
前作『ドラゴンボール 最強への道』より17年ぶりの劇場作品であり、併映無しの単独上映としては初の劇場作品となる。原作第517話の魔人ブウ戦終結から第518話までの10年の間に起こったエピソードが描かれる
以上、Wikiより
ということで我慢出来ずに公開日に観て来ましたーーーーー!
ネタバレ満載なので読まれる方は心して読まれよ!
とにかくバトル!強ければいい!っていう、
戦闘力の数値化とかトーナメントで闘うなどの古のジャンプに毒された人は
ガッカリするでしょうね
ここで描かれるのは、
決して
「勝利」=「正義」
「勝利」=「正義」ではないからです。
そもそも鳥山明が書くアラレちゃんや初期のドラゴンボールはギャグ色が強く、あの独特としたほのぼのとした雰囲気が魅力でした。それがサイヤ人以降はどんどん強さを求める流れになり最終的に破綻した。
セルとの闘いで悟空が死に悟飯にバトンタッチ、その後ギャグ路線のグレートサイヤマンになったのは、作者が軌道修正したかったからでしょう。
でも周りの理解は得られず、ブウ編に移行していってしまうのですが、、、、、
(あそこでも悟飯、トランクス、悟天にブウを倒させようという流れがあったはずなのに結局最後に闘ったのは悟空とベジータだった。)
えー話が逸れましたが今回の作品は、
ギャグとバトルのバランスがいい
ギャグが多すぎる!とかベジータのイメージが違う!っていう意見があると思いますが、
子供が喜ぶのが一番
と思います。だから非常によい作品だと思います。
誰が見ても楽しめる作品こそが鳥山明の本道だと思います。
ブウ編の流れで書かれてるなら、ベジータの妻や子への愛情の深さやギャグはすでに書かれてたので、思ったほど違和感はなかったです。ピッコロだってどんどんギャグ化して行ったし、ベジータもそれでいいじゃないですか。人間味があって親しみやすくて。
私は大好きですよ今回のベジータ。
だってブルマを殴られた怒りでビルスを圧倒!
その力は悟空のスパーサイヤ人3を超える!
ってゾクゾクしましたよ。
そしてバトルですが
誰も死にません
街は破壊されません
そんな事は綺麗ごとだと思うでしょうけど、今の時代を象徴する配慮だと思います。
簡単に人の命や住まいが失われてはいけないのです。
また敵である
ビルスは悪ではない
彼には彼のルールがあってその中で生きている。
だから単純に正義や悪で語られるものではない。
そもそも悟空も闘うのが好きなだけで正義かと言われると疑問があるでしょ?
そして一番驚いたのが
悟空が負ける
訳の分からん理由で、人は急に強くなりません。
そして必ず勝つとは限りません。
でも生きていれば
お互い分かり合うことが出来る
そして
次に勝つために努力する未来が存在する
のです。
過去の作品のように、相手は絶対的な悪で、意味のわからん力で逆転して勝って、ハッピーエンドではないのです。
明るい未来、成長する未来を感じさせるラストで凄くよかったです
そしてバトルシーンですが、
凄かった
現代にドラゴンボールを甦させるのですから、これくらいの凄いバトルを見せてもらわないと納得できませんもんね。
スピード感がハンパないです!
悟空とビルスは中央で闘っててそれ自体は普通なのですが、周りの背景がグルグル変幻自在に変化して、それがとんでもないスピード感なんです!
その背景も街、空、水中、土中、宇宙と切り替わって行ってそれもド迫力のスピード感でしたね。
ここまで強くなってしまうと、それを映像で見せるのは困難だと思うのですが、それをこういう手法で実現するとは!素晴らしいです!!!!
最後に
スーパーサイヤ人ゴッド
ですが
安易ですね。
変化の姿もイマイチだし。
でも
それで勝てなかった。
最後はスーパーサイヤ人に戻って闘った。
それが良かった。
そうです
人は簡単に強くならないし、必ず勝つわけじゃない
のです。
それでも未来さえあれば無限の可能性があるのです。
Posted at 2013/03/31 05:30:52 | |
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