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ピズモのブログ一覧

2012年05月26日 イイね!

大原散歩

この日は、所用で京都を訪れたので、午後から少しだけ大原を散歩しました。
寂光院は、山号は清香山、寺号は玉泉寺、寂光院は玉泉寺の子院でした。
天台宗の寺院です。
推古2(594)年、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられています。
寂光院初代住持は聖徳太子の御乳人であった玉照姫で、代々高貴な家門の姫君らが住持となり法燈を守り続けてきたと伝えられています。
また、平家物語では平清盛の娘で高倉天皇の中宮、安徳天皇の母建礼門院徳子隠棲の地として知られています。文治2(1186)年、後白河法皇が建礼門院を訪ねて寂光院を訪れた故事は「大原御幸」の段において語られています。
本堂は豊臣秀頼、淀殿が片桐且元を工事奉行として修理させたものでしたが、平成12(2000)年5月9日、放火により焼失しました。本尊の地蔵菩薩立像(重文)も焼損し、堂内にあった建礼門院と阿波内侍の張り子像(建礼門院の手紙や写経を使用して作ったものという)も焼けてしまいました。現在の本堂は平成17(2005)年6月再建されたものです。同時に新しく作られた本尊や建礼門院と阿波内侍の像も安置されています。元々の本尊は文化庁の指導を受けて財団法人美術院によって修復されて、境内奥の収蔵庫に安置されることとなりました。
宝物殿は「松智鳳殿」という名称で、平成18(2006)年10月に開館しました。

寂光院 - 01
寂光院 - 01 posted by (C)pismo

寂光院 - 02
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寂光院 - 03
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寂光院 - 04
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寂光院 - 05
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寂光院 - 06
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寂光院 - 07
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寂光院 - 08
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寂光院 - 09
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寂光院 - 10
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寂光院 - 11
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寂光院 - 12
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寂光院 - 13
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寂光院 - 14
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寂光院 - 15
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寂光院 - 16
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寂光院 - 17
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阿波内侍、大納言佐局、治部卿局、右京大夫、小侍従局の墓です。
阿波内侍は、建礼門院徳子に仕えた女性です。信西の娘といわれています。
寂光院に隠棲した建礼門院に,大納言佐と共に尼となって仕え,女院の最期を看取ったといわれています。
大きさ30センチ余りの五輪の塔三基と宝筐印塔一基が青苔に埋もれ昔のままの姿で並んでいます。
それぞれ、建礼門院に仕えた女房の阿波内侍、大納言佐局、治部卿局、右京大夫、小侍従局の墓といわれています。
阿波内侍の墓 - 1
阿波内侍の墓 - 1 posted by (C)pismo

寂光院の東の背後の高台に、建礼門院徳子の墓所と伝えられる大原西陵があります。
三千院の北にある後鳥羽天皇と順德天皇の大原陵に対して西陵といい、五輪塔が祀られています。
宮内庁による陵墓名は「高倉天皇皇后徳子 大原西陵」です。陵墓はもともとは、寂光院境内地にありましたが、明治以降は宮内省〔現在の宮内庁)の管理するところとなり、境内から切り離されました。
建礼門院は、平清盛と、平時子(二位尼)の娘で、高倉天皇の中宮となりました。
安徳天皇の母となりましたが、壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡し、安徳天皇と母時子は入水し、徳子も入水しますが生き残り長楽寺で出家し、寂光院に隠棲したと伝えられています。
建礼門院大原西陵 - 1
建礼門院大原西陵 - 1 posted by (C)pismo

建礼門院大原西陵 - 2
建礼門院大原西陵 - 2 posted by (C)pismo

建礼門院大原西陵 - 3
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朧の清水は、建礼門院ゆかりの池です。
朧とは、春の季節の月光の意味で建礼門院が京都からはるばる寂光院へお越しの道すがら、この清水のあたりで日が暮れて、自身のお姿が月光によってこの水溜りにおぼろに写ったと言われています。
水面を通して映るやつれた姿を見て、身の上を嘆いたと伝えられています。
朧の清水 - 1
朧の清水 - 1 posted by (C)pismo

