• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ピズモのブログ一覧

2012年07月27日 イイね!

鳥取城とその周辺

この日は、灼熱の中鳥取城を訪れました。
ここは、前回、桜が咲いていました。
鳥取自動車道開通記念ドライブ(その5・桜咲く鳥取城)

熱かったですが、もちろん山上の丸も訪れました。
鳥取城 - 01
鳥取城 - 01 posted by (C)pismo

鳥取城 - 02
鳥取城 - 02 posted by (C)pismo

鳥取城 - 03
鳥取城 - 03 posted by (C)pismo

鳥取城 - 04
鳥取城 - 04 posted by (C)pismo

鳥取城 - 05
鳥取城 - 05 posted by (C)pismo

鳥取城 - 06
鳥取城 - 06 posted by (C)pismo

鳥取城 - 07
鳥取城 - 07 posted by (C)pismo

この日は、山上の丸から足を伸ばして太閤ヶ平〔秀吉本陣跡〕を訪れました。
天正9(1581)年の羽柴秀吉の包囲作戦と吉川経家の籠城とによる対陣は、鳥取城の歴史の中で最大の攻防戦でした。この戦いは、天下統一をめざして中国地方を征討しようとする織田信長と、これを阻止しようとする中国地方の雄毛利氏との対立の中で展開されたものです。
信長の派遣した部将羽柴秀吉は、姫路から但馬口を経て天正9(1581)年7月12日、鳥取に到着し鳥取城背後の東北の山頂(太閤ヶ平)のこの位置に本陣を置き、左右両翼と前面の袋川沿いに各陣を布いて、2万余の軍勢により兵糧を絶つ鳥取城包囲作戦を展開しました。
太閤ヶ平(本陣山)は、西方前方に鳥取城を望み、左方に芳心寺に至る一帯の山々をひかえ、右方には、はるかに円護寺・覚寺・浜坂・賀露に至る一帯を見下し、総本陣としては最も適した場所でした。
これを迎え撃つ鳥取城は、毛利氏の一族で石見国福光城主吉川経安の嫡男経家が城将として守備し、その兵力は芸州毛利氏よりの加番衆4百と因幡国方衆千余でした。
 毛利氏からの援軍・食糧の補給が阻止されて、包囲後3ヶ月過ぎるころには、「籠城兵糧つき、牛馬人等喰い候」という状況となりました。
ついに10月25日、吉川経家は城兵を助けるために開城し、自身は城中広間で切腹しました。時に35歳でした。
死の前日、10月24日に本家吉川広家にあてた遺言状に、「日本二つの御弓矢境において、忰腹に及び候事、末代の名誉たるべく存じ候」と、経家は記しています。織田信長と毛利氏という「日本二つの御弓矢」の正面対決による鳥取城攻防戦での切腹を、大きな名誉と感じていました。
この太閤ヶ平には、当時の鳥取城攻防の歴史を物語るかのように、土塁と空濠を廻らした曲輪の跡が厳然として残されています。高低差4m以上の土塁(土の堤防)と空堀に囲まれ、内寸58m、櫓台も設置した、大型かつ強固な防御性を備えた構造をしています。本陣及び陣城群は、一城を攻めるにはあまりに大規模であることから、毛利氏との本格的な戦闘に備えた陣城であるとともに、信長を迎え入れるための本陣であった可能性が指摘されています。
また、この一帯は鳥取自然休養林であり、摩尼寺に至る中国自然歩道も整備され、広く市民の憩いの場として親しまれています。(現地説明板などより)
昭和32(1957)年、鳥取城と並び「鳥取城跡附太閤ヶ平」として国の史跡に指定されています。
太閤ヶ平 - 01
太閤ヶ平 - 01 posted by (C)pismo

太閤ヶ平 - 02
太閤ヶ平 - 02 posted by (C)pismo

太閤ヶ平 - 03
太閤ヶ平 - 03 posted by (C)pismo

太閤ヶ平 - 04
太閤ヶ平 - 04 posted by (C)pismo

太閤ヶ平 - 05
太閤ヶ平 - 05 posted by (C)pismo

下山し、樗谿神社(おうちだにじんじゃ)に参拝。こちらは前回の鳥取ドライブで訪れました。
鳥取自動車道開通記念ドライブ(その4・鳥取市内の寺社めぐり)
樗谿神社 - 1
樗谿神社 - 1 posted by (C)pismo

