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ピズモのブログ一覧

2011年09月23日 イイね!

加西市 住吉神社と酒見寺

この日は、所用で加古川市を訪れた後、帰りに加西市にある住吉神社と酒見寺を訪れました。
住吉神社は、古くは酒見大明神と呼ばれていた神社です。
養老元(717)年に翁と媼の二神が五人の王子と共に、鎌倉峰(加西市河内町)に来られ、それに従っていた佐保神が、狭い山頂より眼下の平野に移られることを勧め、現在の北条の地に来られたといわれています。
山酒人という人が中心となり、当時の人々と相談の上、酒見神と住吉四神を祀りました。
社殿は幾度も戦火に見舞われましたが、江戸時代初期に姫路城主池田輝政により再建されました。
現在の本社三殿は嘉永4(1851)年に再建されたものです。
明治42(1909)年、黒駒大歳神社、西上野八幡神社を合祀しました。
平成17(2005)年には本社三殿、幣殿、拝殿、玉垣が登録有形文化財となりました。
酒見寺の隣にあります。
住吉神社 - 1
住吉神社 - 1 posted by (C)pismo

住吉神社 - 2
住吉神社 - 2 posted by (C)pismo

酒見寺(さがみじ)は、山号は泉生山、高野山真言宗の寺院です。
天平17(745)年、行基菩薩がこの地を訪れ酒見明神に詣でたところ、明神が行基菩薩に「この地に寺を建てなさい」とのお告げを受け、帝に奏上し寺院堂塔を建て、寺号を酒見寺とされたといわれています。
聖武天皇の勅願寺でもあり、酒見寺は歴朝の帰依が深く、平安時代後期より勅旨の参詣が毎年行われ、また三代将軍家光公より御朱印寺となり、護摩堂には歴代天皇、ならびに歴代徳川将軍の位牌がおまつりされています。
本堂は元禄2(1689)年の再建です。多宝塔は国の重要文化財に指定されており、寛文2(1662)年の再建、鐘楼は兵庫県指定文化財で寛文4(1664)年の再建で梵鐘も同じく兵庫県指定文化財となっています。
楼門は文政8(1825)年に再建され、加西市指定文化財となっています。

酒見寺 - 01
酒見寺 - 01 posted by (C)pismo

酒見寺 - 02
酒見寺 - 02 posted by (C)pismo

酒見寺 - 03
酒見寺 - 03 posted by (C)pismo

酒見寺 - 04
酒見寺 - 04 posted by (C)pismo

酒見寺 - 05
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酒見寺 - 06
酒見寺 - 06 posted by (C)pismo

酒見寺 - 07
酒見寺 - 07 posted by (C)pismo

最近テレビで紹介されていたので立ち寄りました。
最近は日没が早いので、暗くなりかけていたのは残念でしたが、なかなか雰囲気のある神社とお寺でした。
Posted at 2011/10/22 21:47:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2011年09月23日 イイね!

オリンパス・PEN入手!!

オリンパス・PEN入手!!オリンパス PENを入手しました!!


といっても雑誌の付録。Real Design11月号のセブンイレブン販売分についてくるおまけです。

(オリンパスのプレスリリース)
(デジカメWatchの記事)
(リアル・デザイン 2011年 11月号)





ストラップとはいえレンズ交換ができます。


背面。


ズームレンズ装着。


17mm F2.8?


おまけ付録といえども良くできています。
ただ、この雑誌をあつかっているセブンイレブンがなかなかなくて、3軒目でようやく見つけました。

PENはデザインがいいですね。
ミラーレスもかなり性能が良くなってきたので、少しほしくなってきました。でも買うなら高感度に強いNEX-5Nかな?
PEN E-P3もなかなか魅力的なんですけどね。

Posted at 2011/09/25 13:07:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | デジカメ | 日記
2011年09月18日 イイね!

