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ピズモのブログ一覧

2012年06月30日 イイね!

大垣城

この日は、友人たちと関ヶ原古戦場巡りを行いました。

脇坂安治陣跡、松尾山、大谷吉継の墓、陣跡、桃配山、陣場野、資料館、決戦地、笹尾山、島津惟新陣、小西行長陣、宇喜多秀家陣、南宮大社などを巡りました。
平成19(2007)年にも訪れていますので、古戦場のレポートは省略しましたが、昔と違い、多くの人が古戦場巡りをしていたのが印象的でした。

最後に大垣城を訪れました。ここを訪れるのは13年ぶりくらいです。

大垣城の創建は、明応9(1500)年、竹腰尚綱が築城したとする説、天文4(1535)年に豪族の大垣氏が砦を構えていたものを土岐氏の一族宮川安定が奪って城を創建したとするなどの諸説があり、よくわからないそうです。
織田信長の死後、池田恒興が城主となりました。その後伊藤祐盛が天守を築き、その子盛宗が城主の時関ヶ原の戦いが勃発し、西軍の根拠地となりました。
関ヶ原の戦いの後、石川康通、家成、忠総が城主になった後、寛永12(1635)年に戸田氏鉄が城主となり、その後明治まで戸田氏が城主でした。昭和11(1936)年、天守等が国宝に指定されましたが、昭和20(1945)年7月29日の空襲により天守が焼失しました。
現在の天守閣は昭和34(1959)年に再建されたものです。平成22(2010)年から平成23(2011)年にかけて屋根瓦の葺き替えと外壁改修工事が行われました。
大垣城 - 1
大垣城 - 1 posted by (C)pismo

大垣城 - 2
大垣城 - 2 posted by (C)pismo

大垣城 - 3
大垣城 - 3 posted by (C)pismo

ちなみにかつて訪れた関ヶ原古戦場のブログは↓です。
古戦場をゆく~関ヶ原~(その1・今須~不破の関周辺の史跡巡り)

古戦場をゆく~関ヶ原~(その2・松尾山)

古戦場をゆく~関ヶ原~(その3・東軍諸将の陣跡と島津撤退の舞台・鳥頭坂など)

古戦場をゆく~関ヶ原~(その4・西軍諸将の陣跡など)

古戦場をゆく~関ヶ原~(その5・少し古戦場を離れて美濃と近江の国境「寝物語の里」)

古戦場をゆく~関ヶ原~(その6・徳川家康最後の陣跡〔陣場野公園〕付近)

古戦場をゆく~関ヶ原~(その7・桃配山~垂井)

古戦場をゆく~関ヶ原~(その8・「宰相殿の空弁当」で知られる南宮山に空腹状態で登山)

古戦場をゆく~関ヶ原~(その9・赤坂の徳川家康岡山本陣跡など)
Posted at 2012/07/23 23:35:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年06月23日 イイね!

犬山・岩村ドライブ(その3・岩村城とその周辺)

岩村民俗資料館は、岩村歴史資料館のすぐ隣にあります。
草屋根の民俗資料館は昔の生活を偲ばせる民具を展示しています。
岩村民俗資料館 - 1
岩村民俗資料館 - 1 posted by (C)pismo

岩村歴史資料館は、昭和47(1972)年にできた岩村町800年の歴史を展示する資料館です。
岩村藩主松平乗薀の子で儒学者の林述斎、その門弟の佐藤一斎、明治の教育家、歌人の下田歌子など岩村出身の偉人に関する展示や、岩村城の関連資料などを見ることができます。
岩村歴史資料館 - 1
岩村歴史資料館 - 1 posted by (C)pismo

岩村城は大和高取城、備中松山城と並ぶ日本三大山城の一つです。別名を霧ヶ城といい、源頼朝の御家人加藤景廉が遠山荘地頭に補せられたのに始まります。景廉の長男景朝が岩村に移り、加藤の姓を地名の遠山に攻め、以降遠山氏が代々居城しました。
戦国時代、遠山景任の妻で織田信長の叔母に当たるおつやの方が景任亡き後女城主となりました。天正元(1573)年に武田方の秋山信友の攻略を受けたが、講和の条件として信友の妻になりました。
長篠の戦いの後、織田信忠の攻略を受け、城は落城しました。開城の際、助命が約されていたが織田方はこれを翻し、信友夫妻ら5名が長良川河川敷で逆さ磔となり処刑されました。
その後、河尻秀隆が城主となり城の改造を行い現在の城郭に近いものとなりました。河尻秀隆が甲斐国に移封となると、森氏の居城となり蘭丸、長可、忠政の3代続きました。その後、田丸直昌が城主となりましたが、慶長5(1600)年関ヶ原の戦いで西軍に属したため、松平家乗(大給松平家)が城主となりました。江戸時代の城主は松平氏2代、丹羽氏5代の後、大給松平分家の松平氏7代を経て明治維新を迎えました。
廃城令により、明治6(1873)年に城は解体され石垣のみとなりました。
平成18(2006)年、日本100名城に指定されました。
立派な石垣が残る、見応えのある山城です。
岩村城 - 01
岩村城 - 01 posted by (C)pismo

