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2011年05月28日 イイね!

祇王寺

祇王寺は、平家物語の舞台としても知られる真言宗の寺院です。清盛、祇王・祇女らの木像を安置してあり、境内には祇王・祇女の墓といわれる宝筐印塔、鎌倉時代の作とされる清盛の五輪の石塔があります。
建物などは明治28(1895)年のものだそうですが、そんなことは感じさせない趣のある寺です。
祇王寺 - 01
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祇王寺 - 02
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祇王寺 - 03
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祇王寺 - 04
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祇王寺 - 05
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祇王寺 - 06
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祇王寺 - 07
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祇王寺 - 08
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祇王寺 - 09
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祇王寺 - 10
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祇王寺 - 11
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祇王寺 - 12
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祇王寺 - 13
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祇王寺 - 14
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祇王寺 - 15
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祇王寺 - 16
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祇王寺 - 17
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Posted at 2011/08/11 23:18:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2011年05月28日 イイね!

大河内山荘

大河内山荘は昭和中期の映画俳優の大河内傳次郎の別荘で小倉山に続く山腹を庭園に組み込んだ壮大な屋敷です。
百人一首で著名な洛西小倉山の南面6千坪に,大河内伝次郎が昭和9(1934)年から30年の歳月にわたり造った庭園です。
書院、寝殿、茶室から構成される大乗閣、傳次郎が座禅を組んだ持仏堂などがあります。
遠くに比叡山、京都の町が望め、また大河内伝次郎の時代劇俳優としての活躍ぶりを写真やパネル等で解説する資料館もあります。
大河内山荘 - 01
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大河内山荘 - 02
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大河内山荘 - 03
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大河内山荘 - 04
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大河内山荘 - 05
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大河内山荘 - 06
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大河内山荘 - 08
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大河内山荘 - 10
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大河内山荘 - 14
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大河内山荘 - 15
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Posted at 2011/08/11 23:13:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2011年05月28日 イイね!

天龍寺

天龍寺は臨済宗天龍寺派の大本山です。足利尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるため、暦応2(1339)年、夢窓国師を開山として創建されました。
室町時代には京都五山の第一位を占めました。
建物は蛤御門の変などで焼けたため、明治時代再建されたものがほとんどです。
当時の原型を残す曹源池庭園は亀山や嵐山を借景にした池泉廻遊式で、夢窓国師の作庭といわれています。
平成9(1997)年加山又造画伯によって法堂(特別参拝)の天井に「雲龍図」が描かれました。
日本で最初に史跡・特別名勝に指定され平成6(1994)年12月には「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されました。
天龍寺 - 01
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天龍寺 - 02
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天龍寺 - 03
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Posted at 2011/08/11 23:06:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2011年05月14日 イイね!

藤樹の里安曇川と朽木陣屋

滋賀県高島市、かつての安曇川町を訪れました。
ここは、近江聖人と言われた中江藤樹の出身地。ゆかりの史跡が点在します。
中江藤樹は、江戸時代初期の儒学者で、慶長13(1608)年3月7日、近江国高島郡小川村、現在の安曇川町上小川に生まれました。
元和8(1622)年、15歳の時、祖父吉長の家禄を継いで伊予の大洲藩士となりましたが、寛永11(1634)年、27歳の時、大洲藩士の辞職を申し出ましたが拒否されたため脱藩し、小川村に帰郷しました。
以後、慶安元(1648)年8月25日、41歳で没するまでの14年間、居宅に私塾「藤樹書院」を開き、武士や近隣の庶民に「良知の学(良知心学)」を広めました。

陽明園は、昭和61(1986)年からはじまった王陽明先生の生誕地である中国浙江省余姚市と、日本陽明学の祖・中江藤樹先生生誕の地である滋賀県安曇川町(現在は高島市)との友好交流シンボルとして建設した中国式庭園です。 余姚市は、王陽明をはじめ、中国のルソーと呼ばれた黄宗義、近世日本の思想に大きな影響を与えた朱舜水など、数多くの文人・学者を輩出した「文献名邦」のまちです。
あづまやである「陽明亭」は、余姚市の龍泉山公園に建てられている陽明亭をもとに、明代(1368~1661)の建築様式によって復元したものです。
陽明園 - 1
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陽明園 - 2
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陽明園 - 3
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藤樹神社は、近江聖人・中江藤樹を祭神とする神社です。
大正11(1922)年に藤樹神社創立協賛会(会長・堀田義次郎滋賀県知事)が中心となり建てられました。建立にあたっては、皇室ご下賜の木曽檜が使われました。
神社の創建に際しては、すべて寄附金でまかなわれ、寄附者は日本全国はもちろんのこと中国や朝鮮にまで及びました。
主な宝物としては久邇宮良子女王(香惇皇后)の御作文「吾が敬慕する人物中江藤樹」 藤樹直筆の書翰「送佃子」をはじめ熊沢蕃山や佐藤一斎の書やさらに「藤樹先生全集」校正本等数多くあります。
(説明看板などより)
藤樹神社 - 01
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藤樹神社 - 02
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藤樹神社 - 03
藤樹神社 - 03 posted by (C)pismo