肥後・島原紀行(4日目その5・木山城・御船城・熊本城 帰路へ)

一旦熊本市から出て、益城町、御船町の城跡を訪れました。
木山城は、木山氏代々の居城とされ、天文16(1547)年に木山惟貞が赤井城を築城した後は、家老の竹崎筑後をはじめとした城代がおかれたとされています。
天正13(1585)年9月13日の木山神宮例祭の日に薩摩島津氏に攻められて赤井城と同時に落城したと伝えられていますが、「新撰事蹟通考」には小西行長時代にも伊藤與左衛門が城代として入城した旨が記されています。
なお、「阿蘇家文書」康永3(1344)年10月太宰少弐頼尚の書状から、木山城は「松丸城」と称せられた時期があったことがうかがえます。
木山城は木山中心部に位置し、肥後進出を図る勢力にとっては政局を左右する要衝として幾度となく攻防が繰り返されていたといわれています。
木山城跡は、「城の本」という字名を残す帯状形の丘陵地の末端部に位置しています。
丘陵の背面は大きく三区画に分かれており、中央部分に本丸と称される長方形状の高台が存在します。顕著な遺構としては、本丸の西側に竪堀の残存部を有する曲輪が存在し、民家の敷地内にも土塁と空堀が観察されています。
昭和57(1982)年の豪雨で城跡の北側斜面が崩れ、被葬者と副葬品を収めた石棺が現れたことから、縄張りの一部円墳が取り込まれていたことが判明し、「城の本古墳」と名付けられました。
平成4(1992)年より木山城跡公園として整備が進められたところ、平成17(2005)年にその工事現場より再び別の石棺が出土し、「城の本2号墳」として報告されました。

木山城 - 01
木山城 - 01 posted by (C)pismo

木山城 - 02
木山城 - 02 posted by (C)pismo

木山城 - 03
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木山城 - 04
木山城 - 04 posted by (C)pismo

木山城 - 05
木山城 - 05 posted by (C)pismo


御船城は、南北朝時代以来、阿蘇氏系の御船氏、甲斐氏の居城でした。
城の築城年代は不明ですが、興国4(1343)年に阿蘇(恵良)惟澄が足利軍の進攻を当城で防いだといわれています。
また、興国6(1345)年には筑後三郎の大軍を御船城で撃退しています。
正平3(1348)年には阿蘇惟時らが懐良親王を当城に迎えており、当時は阿蘇氏が居城していたと考えられています。
延文4(1359)年には、大保原の戦いを有利に進めようとした豊後国の大友氏がこの戦いの直前に御船城を襲っています。後に南朝方の勢いが衰えると、城主の御船盛安は北朝に降伏しました。
天文10(1541)年には城主の御船房行が阿蘇氏に反乱し、これを討伐した甲斐宗運(親直)に御船城が与えられました。宗運は、阿蘇氏を支え響野原の戦いでは島津氏に降り尖兵となった相良義陽を討ち取りました。
天正13(1585)年に没すると子の甲斐親英が城主となりますが、島津氏の大軍に包囲されて同年に戦わずして降伏し、島津義弘が入城しています。
天正15(1587)年の九州征伐で島津氏が去ると佐々成政が肥後に入り、肥後国人一揆が起きました。一揆に参画した親英が処刑され、甲斐家は滅亡しました。
城跡は城山公園として整備されています。公園入口には模擬城門が建てられていますが、あまり遺構は残っていないようです。
a href="http://photozou.jp/photo/show/219075/104640547">御船城 - 1
御船城 - 1 posted by (C)pismo

御船城 - 2
御船城 - 2 posted by (C)pismo

御船城 - 3
御船城 - 3 posted by (C)pismo

御船城 - 4
御船城 - 4 posted by (C)pismo


そして旅の最後に熊本城を訪れました。
この日は藤崎八幡宮の秋季例大祭で市内各地は大渋滞です。思った以上に時間がかかりました。
熊本城は3年前も訪れました。

福岡・熊本・太宰府紀行(2日目その1・熊本城)
福岡・熊本・太宰府紀行(2日目その2・熊本市内の史跡)
福岡・熊本・太宰府紀行(2日目その3・熊本城のライトアップ)