岩村城 - 02
岩村城 - 02 posted by (C)pismo

岩村城 - 03
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岩村城 - 04
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岩村城 - 05
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岩村城 - 06
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岩村城 - 07
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岩村城 - 08
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岩村城 - 09
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岩村城 - 10
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乗政寺山墓地は、かつては岩村藩主の菩提寺があった地で、城主の移封に伴い寺の名にも変遷がありました。
慶長6(1601)年、松平家乗(大給松平本家)が岩村城主となり、この地に龍厳寺を建立しました。
寛永15(1638)年に松平氏は浜松へ移り、三河伊保から丹羽氏が移封され、妙仙寺としました。
元禄15(1702)年に丹羽氏が越後高柳へ移り、妙仙寺も同地へ移りました。
丹羽氏の後へ信州小諸から大給分家の松平氏が移り小諸城内にあった乗政寺をこの地に移しました。
この地は由緒ある地で城主や家臣の墓が多くあります。
乗政寺は明治4 (1871)年に廃藩置県となり住職も死んだのを機会に廃寺とし、寺仏等を縁の深い隆崇院へ移管し建物もこわしました。
城主の墓は松平家乗、丹羽氏四代、分家松平氏の乗薀(のりもり)、嫡子で林述斎の兄の乗国ほかがあります。特に丹羽氏の墓は巨大ですが、若くして死んだ丹羽氏明の墓は六地蔵を配しています。
分家松平氏、家臣の墓も多く役家の丹羽瀬、大野、佐藤家等や講談で知られた小兵の居合抜きの名人「美濃の小雀」こと井野猪左衛門の墓、東京の実践女子学園の創設者で愛国婦人会長となった、明治、大正の女傑下田歌子女史の墓もここにあります。この墓地一帯の山を今も乗政寺山と呼んでいます。
(説明看板より)
乗政寺山墓地 - 1
乗政寺山墓地 - 1 posted by (C)pismo

乗政寺山墓地 - 2
乗政寺山墓地 - 2 posted by (C)pismo

岩村町本通り伝統的建造物群保存地区は、その町並の形成過程において、保存地区のほぼ中央に位置する桝形より東側と西側の大きく二つにわけられています。
桝形より東側の地区は、江戸時代から商家町として栄え、今でも当時の建造物が多く残っています。町家の敷地は間口が4間(7.2m)、南北に長い短冊形の敷地割で、中庭には天正疎水と呼ばれる水路が保存地区を縦断するように通っています。建物は江戸時代に建設されたものが多く、主屋のほとんどは木造二階建・切妻造、平入で、厨子二階であるものもあり、全体として軒の低い町並みとなっています。
桝形より西側の地区は、江戸時代末期から順次発展し、明治39(1906)年の岩村と大井(恵那市)を結ぶ岩村電気軌道の開通により一層繁栄し、岩村町の商業の中心地となっています。建物は、明治以降の切妻・平入・桟瓦葺が主で、桝形より東側の地区に比べて全体に軒の高い二階建の主屋が多く、明治以後、住宅の二階部分が重要な生活空間となってきたことをうかがわせます。
このように岩村町岩村本通り伝統的建造物群保存地区は、城下町の商家町地区として形成された町の形態と、近代の発展過程を伝える町家群が岩村川等周辺の環境と一体となって、東濃地方の商家町として特色ある歴史的景観を良好に伝えています。
本通りを中心に東西延長約1.3km、面積約14.6haの範囲で、平成10(1998)年4月17日に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
(説明看板より)
恵那市岩村町岩村本通り伝統的建造物群保存地区 - 01
恵那市岩村町岩村本通り伝統的建造物群保存地区 - 01 posted by (C)pismo