樗谿神社 - 2
樗谿神社 - 2 posted by (C)pismo

樗谿神社 - 3
樗谿神社 - 3 posted by (C)pismo

鳥取市歴史博物館(やまびこ館)は、鳥取の歴史や文化を系統的に学習できることを目的に平成12(2000)年に開館しました。
館内では鳥取市の歴史や文化に関する展示が行われています。
この日は「The 山名」という山名氏に関係する特別展を開催していて、とても楽しめました。
鳥取市歴史博物館(やまびこ館) - 1
鳥取市歴史博物館(やまびこ館) - 1 posted by (C)pismo

鳥取市歴史博物館(やまびこ館) - 2
鳥取市歴史博物館(やまびこ館) - 2 posted by (C)pismo

吉川経家公像は、平成5(1993)年10月25日により吉川経家公像建立実行委員会が奥谷俊治の作により鳥取城のあった久松山を背にした鳥取城堀端に建立したものです。
天正9(1581)年、天下制覇を目指す織田信長の先鋒として、羽柴秀吉の山陰侵攻が必至となりました。
この情勢に対応して、鳥取城を守る軍勢は、吉川の一門につながる有力な武将の派遣を毛利方に懇請しました。
山陰方面の総大将・吉川元春はこれにこたえて、石見国福光城主・吉川経安の嫡男経家を鳥取城の城将に任命し、経家はこの年の3月、部下4百余人を率いて鳥取城に入城しました。
羽柴秀吉はこの年の7月、2万の大軍を率いて鳥取城に押し寄せ、帝釋山(太閤ヶ平)に本陣を置き、日本海から鳥取平野、久松山の東側にかけ、約20キロメートルに及ぶ大包囲陣を敷いて、徹底した兵糧攻めをしました。
鳥取城に籠った2千の兵と民は、毛利方からの救援と食糧の補給を期待し、吉川元春も数回にわたり食糧の送り込みを行いましたが、秀吉方の厳重な遮断により一粒の米も搬入できず、8月以降、次第に飢えてきました。
そして、9月、10月になると、すべての食糧を食いつくし、遂には人肉を食するという地獄さながらの状態になりました。世に言う「鳥取城の渇殺」であります。
経家は遂に意を決して、秀吉の開城の求めに応じました。
この時秀吉は、「経家公は、連れて来た兵と共に芸州に帰られたい」とすすめましたが、経家は、「全ての責は城将たる自分にある」として、兵と民の生命を救って10月25日未明、城中広間において、見事な自刃をいたしました。
時に年35歳。
その潔い最期は、武人の鑑として歴史に高く評価されています。
経家が死に臨み、4人の子に遺した次の手紙は、その清々しい心事を物語るものとして、いつまでも人の心を打つものがあります。
「とつとりのこと よるひる二ひやく日 こらえ候 ひようろうつきはて候まま 我ら一人御ようにたち おのおのをたすけ申し 一門の名をあげ候 そのしあわせものがたり おきゝあるべく候  かしこ
天正9年10月25日 つね家
あちやこ かめしゆ かめ五 とく五
まいる 申し給へ」
(現地説明板などより)
吉川経家公像 - 1
吉川経家公像 - 1 posted by (C)pismo

