関ヶ原の古戦場を古戦場マップを参考に回っていましたが、ふと、美濃と近江の国境にある
「寝物語の里」という古蹟があるのを思い出して行ってみました。
司馬遼太郎氏の「街道をゆく(24)・近江散歩」で紹介されていた里です。
美濃と近江の国境の里です。国境は小さな溝一つが美濃と近江の境を示しています。
この村には長屋が多く、壁一つで隣家と仕切られているから隣人同士お互いに寝ながら物語ができたからこの名前があるそうです。頼朝に追われ奥州へ逃れる源義経をしたって、家臣の江田源蔵がその後を追い、美濃側の宿に泊まったところ、近江側に宿をとっていた義経の妻静御前がその声に気付き、再会を喜びあったという伝説もあるそうです。
また、この村には「長競村(たけくらべむら)」という名もあり、街道の左右の山の高さが同じくらいで、近江と美濃の山がどちらが高いか見比べながら歩いたことからこの名がついたそうです。
裏千家四世・千仙叟宗室の茶杓に「寝物語の里」というものがあり、一本は美濃の竹で、一本は近江の竹でつくられていて、一つの筒におさめられていることから名付けられたそうです。司馬氏はこの村がよほど気に入っていたのか、「国盗り物語」でもこの村を信長と濃姫の「寝物語」の話に登場させています。
美濃側(関ヶ原町)には 「正月も美濃と近江や潤月」という芭蕉の石碑も建っています。
近江側(米原市長久寺・旧坂田郡山東町長久寺)には寝物語の里の由来を記した石碑が建っています。
ここから西に向かうと、柏原、醒ヶ井、番場と中山道の宿場町が続きます。北条仲時の悲劇、佐々木道誉の婆娑羅、その他にも室町、安土桃山、江戸と時の権力者が往復した美濃と近江だけあって史跡がたくさんあるようです。この日は関ヶ原の戦いというテーマがあったので西には向かいませんが、また中山道の「街道をゆく」をやってみたい気持ちになりました。
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Posted at
2007/04/05 22:54:46