<熊本城 - 01
熊本城 - 01 posted by (C)pismo

熊本城 - 02
熊本城 - 02 posted by (C)pismo

熊本城 - 03
熊本城 - 03 posted by (C)pismo

熊本城 - 04
熊本城 - 04 posted by (C)pismo

熊本城 - 05
熊本城 - 05 posted by (C)pismo

熊本城 - 06
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熊本城 - 07
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熊本城 - 08
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熊本城 - 09
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熊本城 - 10
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熊本城 - 11
熊本城 - 11 posted by (C)pismo

熊本城 - 12
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熊本城 - 14
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熊本城 - 15
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熊本城 - 16
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熊本城 - 17
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熊本城 - 18
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熊本城 - 19
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熊本城 - 20
熊本城 - 20 posted by (C)pismo

そして加藤神社にも参拝しました。
加藤神社は、熊本城二の丸にある加藤清正を祀る神社です。
明治4(1871)年、加藤清正を祀る本妙寺の浄池廟から神社を分け、熊本城内に社殿を造営して錦山神社とし、清正に殉じた大木兼能と金官を合祀しました。
明治7(1874)年、熊本城内に熊本鎮台が置かれるのに伴い、城外の新堀町(現在の京町一丁目)に遷座しました。西南戦争で焼失しましたが、明治17(1884)年に再建されました。
明治42年に、錦山神社から加藤神社に改称されました。
昭和37(1962)年、道路改修のため、再び熊本城内の現在地に遷座しました。
加藤神社 - 1
加藤神社 - 1 posted by (C)pismo

そして、前回はまだなかった桜の馬場 城彩苑でお土産を買いました。
桜の馬場 城彩苑 - 1
桜の馬場 城彩苑 - 1 posted by (C)pismo

そしてレンタカーを返して、熊本駅で新幹線を待つ間、辛子レンコンや馬刺しで一杯やりました。
ふれすた熊本・大漁食堂 HERO海 - 1
ふれすた熊本・大漁食堂 HERO海 - 1 posted by (C)pismo

ふれすた熊本・大漁食堂 HERO海 - 2
ふれすた熊本・大漁食堂 HERO海 - 2 posted by (C)pismo

そして、みずほで帰路につきました。
みずほ606号 - 1
みずほ606号 - 1 posted by (C)pismo

いつもながら、少し詰め込みすぎましたが、充実した3泊4日でした。
Posted at 2011/10/20 22:18:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ(レンタカー) | 日記
2011年09月18日 イイね!

肥後・島原紀行(4日目その4・水前寺成趣園〜健軍神社〜横井小楠記念館・四時軒〜小楠公園など)

水前寺成趣園は、細川家の庭園です。
熊本藩の初代藩主細川忠利が寛永13(1636)年頃から築いた「水前寺御茶屋」が前身で、細川綱利のときに泉水・築山などが作られ、現在の形が整えられました。
陶淵明の詩「帰去来辞」の一節「園日渉以成趣」からとって「成趣園」と名付けられました。
細川藤孝(幽斎)が後陽成天皇の弟八条宮智仁親王に古今和歌集の奥義を伝授したといわれる古今伝授の間が大正年間に移築されています。八条宮の本邸にあり長岡天満宮に移され、桂宮家から明治4(1871)年に細川家に贈られ、解体し保管されていたものを、大正元(1912)年、酔月亭の跡地に移築したものです。
九州の旧藩主別邸三名園として他には柳川の「松涛園」と八代の「松濱軒」があげられるそうです。
水前寺成趣園 - 01
水前寺成趣園 - 01 posted by (C)pismo