恵那市岩村町岩村本通り伝統的建造物群保存地区 - 02
恵那市岩村町岩村本通り伝統的建造物群保存地区 - 02 posted by (C)pismo

恵那市岩村町岩村本通り伝統的建造物群保存地区 - 03
恵那市岩村町岩村本通り伝統的建造物群保存地区 - 03 posted by (C)pismo

恵那市岩村町岩村本通り伝統的建造物群保存地区 - 04
恵那市岩村町岩村本通り伝統的建造物群保存地区 - 04 posted by (C)pismo

岩村神社〔巌邨神社・一条信能終焉跡〕です。
承久3(1221)年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒の兵をあげ、幕府によって鎮圧された事件を「承久の乱」といいます。
承久の乱の頭目とみられたのが承久殉難五忠臣といわれる5人の公卿で、一条宰相中将信能はその1人です。彼は官軍の一将として宇治川の芋荒で幕府軍と戦ったが敗れて捕えられました。
信能は幕府軍として出陣した岩村城主遠山景朝に伴われて鎌倉へ護送される途中、幕命により同年8月14日、遠山荘岩村の相原で処刑されました。享年32歳でした。
「承久記」では彼の処刑を悼み、その模様を美文で綴っています。処刑の日を「吾妻鏡』では7月5日としているが、『公卿補任」では8月14日としており、他の四忠臣との関連から後者の説が正しいと思われます。
村人はこれを哀れみ、処刑地に小祀を建てて霊を弔い、若宮社と称して供養を続けてきました。その後、六百数十年を経て明治の王政復古となり、明治13(1880)年6月、明治天皇が中山道御巡幸の折、特旨をもって岩村へ勅使を派遣され祭祀料を賜りました。明治14(1861)年3月に社号改称の沙汰があって岩村神社(巌邨神社)と称するようになりました。
昭和3(1928)年11月、正三位贈位の恩命がありました。現在は岩村町夏祭りとして毎年8月第1土・日曜の両日に全町をあげて祭礼を行っています。
昭和32(1957)年12月19日、岐阜県指定史跡になりました。
(説明看板などより)
岩村神社 - 1
岩村神社 - 1 posted by (C)pismo

岩村神社 - 2
岩村神社 - 2 posted by (C)pismo

岩村神社 - 3
岩村神社 - 3 posted by (C)pismo

日本100名城スタンプラリー 取得実績
08 仙台城   H23/10/25
23 小田原城  H23/12/29
24 武田氏館  H23/12/30
30 高遠城   H23/12/30
33 高岡城   H24/4/28
34 七尾城   H23/7/23
35 金沢城   H24/4/28
36 丸岡城   H23/6/18
37 一乗谷城  H24/4/28
38 岩村城   H24/6/23
39 岐阜城   H23/4/16
40 山中城   H23/12/29
41 駿府城   H23/12/28
42 掛川城   H23/12/28
43 犬山城   H24/6/23  
44 名古屋城  H24/3/24
47 伊賀上野城 H24/4/1
48 松坂城   H24/3/8
49 小谷城   H23/12/23
50 彦根城   H24/1/14
51 安土城   H23/4/9
52 観音寺城  H24/1/14
53 二条城   H23/11/3
54 大阪城   H23/11/19
55 千早城   H23/12/10
56 竹田城   H23/11/16
57 篠山城   H23/11/26
58 明石城   H23/12/24
59 姫路城   H24/1/28
60 赤穂城   H24/1/28
61 高取城   H24/1/22
62 和歌山城  H24/2/18
64 松江城   H23/6/27
67 津山城   H24/4/14
70 岡山城   H24/1/7
71 福山城   H24/2/4
72 郡山城   H23/3/18
73 広島城   H23/3/17
76 徳島城   H24/5/21
77 高松城   H24/5/12
78 丸亀城   H24/5/12
91 島原城   H23/9/17
92 熊本城   H23/9/18
93 人吉城   H23/9/15

H24/6/23現在 44/100城
Posted at 2012/07/22 23:09:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年06月23日 イイね!

犬山・岩村ドライブ(その3・博物館明治村)

博物館明治村は、明治時代の建物等を移築復元した野外博物館です。
建築家谷口吉郎と名古屋鉄道社長土川元夫(2人は第四高等学校、現在の金沢大学の同窓生)により戦後の高度経済成長期の蔭で失われつつあった明治時代の建築物の保存を目的として昭和37(1962)年に財団法人が設立されました。
そして、昭和40(1965)年、犬山市の入鹿池のほとりにオープンしました。

西郷従道邸、聖ヨハネ教会堂、品川灯台、菅島灯台付属官舎、札幌電話交換局、呉服座、三重県庁舎、東山梨郡役所、宇治山田郵便局、東松家住宅は国の重要文化財に、帝国ホテル中央玄関は国の登録有形文化財に指定されています。
最近では、阪神淡路大震災で被災した兵庫県西宮市の芝川又右衛門邸が平成17(2005)年より再建復元され、平成19(2007)年に公開されました。
NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」のロケ地としても使用され、東京大学予備門として三重県庁舎が、陸奥宗光邸で西園寺公望別邸「坐漁荘」が、新橋停車場としてSL名古屋駅が、海軍兵学校の柔道場として第四高等学校武道場「無声堂」が、寄席見物した場面で「呉服座」が、記念撮影した場面で「高田小熊写真館」が使用されました。

