訳わかんない話なので、考えるのが嫌いな人は読まないようーに。
テセウスの船という問題があります。
この手の哲学的な話は大好きなので、仕事相手との雑談でよく話題に挙がります。
【例題:Wikipediaより引用】
おじいさんの古い斧
「おじいさんの古い斧(Grandfather's old axe)」とは、
本来の部分がほとんど残っていないことを意味する英語での口語表現である。
すなわち、「刃の部分は3回交換され、柄は4回交換されているが、同じ古い斧である。」
この成句は冗談として、明らかに新しい斧を掲げて
「これはジョージ・ワシントンの使った斧で…」などと使われる。
さて、ウチのクルマはボディすら色が変わっており、
もともとのパーツを探すのが困難になってきました。
エンジンだってタービンだってかわってますし、足回りや駆動系もかわっています。
シフトのリンク部分のゴムだってピロに変わっている始末。
それも同じクルマといえるのか?
見た目はMR2を保っているが、本来製作者が意図したMR2とかけ離れているのにMR2なのか?
謎は深まるばかりです。
さてさてボクは「クルマはクルマ、機械は機械。ただの工業製品である」と思っています。
みんからをみていると、そうでもない方も多いですね。
確かに数年前はボクもそうだったように思います。
擬人化するときもありますが、クルマは不具合を勝手に直すことは無いし、
クルマの意思でどうこうすることもありません。
製造年が過去になればなるほど、現実をイヤというほどつきつけられます。
状態が良いころを知っているからこそ。
# まだ所有して10年ですが、1993年式、今年で19年ですよ。
クルマをパートナーとして依存しているわけでもなく、
最近はお気に入りの道具としてしか見れないです。
だから、意外と新しいクルマを見つけたら早々に乗り換えそうな気もします。
ただ、問題があり、今以上にお気に入りになりそうな工業製品が見つかりません。
いや、見つかってはいるのですが、金銭をかけてまで手に入れたくないっていうのが本音かな。
なーんか、MR2を末永く壊れないように、しかもお金をかけずに乗っていくには、
最大でも320馬力程度で抑えるのが良いんじゃないかなぁ。
それ以上は壊れまくる。
壊れるって表現は良くないな、メンテがこまめに必要って思います。
一瞬の気持ちよさは400馬力程度が怖くなくって楽しめる領域でしょう。
が、ながーい目でみると、300馬力で止めているMR2が一番賢くて一番楽しいカーライフを送れる、
そんな気がします。
しかし、そこまで馬力の上がったMR2はすでにMR2ではないでしょうね(笑)
ボクはエンジンがのるのらないは抜きにして、
SW20ボディにNAのロータリーを載せて走らせてみたいです。
爆音で。
でも、一回乗ったらやみつきになりそう、だけど想像するだけでうるさそう…
なーんて、もうMR2じゃないよねーってな感じですよ。
まさしく砂山のパラドックス!
●亡くなってしまったんですね…
ご冥福をお祈りいたします。
Posted at 2011/02/10 23:33:55 | |
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くるま | 日記