吉川経家公像 - 2
吉川経家公像 - 2 posted by (C)pismo

仁風閣で鳥取城の100名城スタンプをゲット。
鳥取城・仁風閣 - 01
鳥取城・仁風閣 - 01 posted by (C)pismo

鳥取城・仁風閣 - 02
鳥取城・仁風閣 - 02 posted by (C)pismo

鳥取城・仁風閣 - 03
鳥取城・仁風閣 - 03 posted by (C)pismo

鳥取城・仁風閣 - 04
鳥取城・仁風閣 - 04 posted by (C)pismo

鳥取城・仁風閣 - 05
鳥取城・仁風閣 - 05 posted by (C)pismo

鳥取城・仁風閣 - 06
鳥取城・仁風閣 - 06 posted by (C)pismo

鳥取藩主池田家墓所は、初代藩主・池田光仲の墓所として元禄6(1693)年、現在の鳥取市国府町奥谷を池田家の廟地と定め、光仲を埋葬したことにその起源をたどることができます。
光仲の埋葬に合わせ、この地には「千岳庵」が建立されました。
千岳庵は、翌元禄7(1694)年に伯耆国久米郡定光寺からその末寺の寺号を貰い受け、「清源寺」と改められ、池田家の菩提寺である興禅寺の末寺として、明治初年に廃寺となるまで墓所の管理を担なっていました。
墓所内には、初代藩主光仲以後の歴代藩主11代をはじめ、藩主夫人・御分知家「東館」「西館」当主等も葬られています。現在、合わせて78基の墓碑が立ち並び、周囲には260基をこえる灯籠が家臣等により供えられている。また、藩主墓域に向かう参道両側には、初代光仲の寵臣和田三信と光仲の側室や菩提寺住職の墓もあります。
昭和56(1981)年10月13日、国の史跡に指定されています。
(現地説明板などより)
駐車場なども最近整備されたようです。
鳥取藩主池田家墓所 - 01
鳥取藩主池田家墓所 - 01 posted by (C)pismo

鳥取藩主池田家墓所 - 02
鳥取藩主池田家墓所 - 02 posted by (C)pismo

鳥取藩主池田家墓所 - 03
鳥取藩主池田家墓所 - 03 posted by (C)pismo

そして最後に、吉川経家公墓所を訪れました。
吉川経家は、天正9(1581)年、羽柴秀吉による鳥取城攻略に備え、毛利氏から鳥取城将として派遣されてきました。
鳥取城主山名豊国は織田信長への服属の意を表しましたが、これを不服とする森下道誉、中村春続らの因幡国方衆は、豊国を追放して毛利氏に鳥取守城のための城将派遣を要請しました。そして天正9(1581)年3月18日、毛利氏の一族の石見国福光城主吉川経安の嫡男経家が城将として鳥取城に入りました。
そして、7月12日、信長が派遣した部将羽柴秀吉は鳥取に到着し、鳥取城背後の東北の山頂(現在の太閤ヶ平)は本陣を置き、前面の袋川沿いに各陣を布いて、二万余の軍勢により兵糧を絶つ鳥取城包囲作戦を展開しました。
これを迎え撃つ鳥取城の兵力は、芸州毛利氏よりの加番衆400と因幡国方衆1000余でした。
毛利氏からの援軍、兵糧の補給が阻止されて、包囲後3ヶ月過ぎることには「籠城兵糧つき、牛馬人等喰ひ候」という状況に陥りました。
ついに10月25日、吉川経家は城兵を助けるために開城し、自身は城中広間で切腹しました。時に35歳でした。
死の前日、10月24日に吉川経言(広家)にあてた遺言状に「日本二つの御弓矢境において忰腹に及び候事、末代の名誉たるべく存じ候」と、経家は記しています。織田信長と毛利氏という「日本二つの御弓矢」の正面対決による鳥取城攻防戦での切腹を、大きな名誉と感じていました。
この五輪塔は、吉川経家主従の墓と伝えられています。(現地説明板などより)
当初は、鳥取城内にありましたが、慶長6(1601)年池田備中守長吉が鳥取城の大改造を行ったとき城外に移されました。
吉川経家公墓所 - 1
吉川経家公墓所 - 1 posted by (C)pismo