藤樹神社 - 04
藤樹神社 - 04 posted by (C)pismo

中江藤樹墓所は、慶安元(1648)年の藤樹先生の死後、間もなく造営されたといわれ、向かって左奥が藤樹先生の墓です。
現在、墓には、右奥に寛文5(1665)年に死去した藤樹先生のお母さん(中江徳右衞門の妻、北河氏)、右手前に藤樹先生の三男常省先生の墓があり、それらは儒式の墓にならって土盛りがあり、そのすぐ前に墓碑が建てられています。
享保6(1721)年には諸国の門人、同士が協力して墓域の石柵を造り、現在の墓域の姿が整いました。
地元では古くから藤樹先生の墓所として大切に守り伝えられ、現在も上小川の人々の手により清掃、管理がなされています。
中江藤樹墓所 - 1
中江藤樹墓所 - 1 posted by (C)pismo

中江藤樹墓所 - 2
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中江藤樹墓所 - 3
中江藤樹墓所 - 3 posted by (C)pismo

藤樹書院は、中江藤樹先生の屋敷地に開かれた私塾で、慶安元(1648)年の春、門人達によって創建されたもので、近世における私塾のさきがけです。
藤樹先生の死後、大溝藩は解散退去を命じました。幕藩体制が固まらない時期に到良知の思想を学ぶ者たちが集まることを警戒したためです。
その後、享保時代に書院での講会が復活しました。寛政8(1796)年には光格天皇から「徳本堂」の堂号が下賜されました。
しかし、講堂は、明治13(1880)年に惜しくも焼失しました。しかし幸いにも先生の遺品や遺墨類の焼失は免れました。
現在の講堂は、その二年後募金により、仮の講堂として再建されたものです。
良知館は、藤樹書院へ訪れた方の案内所兼休憩所として宝くじ助成事業により平成15(2003)年度に整備しました。休憩所・トイレ・駐車場(5台)・管理室からなり、無料のガイドにより日本陽明学の祖中江藤樹の教えに気軽にふれられる場所です。
藤樹書院・良知館 - 01
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藤樹書院・良知館 - 02
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藤樹書院・良知館 - 03
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藤樹書院・良知館 - 04
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藤樹書院・良知館 - 06
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藤樹書院・良知館 - 07
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藤樹書院・良知館 - 08
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近江聖人中江藤樹記念館は、昭和63(1988)年3月、藤樹先生生誕380年を記念して開館しました。
藤樹書院および藤樹神社の宝物を収蔵し、先生の遺品や遺墨いぼく、著書の代表的なものを展示しています。
中江藤樹記念館 - 1
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近江聖人中江藤樹之像は、安曇川駅前に昭和52(1977)年10月に建立されました。
中江藤樹像 - 1
中江藤樹像 - 1 posted by (C)pismo

そして、少し足を伸ばして朽木へ。
朽木陣屋〔朽木城〕を訪れました。
朽木氏は、近江源氏の佐々木氏の流れで、京極氏、六角氏とは同族の高島郷に割拠した高島七頭の一家として朽木谷を支配していました。 
織田信長が、朝倉攻めの際、浅井長政の裏切りに遭い、若狭から京へ逃げる際にとったルートが朽木谷で、 朽木元綱がその先導をしたで知られています。
その後は織田信長、豊臣秀吉に仕え、朽木谷2万石を領有していましたが、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いでは、西軍に属していたものの、小早川秀秋に呼応して脇坂安治や小川祐忠、赤座直保らとともに東軍に寝返りました。
戦後、寝返り理由を明らかにしなかったとの理由により減封されましたが、以後準大名格で9千石でこの地を領有し、明治維新を迎えました。
朽木陣屋は、江戸時代に朽木氏が本拠とした城館でしたが、平成12(2000)年に朽木陣屋跡の発掘調査が行われ、 15世紀初めに遡る遺構が発見され朽木氏の本拠である朽木城が、陣屋と同じ位置に存在したことが分かったそうです。
朽木陣屋跡の一部は史跡公園になっており郷土資料館が建ち、江戸時代の民家が移築されています。
朽木陣屋 - 1
朽木陣屋 - 1 posted by (C)pismo

朽木陣屋 - 2
朽木陣屋 - 2 posted by (C)pismo
Posted at 2011/08/10 21:19:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2011年05月14日 イイね!

河内長野に残る中世の城・烏帽子形城

所用で河内長野までに来ましたので少し立ち寄ってみました。
烏帽子形城は正慶元(1332)年、楠木正成によって築かれたと伝えられています。
応仁の乱以後、河内守護の畠山氏の持ち城であり、安土桃山時代にはキリシタン大名でこの地域の有力な武士であった甲斐庄正治が城主となっています。そして、最後の城主が徳川の旗本となった正治の子の甲斐庄正房です。
北側に石川本流を、東側に支流の天見川を見下ろす、標高182mの烏帽子形山に築かれています。 
主郭と腰郭を中心にコの字状に堀と土塁が巡らされ、北東には曲輪が造られています。
昭和63(1988)年の調査で主郭の西側の縁に沿って、室町時代末期ごろの2棟の細長い礎石建物が見つかり、城の施設の一部と考えられています。
現在は烏帽子形公園として整備されています。
烏帽子形城 - 01
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烏帽子形城 - 02
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烏帽子形城 - 03
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烏帽子形城 - 04
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烏帽子形城 - 05
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烏帽子形城 - 06
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烏帽子形城 - 07
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Posted at 2011/08/10 20:58:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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何シテル?   03/25 21:35
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