先に
転職への道①をお読みください。
本命N社に落ちた事で、目的と自信を失い不安な日々が続いていた。
しかし、ここで状況は好転する。
11月の初め頃にこれでもかという程の会社紹介を受ける。これはN社を紹介してもらったJエージェント社の担当さんの配慮だったと思う。私がN社に絞り込んでたので、それ以外の会社をあえて紹介してなかったのだと思うが、それが不採用となったことで解除。手持ちのめぼしい案件はすべて紹介してもらえるようになった。
そして新たにPエージェント社からもお話が来る。数社のエージェントと話をしたけれど、私の希望をちゃんと聞いてくれて最後まで熱心にフォローしてもらえたのはこのJ社とP社の2社だけだった。他の会社は兎に角何処でもいいから入れて紹介料を取ってやろうというのが伝わって来てムカついた。
しかしJ社とP社は私の不安な気持ちをケアしながら前向きに会社紹介をしてもらえた。
希望年収を下げ、勤務地も京都、大阪、名古屋まで拡大し、私という個人に興味を持ってもらえた企業の話はすべて聞こう。ブランドじゃなく中身で選ぼう。そういう真摯な気持ちになっていました。
紹介してもらった企業で、明らかに応募条件(××経験3年以上とか)に合わないところ以外はすべて応募してもらいました。応募した半数くらいでしょうか、書類審査を通過して面接の依頼をいただきました。
後で聞いたのですが一般的に書類審査が通る確率は10%程度。半分も通過する人はまれなのだとか。
自分の価値を認めてもらえるのが何より嬉しかった。完全否定されたと思っていた私の心に光が射し込んで来ました。
11/14 S社面接
11/17 SH社面接
11/19 父が急性心筋梗塞で手術
11/21 H社面接(父がまだICUに入っている状況だったので辞退)
11/28 K社面接
11月の後半だけで4社も面接を受ける事になります。当然事前に各企業のホームページを見て会社の方針や製品を理解して、その中で自分がどう貢献出来るかのイメージを作り上げます。それも結構パワーが入ります。毎回真剣勝負ですから。それに会社の収益の状態は大切ですからホームページに業績が載っていない場合は、図書館に行って帝国データバンクの企業情報で調べたりもしました。
そんな中、父の急性心筋梗塞の手術があったりで本当に大変な2週間でした。
11/14(月)
S社面接(滋賀県)
→社長自ら面接に来ていただいて、4時間に及ぶ面接、試験で相当疲れましたが、お互いに相思相愛の関係でこの会社に入社したいという気持ちをかなり強く持ちました。
11/15(火)16(水)東京
S社から課題を出されており、自分の覚悟を見せるために何としても金曜日までに送りたかった。しかし未経験分野の私にはかなりの難問で書き上げるのに計10時間以上を必要としました。日中は今の仕事をして、夜になった睡眠時間を削っての作業でした。
11/17(木)
S社の課題を速達で送り、すぐに移動
SH社面接(大阪)
こちらもS社同様30人くらいの会社で社長自らの面接。3時間に及ぶ長丁場でした。
先のS社と連続して小さな規模の会社の社長と長時間お話しましたが、会社と一心同体という熱い思いが伝わって来ました。同時に自分は大会社で甘えていたんだなと感じました。
また開発の現場から離れること5年の46歳の私は即戦力にはならんという事を痛感しました。先月のN社の不採用も当然だという素直な気持ちになりました。
11/18(金)
名古屋で仕事
11/19(土)
石川に帰って来てました。
そこに母から電話、父が緊急手術。
すぐに富山の病院に向かいました。
11/20(日)21(月)富山
富山の実家には母ひとり
しかも運転が出来ません
父の容態も急変する可能性があり実家に泊まりました。入院の準備もありましたし、この状況で母ひとりを家に置いておくわけにはいきません。この間に父が元気になる事を信じて、父の車のタイヤをスタッドレスに交換しました。
再検査するまではICUは出れませんでしたが、すっかり父は元気になり普通に話すことが出来るくらいに回復したので石川に戻ることにしました。
11/22(火)23(水)石川
私と妻の車のタイヤをスタッドレスに交換。
また妻の車の車検の予約をしにディーラーに。月に1回くらいしか石川に戻れませんから、その間にすべての準備をしておかなければいけません。出来る準備は済ませて、他は妻にお願いとなります。両親も含めて。
もう東京は絶対にないという気持ちになってましたね。
そんな気持ちで夜新幹線で東京に向かう。
最悪だ。
11/24(木)東京
仕事をする。
結構休んでたし、父のことも広まっていたので大丈夫か?と沢山の人に声をかけてもらう。感謝。
11/25(金)東京
S社から内定通知が届く٩(ˊᗜˋ*)و
が、しかし…
提示された年収は低く見積もっていた予想よりも更に低く、自費での単身赴任になる事も考慮するとかなり厳しい額でした。
すべてが希望通りとはいかない。
また悩む事になります。
残りの人生をかけた転職ですからね。
《つづく》
次で終わりの予定です。
Posted at 2016/12/17 06:48:39 | |
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