水前寺成趣園 - 02
水前寺成趣園 - 02 posted by (C)pismo

水前寺成趣園 - 03
水前寺成趣園 - 03 posted by (C)pismo

水前寺成趣園 - 04
水前寺成趣園 - 04 posted by (C)pismo

水前寺成趣園 - 05
水前寺成趣園 - 05 posted by (C)pismo

水前寺成趣園- 06
水前寺成趣園- 06 posted by (C)pismo

水前寺成趣園・細川忠利公・細川藤孝公の像 - 07
水前寺成趣園・細川忠利公・細川藤孝公の像 - 07 posted by (C)pismo

水前寺成趣園 - 08
水前寺成趣園 - 08 posted by (C)pismo

水前寺成趣園 - 09
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水前寺成趣園 - 10
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水前寺成趣園 - 11
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水前寺成趣園・古今伝授の間 - 12
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水前寺成趣園 - 13
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水前寺成趣園・古今伝授の間 - 14
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水前寺成趣園・古今伝授の間 - 15
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水前寺成趣園・古今伝授の間 - 16
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出水神社は、水前寺成趣園内にある神社です。
熊本歴代藩主を祭る神社で、藩租細川忠利卿、祖父藤孝卿、父忠興卿を主祭神、それ以外の細川氏歴代藩主(光尚朝臣(2代)、綱利朝臣(3代)、宣紀朝臣(4代)、宗孝朝臣(5代)、治年朝臣(7代)、斉茲朝臣(8代)、斉樹朝臣(9代)、斉護朝臣(10代)、韶邦朝臣(11代)、護久朝臣(12代)の10代)、及び忠興卿室の玉(通称ガラシャ)の11柱を配祀しています。
明治10(1877)年西南の役で、熊本の城下は焼け野原となりました。
明治11(1878)年、旧藩家老(かつての八代城主)松井章之らの請願により戦いで荒んだ人心を安定させ、熊本の町を発展させようとの願望から、細川家に関係の深い水前寺成趣園の地を選びここに社殿を創建しました。
第2次世界大戦の戦禍を蒙った社殿は殆ど焼失し、辛うじて難を免れた御神庫と神楽殿を旧社地に移し仮社殿としていましたが、昭和45(1970)年に至り「御復興奉賛会」を設立し工事を進め、越えて昭和48(1973)年12月7日現在の社殿が完成しました。
水前寺成趣園 ・出水神社- 17
水前寺成趣園 ・出水神社- 17 posted by (C)pismo

水前寺成趣園・出水神社 - 18
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水前寺成趣園・出水神社 - 19
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水前寺成趣園・出水神社 - 20
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健軍神社は元々は火国造(ひのくにのみやつこ)の祖,健緒組(たけおぐみ)を祀った神社であったと考えられています。
平安末期か鎌倉初期,阿蘇大宮司の支配下に入り阿蘇神社(阿蘇市)、甲佐神社(甲佐町)、郡浦神社(宇城市)と並ぶ阿蘇四社の一つとなり、阿蘇神社の別宮となりました。
昔は「たけみや」と言い、のちに「けんぐん」と読まれるようになりました。
電車通りの大鳥居から神社まで続く、八丁馬場と呼ばれる約1200mの長い参道には、加藤清正の頃植えられたと伝えられる杉並木の一部が残っています。
明治10(1877)年2月22日、西南戦争で、薩軍を救援するため結成された熊本隊の挙兵の場所としても知られています。
健軍神社 - 01
健軍神社 - 01 posted by (C)pismo

健軍神社 - 02
健軍神社 - 02 posted by (C)pismo

健軍神社 - 02
健軍神社 - 02 posted by (C)pismo
熊本隊出陣之所です。
明治10(1877)年2月、西南の役で薩軍が立ち上がり熊本に向かうと、九州各地の士族たちも薩軍と提携して政府を倒そうと、一斉に立ち上がりました。
中でも熊本では、学校党に属する1400名が、22日早朝、健軍神社に集合して会議を開き、薩軍の熊本城総攻撃の砲声殷々と響く中で挙兵と決しました。
同日夕刻、神前に神楽を奏して結成式を行い、池辺吉十郎を隊長に仰ぎ熊本隊と号しました。
ここは、同隊が出陣の第一歩を踏み出したところです。
(説明看板より)
健軍神社の西向かい側に石碑や説明看板などが立っています。
熊本隊出陣之所 - 1
熊本隊出陣之所 - 1 posted by (C)pismo