明治村・高田小熊写真館 - 001
明治村・高田小熊写真館 - 001 posted by (C)pismo

明治村・高田小熊写真館 - 002
明治村・高田小熊写真館 - 002 posted by (C)pismo

明治村 ・宮津裁判所法廷- 003
明治村 ・宮津裁判所法廷- 003 posted by (C)pismo

明治村・帝国ホテル中央玄関 - 004
明治村・帝国ホテル中央玄関 - 004 posted by (C)pismo

明治村 - 005
明治村 - 005 posted by (C)pismo

明治村・川崎銀行本店 - 006
明治村・川崎銀行本店 - 006 posted by (C)pismo

明治村・金沢監獄中央看守所、監房 - 007
明治村・金沢監獄中央看守所、監房 - 007 posted by (C)pismo

明治村・隅田川新大橋 - 008
明治村・隅田川新大橋 - 008 posted by (C)pismo

明治村・金沢監獄中央看守所、監房 - 009
明治村・金沢監獄中央看守所、監房 - 009 posted by (C)pismo

明治村・金沢監獄中央看守所、監房 - 010
明治村・金沢監獄中央看守所、監房 - 010 posted by (C)pismo

明治村・金沢監獄中央看守所、監房 - 011
明治村・金沢監獄中央看守所、監房 - 011 posted by (C)pismo

明治村・前橋監獄雑居房 - 012
明治村・前橋監獄雑居房 - 012 posted by (C)pismo

明治村・前橋監獄雑居房 - 013
明治村・前橋監獄雑居房 - 013 posted by (C)pismo

明治村・金沢監獄正門 - 014
明治村・金沢監獄正門 - 014 posted by (C)pismo

明治村・聖ザビエル天主堂 - 015
明治村・聖ザビエル天主堂 - 015 posted by (C)pismo

明治村・聖ザビエル天主堂 - 016
明治村・聖ザビエル天主堂 - 016 posted by (C)pismo

明治村・聖ザビエル天主堂 - 017
明治村・聖ザビエル天主堂 - 017 posted by (C)pismo

明治村・菊の世酒造 - 018
明治村・菊の世酒造 - 018 posted by (C)pismo

明治村・菊の世酒造 - 019
明治村・菊の世酒造 - 019 posted by (C)pismo

明治村・呉服座 - 020
明治村・呉服座 - 020 posted by (C)pismo

明治村・呉服座 - 021
明治村・呉服座 - 021 posted by (C)pismo

明治村・小泉八雲避暑の家 - 022
明治村・小泉八雲避暑の家 - 022 posted by (C)pismo

明治村・小泉八雲避暑の家 - 023
明治村・小泉八雲避暑の家 - 023 posted by (C)pismo

明治村・SL名古屋駅 - 024
明治村・SL名古屋駅 - 024 posted by (C)pismo

明治村・東山梨郡役所 - 025
明治村・東山梨郡役所 - 025 posted by (C)pismo

明治村・清水医院 - 026
明治村・清水医院 - 026 posted by (C)pismo

明治村・東山梨郡役所 - 027
明治村・東山梨郡役所 - 027 posted by (C)pismo

明治村・第四高等学校物理化学教室(土川元夫記念館) - 028
明治村・第四高等学校物理化学教室(土川元夫記念館) - 028 posted by (C)pismo

明治村・第四高等学校物理化学教室(土川元夫記念館)- 029
明治村・第四高等学校物理化学教室(土川元夫記念館)- 029 posted by (C)pismo

明治村・千早赤坂小学校講堂 - 030
明治村・千早赤坂小学校講堂 - 030 posted by (C)pismo

明治村・東松家住宅 - 031
明治村・東松家住宅 - 031 posted by (C)pismo

明治村・京都中井酒造 - 032
明治村・京都中井酒造 - 032 posted by (C)pismo

明治村・安田銀行会津支店 - 033
明治村・安田銀行会津支店 - 033 posted by (C)pismo

明治村・三重県庁舎 - 034
明治村・三重県庁舎 - 034 posted by (C)pismo

明治村・三重県尋常師範学校、蔵持小学校 - 035
明治村・三重県尋常師範学校、蔵持小学校 - 035 posted by (C)pismo

明治村・学習院長官舎 - 036
明治村・学習院長官舎 - 036 posted by (C)pismo

明治村・西郷從道邸 - 037
明治村・西郷從道邸 - 037 posted by (C)pismo

明治村・西郷從道邸 - 038
明治村・西郷從道邸 - 038 posted by (C)pismo

明治村・森鴎外・夏目漱石住宅 - 039
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明治村・芝川又右衛門邸 - 040
明治村・芝川又右衛門邸 - 040 posted by (C)pismo

