿いを北へ。
ほんの15kmほど走った平豊間という町。
それは突然僕らの前に姿を現しました。
テレビなどで散々観て知っている光景です。
しかし、目の前にするとそこで人々の生活があった事、家族の団欒があった場所だという事が胸に突き刺さります。
花束を手向けられたところもありました。
ご覧の通り、道一本と高いとは言えない防波堤を挟むとすぐそこに海があります。
豊間海水浴場。
サーファーが数人波乗りしてましたが、
夏になったら果たして海水浴客は来るのでしょうか?
僕らは手をあわせてそこを離れました。
先ほどの いわき・ら・ら・ミュウで働いていたおばさんは、
「オススメはアンコウだけど、もう食べられないよ…」
一瞬、“旬ではない?”と思ったのですが、空かさずおばさんは
「海の底にいるから、放射線がね。」と。
しかし、店頭に並べられた新鮮な魚介類はすべて放射線の基準値をクリア出来ているので安全だよと言っていました。
そのまま帰るならウマそうな金目鯛や、
この辺りで採れる目光という魚を買って帰れるのですが、これから郡山…
複雑な思いで郡山へ向かいました。
途中ラジオで “今日の各地の放射線量” を
お知らせとして放送されていました。
「リアルやな…」
と同僚。
磐越道を走っていると、所々地震で崩れた道路を修復作業してました。
もう2年。まだ2年。
捉え方はいろいろですが、
決して忘れてはいけないし、
伝えていかないといけない。
どこかしら他人事だった自分を否定出来ませんでした。
パッと見に来ただけの僕らでも、
相当のショックでした。
当事者ならどうだったのか想像もつきません。
自分の子供達にも感じて知ってほしいと
思いました。
みん友のみなさんには、
「真面目かっ!」
と突っ込まれそうですが、
長々と失礼しました<(_ _)>
Posted at 2013/06/28 23:28:56 | |
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