熊本隊出陣之所 - 2
熊本隊出陣之所 - 2 posted by (C)pismo

熊本隊出陣之所 - 3
熊本隊出陣之所 - 3 posted by (C)pismo

熊本隊出陣之所 - 4
熊本隊出陣之所 - 4 posted by (C)pismo


四時軒(しじけん)は、幕末維新の開明思想家として知られた横井小楠の旧居です。
安政元(1854)年、兄 時明が亡くなったために家督を継いだ小楠は、翌年、城下からこの沼山津の地に移り住み、四季の眺めを楽しむというところから「四時軒」と名付け、自らも沼山(しょうざん)と号しました。
小楠は、明治元(1868)年に新政府に招かれ参与となり京都に向かうまで、ここで門下生の指導にあたりました。
その間、4度も福井藩に政治顧問として招聘されており、土佐の坂本龍馬も彼の名声を聞いて、ここ四時軒を3度訪れています。
この旧居も明治の頃に客間だけ残して焼失したものを、記録に基づいて残りの部分を再建し旧態に復したものです。
四時軒の隣には横井小楠記念館があり、小楠に関する資料のほか、勝海舟や吉田松陰、西郷隆盛などの、小楠にゆかりのある人々の書も展示されています。
横井小楠記念館・四時軒 - 01
横井小楠記念館・四時軒 - 01 posted by (C)pismo

横井小楠記念館・四時軒 - 02
横井小楠記念館・四時軒 - 02 posted by (C)pismo

横井小楠記念館・四時軒 - 02
横井小楠記念館・四時軒 - 02 posted by (C)pismo

横井小楠記念館・四時軒 - 04
横井小楠記念館・四時軒 - 04 posted by (C)pismo

横井小楠記念館・四時軒 - 05
横井小楠記念館・四時軒 - 05 posted by (C)pismo

横井小楠記念館・四時軒 - 06
横井小楠記念館・四時軒 - 06 posted by (C)pismo

横井小楠記念館・四時軒 - 07
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横井小楠記念館・四時軒 - 08
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横井小楠記念館・四時軒 - 09
横井小楠記念館・四時軒 - 09 posted by (C)pismo

小楠公園は、横井小楠の遺髪を埋葬した墓がある公園です。
明治2(1869)年1月5日、横井小楠は京都で御所から自宅へ戻る際、3人組に襲われ、暗殺されました。この時、刺客は、小楠の首をあげ、その場を走り去りましたが、その時警護をしていた者が追いかけ、首を取り戻しました。
この遺髪を、門人岩男俊貞が、京都から持ち持ち帰り、この地に埋葬しました。遺骸は、京都の南禅寺天授庵の墓地に、手厚く葬られています。
毎年2月15日(旧暦の1月5日)には、この公園で墓前祭がおこなわれています。
大正7(1918)年、小楠没後50年にあたり、その記念事業として「小楠横井先生頌徳の碑」が建てられました。篆額(てんがく)は細川護立の筆、碑文は徳富蘇峰の撰で横井時敬の書です。
没後100年の昭和45(1970)年2月には熊本市在住の彫刻家・田島亀彦の手による「横井小楠先生像」が建立されました。
小楠公園 - 1
小楠公園 - 1 posted by (C)pismo

小楠公園 - 2
小楠公園 - 2 posted by (C)pismo

小楠公園 - 3
小楠公園 - 3 posted by (C)pismo
Posted at 2011/10/20 21:10:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ(レンタカー) | 日記
2011年09月18日 イイね!