明治村・芝川又右衛門邸 - 041
明治村・芝川又右衛門邸 - 041 posted by (C)pismo

明治村 ・芝川又右衛門邸- 042
明治村 ・芝川又右衛門邸- 042 posted by (C)pismo

明治村・第四高等学校武術道場「無声堂」 - 043
明治村・第四高等学校武術道場「無声堂」 - 043 posted by (C)pismo

明治村・第四高等学校武術道場「無声堂」 - 043
明治村・第四高等学校武術道場「無声堂」 - 043 posted by (C)pismo

明治村・第四高等学校武術道場「無声堂」 - 044
明治村・第四高等学校武術道場「無声堂」 - 044 posted by (C)pismo

明治村・日本赤十字社中央病院病棟 - 045
明治村・日本赤十字社中央病院病棟 - 045 posted by (C)pismo

明治村・日本赤十字社中央病院病棟 - 046
明治村・日本赤十字社中央病院病棟 - 046 posted by (C)pismo

明治村・歩兵第六聯隊兵舎 - 047
明治村・歩兵第六聯隊兵舎 - 047 posted by (C)pismo

明治村・宇治山田郵便局 - 048
明治村・宇治山田郵便局 - 048 posted by (C)pismo

次は、岩村城へ向かいます。
Posted at 2012/07/22 21:58:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年06月23日 イイね!

犬山・岩村ドライブ(その2・犬山城とその周辺)

犬山神社は、犬山城の入口近くにある神社です。
初代成瀬正成公はじめ歴代の城主と明治維新の戦没者を祀っています。
もともとは犬山城内に祖先を祀る霊社がありましたが、4代正幸公が丸山新田東の洞、相生山に遷し相生の宮と称しました。
現在の場所は平岩親吉公の松の丸の屋敷を寛文5(1665)年に移した西御殿があったところです。明治2(1869)年犬山藩庁となりましたが同8(1875)年にこれを廃し、民有地になりました。
明治16(1875)年6月6日、この地に相生の宮を遷宮し、犬山神社と改称しました。
昭和23(1948)年に明治維新以後の戦没者を合祀しました。
犬山神社 - 1
犬山神社 - 1 posted by (C)pismo

犬山神社 - 2
犬山神社 - 2 posted by (C)pismo

敬道館は、犬山藩(正式には藩ではなかったですが)の藩校で、天保11(1840)年8代城主成瀬正住が建てたもので、この流れをひくものが犬山北小学校です。
挙母藩主の内藤学文が建てた藩校の流れをひく、崇化館中学と好一対です。
尾張候の附家老をしていた成瀬氏は、敬道館と同時に、名古屋屋敷に学問所をたて要道館と名づけましたが、明治元(1868)年に敬道館に合併しました。
敬道館は天保12(1841)年4月に開館され、明治4(1871)年まで続きました。
日本最初の薬学博士下山順一郎、軍人の八代六郎大将もこの敬道館で学びました。
(現地説明板などより)
犬山陶器陳列場の前に石碑と説明看板が建っています。
敬道館跡 - 1
敬道館跡 - 1 posted by (C)pismo

敬道館跡 - 2
敬道館跡 - 2 posted by (C)pismo

針綱神社は、犬山城登城口にある神社です。
元々は、犬山城天守閣の付近に鎮座していました。天文6(1537)年8月、織田信康により白山台に移転しました。
そして、慶長11(1606)年には犬山城主小笠原吉次により犬山城城下町の名栗町に移転しました。
犬山祭は、寛永12(1635)年、針綱神社の祭礼として始まりました。
明治15(1882)年に現在地に移転しました。
織田信長の叔父、織田信康が犬山の木ノ下城の城主だったときに、奥方が懐妊されたとき織田信康の手彫による狛犬一対を奉納し、安産の祈願をされました。
(現地説明板などより)
針綱神社 - 1
針綱神社 - 1 posted by (C)pismo

針綱神社 - 2
針綱神社 - 2 posted by (C)pismo

犬山城は天文6(1537)年に織田信長の叔父である織田信康によって築城されました。小牧・長久手戦いの時には、羽柴秀吉が12万余の大軍を率いてこの城に入り、徳川家康・織田信雄軍と対峙しました。
文禄4(1595)年石川光吉が入ると城を改修し、天守を造りました。慶長6
(1601)年徳川家康の4男松平忠吉が清洲城に入ると犬山城はその属城となり、小笠原吉次が城代として入ったが、忠吉の死後、家康の十男義直が清洲に入封
すると尾張藩家老、平岩親吉が城主となりました。平岩親吉の死後には元和3(1617)年に成瀬正成が尾張藩付家老として犬山城主となりました。
明治維新後、天守閣を除くほとんどの建物は取り壊されました。明治24年(1891年)の濃尾震災で天守閣が損傷し、修復するという条件で成瀬氏所有の城となりました。
その後、昭和10(1935)年に国宝に、昭和27(1952)年に規則改正に伴い改めて国宝に指定されました。
城の所有者は、平成16(2004)年4月から財団法人犬山城白帝文庫が城の所有者となり現在に至ります。
平成18(2006)年4月6日、日本100名城に選定されています。
天守閣は現在国宝に指定されている4城(松本城、犬山城、彦根城、姫路城)の中でも最も古くに建てられた城です。
また、別名白帝城とも呼ばれています。別名の由来は、犬山城が木曽川に面して建てられており、三国志の劉備が最期を迎えたことで有名な長江沿いにある白帝城に雰囲気が似ていることから、荻生徂徠が命名したと伝えられています。
犬山城 - 01
犬山城 - 01 posted by (C)pismo

