
ノーナリーブスの寺西郷太によるプリンス本である。今迄も海外の本の翻訳はいくつかあり私も読んだ事があるが日本人によるプリンス本は初だという事。驚きだが事実だ。
一通り読んで感じたのが、"適度な距離を置いた客観性"だ。ファンにありがちな歪んだ視点ではなく正しい視点で書かれている。
同じ58年生まれのライバルであるマイケルジャクソンやマドンナとの比較が最も分かりやすく、誰に肩入れする訳でもなく客観的に書かれているので正しく彼らの違いや関わり方を理解出来る。そういった文章には初めて出逢った気がする。
自身もミュージシャンでマイケルジャクソンの大ファンでもあるというのも大きいと思う。しかし偏りがなく平等なのは作者の優れた能力だろう。
プリンスの音楽を中心に音楽業界やファンとの関わり方、私生活をバランスよくミックスし、そこに時代の変化も反映してて本当に読み応えがある。これら一つでも欠いてしまっては正しくプリンスを理解する事は出来ないだろう。
相当なマニアである私が初めて知る事は殆どないが、他の人の視点でこう客観的に語られると、なるほど!と納得出来るものも多々あった。
自分も同じくリアルタイムに1999、パープルレインから3121まで熱狂的なファンであり続けたのを思い出す。(プリンスがデビューした1978年から3121リリースの2006年までが丁寧に均等に書かれている。)
しかし2007〜2013年までは1〜2ページで駆け足で書かれているし内容もリリースの仕方の衝撃性だけだ。つまり私と同じように音楽性については否定的なのだろう、だから割愛してると思われる。この点に関して最近見つけたファンブログの意見が最も共感出来た。
プリンスの再生産。手抜きだと。
私も同意見である。過去と同じ作品は作らない。そう言ってたプリンスが過去と同じ作品を作っている。あるいは当時のアウトテイクを焼き直してリリースしている。終わったと思っても仕方のない事だ。
そしてこの本でもそうだが2014年から再び盛り上がる。あくまで歌詞からの予想でしかないがエホバの証人から脱退したのではないかという事だ。2001年から入会して歌詞の面でも大きな影響があった。これは大きな変化だろう。
そしてファーガソン事件。黒人アーティストの誰もが強い気持ちを打ち出す結果となったあの事件。ずっと躊躇っていたデアンジェロが15年振りに新作をリリースしたのもこの事件の為であった。
音楽は時代を反映する。
だからこそ特別な存在なのである。
レコードからCD、そしてダウンロード。
扱われ方が軽くなり価値を失った音楽。
特にアルバムという概念は崩壊してしまった。プリンスの新作HITnRUNは全曲繋がっている。曲の配列も計算され尽くしている。一曲目から始まってそのまま最後の曲まで聴き終える。そんな魔力がある。EDMという時代の音をベースに自由にその上にプリンス印の演奏を重ねる(そして抜く)それがスリリングだし時代と共存しながら戦っている。
今回のアルバムで本当に久し振りにプリンスの作品にワクワクした。その理由を客観的に理解出来る手助けをしてくれた本書に感謝を述べたい。
その他、パープルレインが意図的にBPMを上げてロックファンにアピールしているとか、ウィーアーザワールドに参加しなかったのは他のアーティストと並んで背の低さが目立つのが嫌だったとか、そうなんだと気付く事実もありました。
http://youtu.be/IieRYg-qo20
Posted at 2015/09/23 04:19:43 | |
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