吉川経家公墓所 - 2
吉川経家公墓所 - 2 posted by (C)pismo

吉川経家公墓所 - 3
吉川経家公墓所 - 3 posted by (C)pismo

日本100名城スタンプラリー 取得実績
04 弘前城   H24/7/12
05 根城    H24/7/13
06 盛岡城   H24/7/13
07 多賀城   H24/7/15
08 仙台城   H23/10/25
09 久保田城  H24/7/14
10 山形城   H24/7/15
23 小田原城  H23/12/29
24 武田氏館  H23/12/30
30 高遠城   H23/12/30
33 高岡城   H24/4/28
34 七尾城   H23/7/23
35 金沢城   H24/4/28
36 丸岡城   H23/6/18
37 一乗谷城  H24/4/28
38 岩村城   H24/6/23
39 岐阜城   H23/4/16
40 山中城   H23/12/29
41 駿府城   H23/12/28
42 掛川城   H23/12/28
43 犬山城   H24/6/23  
44 名古屋城  H24/3/24
47 伊賀上野城 H24/4/1
48 松坂城   H24/3/8
49 小谷城   H23/12/23
50 彦根城   H24/1/14
51 安土城   H23/4/9
52 観音寺城  H24/1/14
53 二条城   H23/11/3
54 大阪城   H23/11/19
55 千早城   H23/12/10
56 竹田城   H23/11/16
57 篠山城   H23/11/26
58 明石城   H23/12/24
59 姫路城   H24/1/28
60 赤穂城   H24/1/28
61 高取城   H24/1/22
62 和歌山城  H24/2/18
63 鳥取城   H24/7/27
64 松江城   H23/6/27
67 津山城   H24/4/14
70 岡山城   H24/1/7
71 福山城   H24/2/4
72 郡山城   H23/3/18
73 広島城   H23/3/17
76 徳島城   H24/5/21
77 高松城   H24/5/12
78 丸亀城   H24/5/12
91 島原城   H23/9/17
92 熊本城   H23/9/18
93 人吉城   H23/9/15

H24/7/27現在 51/100城
Posted at 2012/09/12 21:27:52 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年07月21日 イイね!

兵庫県立「カミーユ・ピサロと印象派 永遠の近代」

兵庫県立「カミーユ・ピサロと印象派 永遠の近代」この日は、兵庫県立美術館で開催されている「カミーユ・ピサロと印象派 永遠の近代」を見に行きました。
節電の夏、暑い日が続いていますが、県立美術館は「クールスポット」に指定され、常設展は半額です。
ただし、この展覧会のような特別展は割引なしです。
ピサロの絵はあまりじっくりと見たことがなかったですが、印象派でも特にシスレーなどと同じく風景画が多いようで、結構私の好みの絵でした。8月19日(日)までの開催。
Posted at 2012/08/29 23:35:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 芸術 | 日記
2012年07月15日 イイね!

北東北史跡めぐりの旅(4日目その4・多賀城)

この旅行の最後に多賀城を訪れました。ここは、平成21年、平成22年にも訪れています。
平成21年
 「独眼竜政宗」&「炎立つ」&「南部氏」の史跡めぐり(1日目その5・多賀城〜鹽竈神社・御釜神社など)
平成22年
 伊達・上杉・最上紀行(1日目・仙台周辺)


多賀城市埋蔵文化財調査センターは、奈良時代から平安時代にかけて東北の中心であった多賀城に関する出土した資料などを紹介しています。
多賀城の日本100名城スタンプもここで押すことができます。
多賀城市文化センター(埋蔵文化財調査センター)
多賀城市文化センター(埋蔵文化財調査センター) posted by (C)pismo

現在、政庁跡は修復工事中。東日本大震災の爪痕はここもかなりのもの。心が痛みます。しかし、再び発掘作業も同時に行われ、新たなことが分かるのかも知れません。
多賀城 - 2
多賀城 - 2 posted by (C)pismo

多賀城 - 3
多賀城 - 3 posted by (C)pismo

多賀城 - 4
多賀城 - 4 posted by (C)pismo

多賀城 - 5
多賀城 - 5 posted by (C)pismo

多賀城 - 6
多賀城 - 6 posted by (C)pismo

多賀城 - 7
多賀城 - 7 posted by (C)pismo

これで、今回の東北紀行は終了です。

日本100名城スタンプラリー 取得実績
04 弘前城   H24/7/12
05 根城    H24/7/13
06 盛岡城   H24/7/13
07 多賀城   H24/7/15
08 仙台城   H23/10/25
09 久保田城  H24/7/14
10 山形城   H24/7/15
23 小田原城  H23/12/29
24 武田氏館  H23/12/30
30 高遠城   H23/12/30
33 高岡城   H24/4/28
34 七尾城   H23/7/23
35 金沢城   H24/4/28
36 丸岡城   H23/6/18
37 一乗谷城  H24/4/28
38 岩村城   H24/6/23
39 岐阜城   H23/4/16
40 山中城   H23/12/29
41 駿府城   H23/12/28
42 掛川城   H23/12/28
43 犬山城   H24/6/23  
44 名古屋城  H24/3/24
47 伊賀上野城 H24/4/1
48 松坂城   H24/3/8
49 小谷城   H23/12/23
50 彦根城   H24/1/14
51 安土城   H23/4/9
52 観音寺城  H24/1/14
53 二条城   H23/11/3
54 大阪城   H23/11/19
55 千早城   H23/12/10
56 竹田城   H23/11/16
57 篠山城   H23/11/26
58 明石城   H23/12/24
59 姫路城   H24/1/28
60 赤穂城   H24/1/28
61 高取城   H24/1/22
62 和歌山城  H24/2/18
64 松江城   H23/6/27
67 津山城   H24/4/14
70 岡山城   H24/1/7
71 福山城   H24/2/4
72 郡山城   H23/3/18
73 広島城   H23/3/17
76 徳島城   H24/5/21
77 高松城   H24/5/12
78 丸亀城   H24/5/12
91 島原城   H23/9/17
92 熊本城   H23/9/18
93 人吉城   H23/9/15