犬山城 - 02
犬山城 - 02 posted by (C)pismo

犬山城 - 03
犬山城 - 03 posted by (C)pismo

犬山城 - 04
犬山城 - 04 posted by (C)pismo

犬山城 - 05
犬山城 - 05 posted by (C)pismo

犬山城の東にある有楽苑には、国宝茶室如庵、重要文化財旧正伝院書院、古図により復元された元庵、新しく建てられた弘庵などがあります。
如庵は織田有楽斎が建てた茶室で、昭和11(1936)年に国宝の指定をうけた茶道文化史上貴重な遺構です。京都山崎妙喜庵内の待庵、大徳寺龍光院内の密庵とともに、現存する国宝茶席3名席の1つです。昭和47(1972)年に犬山城下に移築されました。
+500円でお抹茶をいただけますが、残念ながら急ぎの旅なので断念しました。
でも建物と落ち着いた日本庭園は一見の価値有りです。名鉄犬山ホテルの中にあります。
有楽苑 - 01
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有楽苑 - 02
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有楽苑 - 03
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有楽苑 - 04
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有楽苑 - 05
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有楽苑 - 06
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有楽苑 - 07
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有楽苑 - 08
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有楽苑 - 09
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有楽苑 - 10
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有楽苑 - 11
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有楽苑 - 12
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有楽苑 - 13
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有楽苑 - 14
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有楽苑 - 15
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有楽苑 - 16
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有楽苑 - 17
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日本100名城スタンプラリー 取得実績
08 仙台城   H23/10/25
23 小田原城  H23/12/29
24 武田氏館  H23/12/30
30 高遠城   H23/12/30
33 高岡城   H24/4/28
34 七尾城   H23/7/23
35 金沢城   H24/4/28
36 丸岡城   H23/6/18
37 一乗谷城  H24/4/28
39 岐阜城   H23/4/16
40 山中城   H23/12/29
41 駿府城   H23/12/28
42 掛川城   H23/12/28
43 犬山城   H24/6/23  
44 名古屋城  H24/3/24
47 伊賀上野城 H24/4/1
48 松坂城   H24/3/8
49 小谷城   H23/12/23
50 彦根城   H24/1/14
51 安土城   H23/4/9
52 観音寺城  H24/1/14
53 二条城   H23/11/3
54 大阪城   H23/11/19
55 千早城   H23/12/10
56 竹田城   H23/11/16
57 篠山城   H23/11/26
58 明石城   H23/12/24
59 姫路城   H24/1/28
60 赤穂城   H24/1/28
61 高取城   H24/1/22
62 和歌山城  H24/2/18
64 松江城   H23/6/27
67 津山城   H24/4/14
70 岡山城   H24/1/7
71 福山城   H24/2/4
72 郡山城   H23/3/18
73 広島城   H23/3/17
76 徳島城   H24/5/21
77 高松城   H24/5/12
78 丸亀城   H24/5/12
91 島原城   H23/9/17
92 熊本城   H23/9/18
93 人吉城   H23/9/15

H24/6/23現在 43/100城
Posted at 2012/07/22 20:58:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年06月23日 イイね!

犬山・岩村ドライブ(その1、小牧、長久手の戦いの舞台となった城跡めぐりなど)

この日は、日本100名城、犬山城と岩村城を訪れに中部地方をドライブしました。
早朝出発なので、犬山城の開館時間の9時までは、周辺の小牧、長久手の戦いの舞台となった史跡などを巡ります。
上末城(かみずえじょう)は、森下城ともいい足利氏の末裔である落合将監勝正が築きました。
勝正は、文明年間(1469-87)の人物で、子の安親は織田氏に仕えました。
天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いでは、池田勝入らの三河進入の道案内をしたといわれています。
城跡の全容は明らかではありませんが、上末交差点の東南側に位置し、曲輪や堀、土塁の跡を見ることができます。
(現地説明板より)
城跡は陶昌院の周辺です。国道155号沿いの竹藪にに石碑と説明看板が建っています。
上末城 - 1
上末城 - 1 posted by (C)pismo