朧の清水 - 2
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三千院は、山号は魚山、天台宗の寺院です。
円融房、梶井門跡、梨本門跡と呼ばれ、古くは東坂本に里坊がありました。
比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのに始まり、その後寺地は時代の流れの中で、京都市中を幾たびか移転しました。
現在の三千院の境内にある極楽院は、寛和2(986)年、恵心僧都源信とその妹、安養尼が父母の菩提を弔うため建立したとされています。
元永元(1118)年堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室され梨本の正統を継がれて以来、皇族出身者が住持する宮門跡となりました。妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつとして歴代の天台座主を輩出してきました。最雲法親王は、保元元(1156)年、天台座主になり、同じ年、比叡山の北方の大原(現在の京都市左京区大原)に来迎院、勝林院、往生極楽院などの寺々を管理するため梶井門跡の政所が設置されました。
明治になって三千院と公称するようになりました。
その都度呼び名も円融房、梨本房、円徳院、梨本門跡、梶井宮と変え、特に応仁の乱後、梶井宮の政所であった現在の地を一時仮御殿とされ、元禄11(1698)年に御所の東、河原町御車小路梶井町(現・府立病院)に御殿を移しました。
その後、明治4(1871)年、本坊は現在の大原の地に移り、極楽院も境内に取り込まれました。極楽院は明治18(1885)年、往生極楽院と改称しました。
客殿の前の聚碧園は、江戸時代の茶人金森宗和の修築と伝えられています。
三千院 - 01
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三千院 - 02
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三千院 - 03
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三千院 - 04
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三千院 - 05
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三千院 - 06
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三千院 - 07
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三千院 - 08
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三千院 - 09
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三千院 - 10
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三千院 - 11
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三千院 - 12
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三千院 - 13
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三千院 - 14
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Posted at 2012/06/10 22:42:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年05月21日 イイね!

阿波ドライブ(その4・徳島城、上桜城)