H24/7/15現在 50/100城
Posted at 2012/08/29 00:07:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ(レンタカー) | 日記
2012年07月15日 イイね!

北東北史跡めぐりの旅(4日目その3・山形城)

次は、山形城です。
ここは、2年前にも訪れています。
伊達・上杉・最上紀行(4日目・山形)
山形城 - 01
山形城 - 01 posted by (C)pismo

山形城 - 02
山形城 - 02 posted by (C)pismo

山形城 - 03
山形城 - 03 posted by (C)pismo

山形城 - 04
山形城 - 04 posted by (C)pismo

山形城 - 05
山形城 - 05 posted by (C)pismo

山形城 - 06
山形城 - 06 posted by (C)pismo

霞城公園内にある山形市郷土館〔旧済正館本館〕です。ここで100名城スタンプをゲットしました。
旧済正館本館は、明治11(1878)年9月に竣工した擬洋風の病院建築物です。 山形県令三島通庸の病院新築の大構想のもとに、建築計画に着手され、太政大臣三条実美が「済生館」と命名し、県立病院とされ医学校も併置されました。その後、明治21(1888)年に一時民営病院となり、この時医学校は廃止され、明治37(1904)年には山形市立病院となりました。
その後、昭和41(1966)年に重要文化財に指定、昭和44(1969)年に霞城公園内に移築され、現在、山形市郷土館として活用されています。
一階・二階の一部を一般に公開し,医学関係資料を展示しています。平成21(2009)年4月より入館料が無料になりました。
山形城・山形市郷土館〔旧済正館本館〕 - 07
山形城・山形市郷土館〔旧済正館本館〕 - 07 posted by (C)pismo

山形城・山形市郷土館〔旧済正館本館〕 - 08
山形城・山形市郷土館〔旧済正館本館〕 - 08 posted by (C)pismo

山形城 - 09
山形城 - 09 posted by (C)pismo

山形城 - 10
山形城 - 10 posted by (C)pismo

次は、多賀城に向かいます。

日本100名城スタンプラリー 取得実績
04 弘前城   H24/7/12
05 根城    H24/7/13
06 盛岡城   H24/7/13
08 仙台城   H23/10/25
09 久保田城  H24/7/14
10 山形城   H24/7/15
23 小田原城  H23/12/29
24 武田氏館  H23/12/30
30 高遠城   H23/12/30
33 高岡城   H24/4/28
34 七尾城   H23/7/23
35 金沢城   H24/4/28
36 丸岡城   H23/6/18
37 一乗谷城  H24/4/28
38 岩村城   H24/6/23
39 岐阜城   H23/4/16
40 山中城   H23/12/29
41 駿府城   H23/12/28
42 掛川城   H23/12/28
43 犬山城   H24/6/23  
44 名古屋城  H24/3/24
47 伊賀上野城 H24/4/1
48 松坂城   H24/3/8
49 小谷城   H23/12/23
50 彦根城   H24/1/14
51 安土城   H23/4/9
52 観音寺城  H24/1/14
53 二条城   H23/11/3
54 大阪城   H23/11/19
55 千早城   H23/12/10
56 竹田城   H23/11/16
57 篠山城   H23/11/26
58 明石城   H23/12/24
59 姫路城   H24/1/28
60 赤穂城   H24/1/28
61 高取城   H24/1/22
62 和歌山城  H24/2/18
64 松江城   H23/6/27
67 津山城   H24/4/14
70 岡山城   H24/1/7
71 福山城   H24/2/4
72 郡山城   H23/3/18
73 広島城   H23/3/17
76 徳島城   H24/5/21
77 高松城   H24/5/12
78 丸亀城   H24/5/12
91 島原城   H23/9/17
92 熊本城   H23/9/18
93 人吉城   H23/9/15

H24/7/15現在 49/100城
Posted at 2012/08/28 23:43:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ(レンタカー) | 日記
2012年07月15日 イイね!