上末城 - 2
上末城 - 2 posted by (C)pismo

二重堀砦は、天正12(1584)年3月に始まった小牧長久手の戦いにおいて、羽柴秀吉方の最前線として築かれた砦で、守将は日根野備中守弘就、盛就の兄弟でした。
同年4月、三好秀次率いる別働隊が長久手において敗れると、織田信雄・徳川家康方からの攻撃に晒され、多数の死傷者を出しました。
合戦後、二重堀砦は廃城になりました。
二重堀砦 - 1
二重堀砦 - 1 posted by (C)pismo

内久保砦は、小牧長久手の戦いの際、秀吉軍の砦として築かれました。蜂屋出羽守頼隆・金森長近等を将とした、三千余が陣を敷きました。
現在、内久保山西南麓にある三明神社周辺が砦の位置と考えられていますが、正確な場所は不明です。
写真は三明神社です。
内久保砦(三明神社) - 1
内久保砦(三明神社) - 1 posted by (C)pismo

内久保砦(三明神社) - 2
内久保砦(三明神社) - 2 posted by (C)pismo


楽田城は、織田久長により永正年間(1504-1521)に築城されたと伝えられます。
戦国時代末の儒学者小瀬甫庵の書いた「遺老物語」には、楽田城が急襲を受けた永禄元(1558)年の様子が書かれており、城中に高さ2間余りの垣を築き、その上に5間7間の矢倉を作り、中央に矢を立て並べた八畳敷の二階屋敷を設けたとあります。 天守は館の上に設けた望楼から始まったとされ、楽田城がその起源といわれています。
楽田城は、永禄年間に犬山城主織田信清に攻略されましたが、後に織田信長に追われ、坂井政尚が城主になりました。政尚が元亀元(1570)年に浅井氏、朝倉氏との戦いで戦死した後には、梶川高盛が城主になりました。
天正12(1584)年の小牧・長久手の合戦時には、小牧山の徳川家康に対峙する羽柴秀吉の本陣とされましたが、 合戦終結の講和条件により取り壊しとなりました。
楽田小学校の敷地は楽田城のあったところです。 昭和54(1979)年に学校敷地が拡大されるまでは土壇や堀の痕跡がありましたが、現在は当時の面影を残すものはありません。現在では天守台跡から建造物としては移築した碑がわずかに残っています。
楽田城 - 1
楽田城 - 1 posted by (C)pismo

楽田城 - 2
楽田城 - 2 posted by (C)pismo

楽田城 - 3
楽田城 - 3 posted by (C)pismo

八幡林古戦場・野呂塚です。
八幡林古戦場は、天正12(1584)年、小牧長久手の戦いの始まりとなった古戦場です。
羽柴秀吉方は池田恒興(勝入)が犬山城を奪取し、美濃兼山城主森武蔵守長可(森蘭丸の兄、池田恒興の娘婿)は三千の兵を率いて、八幡林に陣を構えました。
徳川家康方は、酒井忠次、榊原康政、奥平信昌らが五千の兵で対峙しました。
3月17日、激しい戦いでしたが、徳川方のろくろまわしの戦術で、鬼武蔵の異名をもつさすがの森長可も、大敗してしまいました。
森長可の家来の野呂助左衛門は、主君を守り奮戦しましたが、壮絶な死を遂げました。助左衛門の長子の助三は初陣でしたが、父を助けようとして大軍の中討死してしまいました。
八幡林古戦場・野呂塚(野呂助左衛門の碑) - 1
八幡林古戦場・野呂塚(野呂助左衛門の碑) - 1 posted by (C)pismo

八幡林古戦場・野呂塚(野呂助左衛門の碑) - 2
八幡林古戦場・野呂塚(野呂助左衛門の碑) - 2 posted by (C)pismo

興禅寺は、山号は妙国山、臨済宗妙心寺派の寺院です。
承安4(1174)年、梶原景時により、真言宗光善寺が創建されたのがはじまりといわれています。景時は、平忠盛の目代として尾張国府に下向赴任していました。
源頼朝の死後、景時は正治2(1200)年、北条氏との政争に敗れ、今日に向かう途中の狐崎(現在の静岡市清水区)で一族と共に非業の最期を遂げました。
景時の次男景高の子豊丸は乳母隅の方の里である羽黒へ落ちのびてきました。
豊丸は成人し梶原景親と改め、現在の興禅寺に館を構えました。
光善寺は文明11(1476)年、梶原景綱により臨済宗妙心寺派興禅寺と改めました。
17代梶原景義は羽黒3000石の領主として織田信長に仕えましたが、天正10(1582)年、信長に殉死し梶原氏は断絶しました。
慶長7(1602)年、犬山城主小笠原吉次の寄進により、梶原屋敷跡の現在地に再建され、現在に至っています。
本堂は明治26(1893)年の造営で、平成18(2006)年、国の登録文化財になっています。
庫裏は文政13(1830)年の造営で、平成15(2003)年、国登録有形文化財になっています。
半僧坊は、元禄14(1701)年の造営です。山門は正和14(1939)年の造営で、本堂と共に国登録文化財に指定されています。
墓地には梶原夫妻供養塔や梶原一族の五輪塔などがあります。なお、山内一豊の母、法秀尼は梶原氏の出身であったと伝えられています。
興禅寺 - 1
興禅寺 - 1 posted by (C)pismo