徳島城は徳島市の標高62mの渭山(猪山・城山)の山上と、その山麓に築かれた平山城です。
徳島城のある場所には、室町時代阿波守護細川氏の支城・渭山城がありました。永禄年間(1558~69)には細川氏の臣森飛騨守高次が居城していました。天正10年(1582年)に長宗我部元親が城を攻略し、吉田康俊を城主としました。
天正13(1585)年羽柴秀吉による四国征伐後に蜂須賀家政が阿波一国を与えられました。はじめ阿波一宮城を居城としましたが、渭山城の場所と、麓の寺島城を併せて新たに近世城郭を築き、徳島城と名づけました。助任川、福島川、寺島川を天然の外堀とし、北に吉野川河口を控えて水運の便と防御に優れた城でした。
徳島藩蜂須賀家は、初代藩主至鎮の時、大坂の陣の功績により淡路一国を与えられ、25万7千石を拝領しました。徳島城は江戸時代を通して徳島藩蜂須賀家の居城となりでした。
明治時代にほとんどの建造物は取り壊されました。鷲の門が唯一残っていましたが、昭和20(1945)年7月4日早暁の徳島大空襲によって焼失しました。鷲の門は、平成元(1889)年九月二十七日、徳島市制百周年を記念して、吉井ツルヱ氏(徳島市出身)より復元寄贈されたものです。平成17(2006)年に日本100名城に選ばれ、国の史跡にも指定されました。
徳島城 - 01
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徳島城 - 02
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徳島城 - 03
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徳島城 - 04
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徳島城 - 05
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徳島城 - 06
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徳島城 - 07
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徳島城 - 08
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徳島城 - 10
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徳島城 - 11
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徳島城 - 12
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徳島城 - 13
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上桜城は、戦国時代末期に三好氏の武将篠原長房が築きました。
一説には南北朝期初めに阿波の河村氏が築いたともいわれています。
本丸は二の丸、三の丸をめぐらし、西の丸の北と南に空堀がありました。
元亀3(1572)年、篠原長房は讒言によって主君である三好長治率いる兵7000に攻められ、城兵全員が戦死し落城しました。
昭和57(1982)年、旧川島町の指定史跡になり、平成元(1989)年に徳島県の指定史跡になりました。
上桜城 - 1
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上桜城 - 2
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上桜城 - 3
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日本100名城スタンプラリー 取得実績
08 仙台城   H23/10/25
23 小田原城  H23/12/29
24 武田氏館  H23/12/30
30 高遠城   H23/12/30
33 高岡城   H24/4/28
34 七尾城   H23/7/23
35 金沢城   H24/4/28
36 丸岡城   H23/6/18
37 一乗谷城  H24/4/28
39 岐阜城   H23/4/16
40 山中城   H23/12/29
41 駿府城   H23/12/28
42 掛川城   H23/12/28 
44 名古屋城  H24/3/24
47 伊賀上野城 H24/4/1
48 松坂城   H24/3/8
49 小谷城   H23/12/23
50 彦根城   H24/1/14
51 安土城   H23/4/9
52 観音寺城  H24/1/14
53 二条城   H23/11/3
54 大阪城   H23/11/19
55 千早城   H23/12/10
56 竹田城   H23/11/16
57 篠山城   H23/11/26
58 明石城   H23/12/24
59 姫路城   H24/1/28
60 赤穂城   H24/1/28
61 高取城   H24/1/22
62 和歌山城  H24/2/18
64 松江城   H23/6/27
67 津山城   H24/4/14
70 岡山城   H24/1/7
71 福山城   H24/2/4
72 郡山城   H23/3/18
73 広島城   H23/3/17
76 徳島城   H24/5/21
77 高松城   H24/5/12
78 丸亀城   H24/5/12
91 島原城   H23/9/17
92 熊本城   H23/9/18
93 人吉城   H23/9/15

H24/5/21現在 42/100城
Posted at 2012/06/07 22:28:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年05月21日 イイね!

阿波ドライブ(その3・丈六寺、徳島藩主蜂須賀家墓所〔興源寺、万年山〕)

丈六寺は山号は瑞麟山、正式には瑞麟山慈雲院丈六寺という曹洞宗の寺院です。
白鳳年間の創建と伝えられ、現在の建物は主に室町時代の阿波国守護細川成之が整備したものです。
また、この寺で天正10(1582)年、長宗我部元親が牛岐城(富岡城)主・新開入道道善を謀殺したことで知られています。
道善とその家来は丈六寺で酒宴の席に招かれ、殺されたといわれています。この時、縁の板に血痕が飛び散り、あとで拭っても拭っても落ちなくなったそうです。その時の板を寺内徳雲院の天井板として用いられており「血天井」といわれています。
また、二の門の上の堤防上にある祠に道善は新開廟として祀られています。
江戸時代は徳島藩主蜂須賀家が庇護しました。
細川成之・持隆・真之の墓や蜂須賀家重臣で家老の稲田家・山田家、中老の里見家・生駒家の墓があります。
境内には文化財が多く、「阿波の法隆寺」といわれています。
室町期建立の三門をはじめ、本堂・観音堂・聖観音坐像は国の重要文化財に指定されています。
丈六寺 - 01
丈六寺 - 01 posted by (C)pismo

丈六寺 - 02
丈六寺 - 02 posted by (C)pismo

丈六寺 - 03
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丈六寺 - 04
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丈六寺 - 05
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丈六寺 - 06
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丈六寺 - 07
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丈六寺・新開廟 - 08
丈六寺・新開廟 - 08 posted by (C)pismo