肥後・島原紀行(4日目その3・熊本市花岡山周辺)

次は花岡山です。

阿蘇殿松跡です。
文禄元(1592)年、朝鮮の役の最中に肥後佐敷城が梅北の乱で一時占領されました。
加藤家家臣の働きにより事は収まりましたが、豊臣秀吉はその裏で阿蘇家が糸を引いていると阿蘇家に恨みを持つ者の言葉を信じ、阿蘇惟光に切腹を命じました。
翌文禄2(1593)年、12歳の惟光はこの地で自刃しましたので、人々はその跡地に松を植え阿蘇殿松と呼びました。
今は松はなく、記念碑だけが哀史を伝えています。
阿蘇殿松跡 - 1
阿蘇殿松跡 - 1 posted by (C)pismo

花岡山招魂社は明治2(1869)年2月、政府の命令により明治維新の動乱期に殉じた肥後藩士を祀るために造られました。
当初は、宮部鼎蔵をはじめ150柱が祀られ、昭和32(1959)年に藤崎台に護国神社が建てられるまでの間、官祭招魂社(昭和11(1936)年、熊本県護国神社に改称)として県民の崇敬を集めました。
現在は熊本県護国神社の飛地境内となっています。
社の後方には官軍墓地が有り、明治9(1876)年の神風連の乱で最期を遂げた熊本鎮台司令長官種田少将をはじめ多くの将兵たちが眠っています
また、境内には神風連の乱で亡くなった殉死警察官・県官の碑が立っています。
花岡山招魂社 - 1
花岡山招魂社 - 1 posted by (C)pismo

花岡山招魂社 - 2
花岡山招魂社 - 2 posted by (C)pismo

花岡山招魂社 - 3
花岡山招魂社 - 3 posted by (C)pismo

花岡山は標高132.7mあり、頂上には仏舎利塔があります。日蓮宗の藤井日達上人が世界平和の祈願を込めて建設したもので、仏舎利はインドのジャワハルラール・ネルー首相から、尖塔の黄金コタはスリランカのコテラ・クラ首相から贈られたものです。
花岡山・仏舎利塔 - 01
花岡山・仏舎利塔 - 01 posted by (C)pismo

花岡山・仏舎利塔 - 02
花岡山・仏舎利塔 - 02 posted by (C)pismo

花岡山・仏舎利塔 - 03
花岡山・仏舎利塔 - 03 posted by (C)pismo

加藤清正腰掛石です。
加藤清正は熊本城を築くに際して、火山の噴出物で石垣構築に最適な安山岩を金峰山塊から採掘し、その多くは祇園山(現在の花岡山)、独鈷山、松尾山から採ったと伝えられています。
中でも祇園山には清正が自ら切り出しの監督に当たったことにちなむものがあります。
この大石は清正が休憩の際に腰掛ける場所に定めていたといわれており、腰掛石と呼ばれています。
石の北面には原石を割ったときの矢穴が並んでいます。
(標柱の説明文書より)
花岡山・加藤清正腰掛石 - 01
花岡山・加藤清正腰掛石 - 01 posted by (C)pismo

花岡山・加藤清正腰掛石 - 02
花岡山・加藤清正腰掛石 - 02 posted by (C)pismo

加藤清正ゆかりの兜石です。
加藤清正は各地の土木工事に際して、常に率先して作業に当たったといわれています。
熊本城築城に当たっても、この祇園山(現在の花岡山)で石垣用の石材を採掘する時、自ら鎧兜に身を固め陣頭指揮をしたといわれています。
この「兜石」は清正が休憩の時に兜を脱いで、この石において鎧を掛けていたといわれています。
近くには「腰掛石」があり、かつては仕事の合図の鐘を掛けていたという「鐘掛松」(現在は枯死)も存在しました。
(標柱の説明文書より)
花岡山 ・加藤清正ゆかりの兜石- 01
花岡山 ・加藤清正ゆかりの兜石- 01 posted by (C)pismo