興禅寺 - 2
興禅寺 - 2 posted by (C)pismo

興禅寺 - 3
興禅寺 - 3 posted by (C)pismo

興禅寺 - 4
興禅寺 - 4 posted by (C)pismo

興禅寺 - 5
興禅寺 - 5 posted by (C)pismo

興禅寺 - 6
興禅寺 - 6 posted by (C)pismo

羽黒城は、建仁元(1201)年、梶原景親(景時の孫)によって築城されたといわれています。
戦国時代になって、景親から17代目の末孫梶原茂助景義は織田信長に仕え、羽黒村3千石の領主でしたが、天正10(1582)年本能寺の変で信長に殉じて討死し、 梶原家は絶えました。
天正12(1584)年の小牧山合戦の際、秀吉がこの城を修復させ、 堀尾茂助吉晴や母方の法秀院が梶原家の出生と伝えられる山内一豊等に守らせましたが、焼けてのち廃城となりました。
中心部は、前方後円墳である羽黒城古墳の前方部を利用したものと推定されています。現在は城址碑が建てられています。
羽黒城 - 1
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羽黒城 - 2
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羽黒城 - 3
羽黒城 - 3 posted by (C)pismo

磨墨塚は、平家物語の宇治川先陣争いに登場する名馬「磨墨」の墓と伝えられています
磨墨は、源頼朝から重臣梶原景時に与えられた名馬で、寿永3(1184)年、宇治川の戦いの折、景時の嫡子景季が乗って、佐々木高綱の乗る生月(池月)と先陣争いをしたことで有名です。
頼朝の死後、幕府の内紛により、景時は追放の身となり、京都に落ち延びる途中、嫡子景季、次子景高らと共に悲惨な最期を遂げました。
この時、景高の子豊丸、後の景親は幼少だったので乳母のお隅の方の生地である羽黒、高橋の郷士長谷部左膳を頼って落ち延びました。
豊丸は、この羽黒の地で成人し、代々ここに屋敷を構えました。名馬磨墨は、この地で死没したのでその名を惜しみ「磨墨」の墓を造りました。これがこの塚と伝えられています。
平成元(1989)年度にふるさと創生事業の一環として、周辺の民有地を借り上げ、一帯を史跡公園として整備しました。
(現地説明板などより)
磨墨塚 - 1
磨墨塚 - 1 posted by (C)pismo

磨墨塚 - 2
磨墨塚 - 2 posted by (C)pismo

木ノ下城は、室町時代の文明元(1469)年に築かれ、 織田広近が最初に入城したといわれます。 以後、約70年間、代々織田氏が居城しました。
天文6(1537)年、織田信康(織田信長の叔父)が、城を木曽川南岸の犬山城に移したので、この城は廃城となりました。
愛宕神社本殿の建つ高台には、城の主殿があり、城郭は 南に構えられたと思われます。
境内にある古い井戸は、 金明水と呼ばれ、神社の西南方約100mの大榎の下にある銀明水と呼ばれる井戸とともに、当時の木ノ下城域に掘られたものと推定されます。
また、白巌水と彫られた手洗石が置かれていていますが、白巌とは織田信康の号名です。
現在、城跡は愛宕神社になっています。愛宕神社は慶長11(1606)年、鍛治屋町の銘鍛冶兼常が、当時の犬山城主小笠原吉次に願い出て、旧城地のこの場所に、天台宗の愛宕山長泉寺延命院を建立し、将軍地蔵を祀ったのが始まりです。
その後、前原新田入鹿山白雲寺の良陳らが住僧となって代々続きましたが、明治初年の神仏分離政策により寺は廃され神社として残り現在に至っています。
(現地説明板などより)
木ノ下城(愛宕神社) - 01
木ノ下城(愛宕神社) - 01 posted by (C)pismo

木ノ下城(愛宕神社) - 02
木ノ下城(愛宕神社) - 02 posted by (C)pismo

木ノ下城(愛宕神社) - 03
木ノ下城(愛宕神社) - 03 posted by (C)pismo

木ノ下城(愛宕神社) - 04
木ノ下城(愛宕神社) - 04 posted by (C)pismo

木ノ下城(愛宕神社) - 05
木ノ下城(愛宕神社) - 05 posted by (C)pismo

木ノ下城(愛宕神社) - 06
木ノ下城(愛宕神社) - 06 posted by (C)pismo

次は、犬山城下へ向かいます。
Posted at 2012/07/22 20:29:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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