興源寺は、山号は大雄山、臨済宗妙心寺派の寺院です。徳島藩主蜂須賀氏の菩提寺です。
徳島城内に、蜂須賀家政の異父兄で臨済宗の僧侶となっていた東嶽禅師が開山した江岸山福聚寺(こうがんざん ふくじゅじ)がありましたが、天正14(1586)年、家政により菩提寺が下助任町に移され、2代藩主忠英によって寛永13(1636)年に大雄山興源寺と改められました。
境内には蜂須賀家歴代藩主の墓があります。大雄山興源寺と改めた寛永13(1636)年に、築地塀と堀で画して造営されました。
家祖正勝、家政、初代藩主至鎮から十三代藩主斉裕までの歴代藩主の墓があります。しかし、十代藩主重喜の明和3(1766)年に佐古の山に広大な儒葬墓地、万年山(萬年山)を開設してから十三代斉裕の代までの間は、興源寺墓所は遺髪の拝み墓、万年山は埋葬墓という両墓制による祭祀がなされました。
墓所は昭和60(1985)年から徳島市により整備され墓地公園(助任緑地)となってます。徳島藩主蜂須賀家墓所は万年山墓所とともに、平成14(2002)年、国の史跡に指定されています。
興源寺 - 01
興源寺 - 01 posted by (C)pismo

興源寺 - 02
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興源寺 - 03
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興源寺 - 04
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興源寺 - 05
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興源寺 - 06
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興源寺 - 07
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興源寺 - 08
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興源寺 - 09
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興源寺 - 10
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興源寺 - 11
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興源寺 - 12
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蜂須賀家万年山墓所は明和3(1766)年、徳島藩第十代藩主蜂須賀重喜が眉山山頂から北側の山麓の南佐古四番町に至るまで、東は清林谷、西は巴蛇谷に囲まれた尾根を新たに蜂須賀家一族の墓域と定めて造成したに儒葬墓地です。
重喜は儒教を重んじることで、改革の志を明らかにしました。六合目にある巨大な自然石を用いた碑には「阿淡二州太守族葬墓域」と題して、重喜がこの墓域を万年山と命名、その範囲を数値で示し、子孫のために新しく造成した儒葬の地で、自分の意志を後世まで知らせるという趣意が明和3(1766)年11月の日付とともに刻まれています。
蜂須賀家の墓所は国元では、菩提寺の興源寺に置かれていましたが、重喜は埋葬墓を儒式で万年山墓所、遺髪を従来の興源寺墓所に納めて拝み墓とする両墓制としました。
昭和46(1971)年に大阪市天王寺区六万体町の国恩寺より移転改葬された家祖正勝の墓を含め、八代宗鎮、十代重喜、十一代治昭、十二代斉昌、十三代斉裕、十四代茂韶の6人の藩主の墓や一族の墓65基が確認されています。
徳島藩主蜂須賀家墓所は興源寺墓所とともに、平成14(2002)年、国の史跡に指定されています。国の史跡指定をきっかけに、復元整備が行われています。
徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(隆長の子清隆の墓) - 01
徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(隆長の子清隆の墓) - 01 posted by (C)pismo

徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(宗鎮の養嗣子重隆の墓) - 02
徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(宗鎮の養嗣子重隆の墓) - 02 posted by (C)pismo

徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(斉昌の墓) - 03
徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(斉昌の墓) - 03 posted by (C)pismo

徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(茂韶、正氏の墓) - 04
徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(茂韶、正氏の墓) - 04 posted by (C)pismo

徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(阿淡二州太守族葬墓域の碑) - 05
徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(阿淡二州太守族葬墓域の碑) - 05 posted by (C)pismo

徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(治昭の墓) - 06
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徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕 (正勝の墓)- 07
徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕 (正勝の墓)- 07 posted by (C)pismo

徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(阿淡二州太守族葬墓域の碑) - 08
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徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(重喜の墓) - 09
徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(重喜の墓) - 09 posted by (C)pismo

徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(宗鎮の墓) - 10
徳島藩主蜂須賀家墓所〔万年山墓所〕(宗鎮の墓) - 10 posted by (C)pismo
Posted at 2012/06/07 22:23:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年05月21日 イイね!