鐘掛松跡です。
加藤清正は熊本城築城に当たって陣頭指揮をした際、仕事の合図に鐘を掛けていたという「鐘掛松」がありました。
現在は残念ながら枯死し、木製の標柱が建っているのみです。
花岡山・鎧掛松跡 - 01
花岡山・鎧掛松跡 - 01 posted by (C)pismo

官軍墓地〔花岡山陸軍埋葬地〕です。
この墓地は、明治9(1876)年、神風連の乱に倒れた熊本鎮台司令長官種田政明少将、参謀長高島茂徳中佐、大島邦彦中佐以下116名を葬るために設けられました。
隣接する県官墓地には同じく神風連の乱に倒れた県令安岡良亮の墓もあります。
西南戦争の際には薩軍の砲台となり、一時荒廃し第二次世界大戦後も荒れていたのを、地元の努力で整備し昭和55(1980)年に熊本市指定史跡となりました。
(標柱などの説明文書より)
花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 01
花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 01 posted by (C)pismo

花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 02
花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 02 posted by (C)pismo

花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 03
花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 03 posted by (C)pismo

花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 04
花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 04 posted by (C)pismo

花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 05
花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 05 posted by (C)pismo

花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 06
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花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 07
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花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 08
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花岡山薩軍砲座の跡です。
明治10(1877)年の西南の役に際し、同年2月20日、陸路熊本の川尻に到着した薩軍は、その後熊本城を攻撃すべく城下近くへ兵を進めました。
2月22日朝、西南の役の最初の戦いとなる熊本城攻防戦が始まり、ここに明治政府に対する不平士族の最大かつ最後の内戦であり、その後の日本の歴史に大きな影響を与えた戦いの火ぶたが切って落とされました。
この地は、52日間に及ぶ熊本城攻防戦の際、薩軍が熊本城攻撃のため大砲を引き上げて城を砲撃した場所として知られています。
大砲の弾は熊本城まで届かず、途中の新町や段山付近に落ちたともいわれています。
(説明看板より)

花岡山陸軍墓地・薩軍砲座の跡 - 09
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妙解寺〔現在の北岡自然公園)は、細川藩4代藩主光尚が、父・忠利の菩提を弔うために寛永19(1642)年、東海寺の住職・沢庵和尚の開基として創建されたもので、忠利の戒名・妙解院殿をもとづき護国山妙解寺と名づけられました。
妙解寺は、臨済宗の寺院で細川家菩提寺として重きをなしました。
明治の神仏分離以降廃寺となった後は細川家の北岡別邸として使用されましたが、昭和20(1945)年7月3日の空襲により本邸を焼失しました。昭和30(1955)年11月、熊本市が譲り受け、それ以降、自然公園として一般公開しました。
細川忠利、正室(保寿院)、4代光尚(光利→光貞→光尚と改名)の御霊屋、5代綱利、6代宣紀、7代宗孝、8代重賢、9代治年などの墓があります。
霊廟の周囲には忠利、光尚の殉死者の墓があります。
忠利の家来で殉死を願い許されず、しかしながら周囲の冷たい目もあり結局殉死した阿部弥市右衛門(阿部弥一右衛門)の墓もあります。阿部弥市右衛門の死は殉死と認められましたが、阿部家の知行は分割され、嫡子権兵衛は忠利の法事の際に髻を切って供えるという事件を起こし、阿部一族は追討されました。この事件は森鷗外の小説「阿部一族」のモデルとなりました。
北岡自然公園・妙解寺跡 - 01
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北岡自然公園・妙解寺跡 - 02
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北岡自然公園・妙解寺跡 - 03
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北岡自然公園・妙解寺跡 - 04
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北岡自然公園・妙解寺跡 - 05
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北岡自然公園・妙解寺跡 - 18
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次は、水前寺成趣園を訪れます。
Posted at 2011/10/17 23:16:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ(レンタカー) | 日記

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