阿波ドライブ(その2・大浜海岸、阿波沖海戦小公園)

日食は少し残念な結果でしたが、美波町はうみがめで有名なので大浜海岸を訪れてみました。

大浜海岸は、平成8(1996)年に日本の渚百選に選定された海岸です。
ウミガメの産卵地として知られており、昭和42(1967)年に「大浜海岸のウミガメおよび産卵地」として国の天然記念物に指定されています。
アカウミガメは、毎年5月〜8月、産卵のために上陸します。主に夜間に上陸するそうです。
大浜海岸 - 1
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大浜海岸 - 2
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大浜海岸 - 3
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大浜海岸 - 4
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阿波沖海戦小公園です。
由岐沖は、阿波沖海戦の舞台であり、薩摩藩輸送船翔鳳丸の乗組員上陸の地由岐港には阿波沖海戦小公園が整備されています。
慶応4(1868)年、1月3日、京都で鳥羽・伏見の戦いが起こりましたが、その翌日の1月4日、幕府軍艦「開陽丸」と薩摩藩軍艦「春日丸」は、日本で初めての洋式軍艦による近代的海戦を、この由岐浦で展開しました。
沖合から響く凄まじい砲声に、村人たちは何事が起こったのかと、終日右往左往しながら恐れおののいていたといいます。
その結果、春日丸は鹿児島方面へ敗走、開陽丸もそれを追って南下、春日丸が護衛していた輸送船「翔鳳丸」は機関故障のまま4日午後由岐港内に逃げ込み、乗組員四十数名は岸壁から上陸しました。
武士姿あり、軍服姿あり、服装もまちまちで負傷者多数でした。村中の人々は騒然とし右往左往していました。
そして、西由岐「光願寺」において、同船の首脳と地元代表米田甚八の間で会談が行われた後、翔鳳丸は箆野島の島影で自爆、その乗組員は海陸に別れ、日和佐御陣屋を経て土佐に逃れました。
翔鳳丸の爆発は、大音響とともに、中空まで届くかと思われる大きな火柱が上がり、人々は一瞬生きた心地もなく、山の中に逃げ上がったそうです。
箆野島周辺は、阿波沖海戦の史跡として、非常に重要な意味を秘めています。
阿波沖海戦小公園 - 1
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阿波沖海戦小公園 - 2
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阿波沖海戦小公園 - 3
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Posted at 2012/06/07 22:18:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年05月21日 イイね!

阿波ドライブ(その1・日和佐から金環日食を狙ったところが・・・)

この日は金環日食が出る日でした。
南の方が、より綺麗なリングが出るということで、徳島県南部へ。
日和佐城を訪れてみましたが、思ってたほど眺めが良くないので、「四国のみち(四国自然歩道)、千羽海崖を望むみち」を歩いて指ノ鼻休憩所というところを訪れてみました。
しかし、あいにくのお天気。雲が出たり入ったりでした。
四国のみち(四国自然歩道)、千羽海崖を望むみち、指ノ鼻休憩所 - 001
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四国のみち(四国自然歩道)、千羽海崖を望むみち、指ノ鼻休憩所 - 002
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四国のみち(四国自然歩道)、千羽海崖を望むみち、指ノ鼻休憩所 - 003
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四国のみち(四国自然歩道)、千羽海崖を望むみち、指ノ鼻休憩所 - 004
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四国のみち(四国自然歩道)、千羽海崖を望むみち、指ノ鼻休憩所 - 005
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四国のみち(四国自然歩道)、千羽海崖を望むみち、指ノ鼻休憩所 - 006
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四国のみち(四国自然歩道)、千羽海崖を望むみち、指ノ鼻休憩所 - 007
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四国のみち(四国自然歩道)、千羽海崖を望むみち、指ノ鼻休憩所 - 008
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関西地方の方が、金環日食はよく見えたようですね。
Posted at 2012/06/07 22:14:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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