北東北史跡めぐりの旅(4日目その2・酒田市)

ここからは、酒田市です。
南洲神社は、西郷隆盛を祀る神社です。
鹿児島市にある南洲神社の分社が、山形県酒田市、宮崎県都城市、鹿児島県沖永良部島にあります。
山形県酒田市の南洲神社は昭和51(1976)年に伊勢神宮から用材の払い下げを受けた総檜造り、銅板葺の社殿で建立されました。
戊辰戦争の際、旧幕府軍に味方していた庄内藩の戦後処置が、寛大なものであったことから庄内藩士は感激し、特に庄内藩士菅実秀(臥牛)は、西郷に師事しました。
明治8(1875)年自ら旧庄内藩士と共に鹿児島で南洲翁の教えを受けました。
後にその教えを受けた人達の手記を集め明治23(1890)年に西郷の遺訓「南洲翁遺訓」を発刊しました。旧藩主酒井忠篤公は数名の人を各地に行脚させ全国に頒布しました。
南洲神社は荘内南洲会が管理しており、西郷に関する資料の他、遺墨や遺品も収蔵しています。境内には西郷隆盛(南洲)と菅実秀(臥牛)の対話坐像があります。
南洲神社 - 01
南洲神社 - 01 posted by (C)pismo

南洲神社 - 02
南洲神社 - 02 posted by (C)pismo

南洲神社 - 03
南洲神社 - 03 posted by (C)pismo

南洲神社 - 04
南洲神社 - 04 posted by (C)pismo

山居倉庫は明治26(1893)年、酒田米穀取引所の付属倉庫として建造されました。
現在も農業倉庫として活躍しています。土蔵造りの12棟の屋根は二重構造で、倉の内部は湿気防止構造になっているほか、背後を囲むケヤキの大木は日よけ、風よけの役目を果たし、自然を利用した低温管理が行われています。
酒田市のシンボル的な存在であるケヤキ並木と風格のある倉庫は、観光の拠点として利用され、NHKの連続テレビ小説「おしん」のロケ地としても知られています。
1号棟は、庄内米歴史資料館、11号棟と12号棟は酒田市観光物産館「酒田夢の倶楽」となっています。「酒田夢の倶楽」の11号棟部分は「華の館」として酒田の歴史と文化を今に伝えていて、12号棟はお土産品コーナーのある「幸の館」となっています。
山居倉庫 - 01
山居倉庫 - 01 posted by (C)pismo

山居倉庫 - 02
山居倉庫 - 02 posted by (C)pismo

山居倉庫 - 03
山居倉庫 - 03 posted by (C)pismo

山居倉庫 - 04
山居倉庫 - 04 posted by (C)pismo

山居倉庫 - 05
山居倉庫 - 05 posted by (C)pismo

山居倉庫 - 06
山居倉庫 - 06 posted by (C)pismo

山居倉庫 - 07
山居倉庫 - 07 posted by (C)pismo

山居倉庫 - 08
山居倉庫 - 08 posted by (C)pismo

山居倉庫 - 09
山居倉庫 - 09 posted by (C)pismo

山居倉庫 - 10
山居倉庫 - 10 posted by (C)pismo

本間家旧本邸は、「本間さまにはおよびもせぬがせめてなりたや殿様に」と詠われた本間家の旧本邸です。
本間家は、初代久四郎原光が元禄2(1689)年、本町一丁目に「新潟屋」を開業し、十代を数えます。
三代光丘は千石船による商いを始める一方、農業振興のため土地改良・水利事業を行い、又、永年にわたる風害軽減のため砂防林の植林に心血を注ぎましたまた、荘内藩主酒井家の信望を頂き請われて藩財政の相談に預るなど、地域社会の発展に努めました。以来、商人と地主の任を全うしながら、代々酒田と共に歩みを進め、今日に至っています。
本間家旧本邸は、三代光丘が幕府巡見使一行の本陣宿として明和5(1768)年に新築し、荘内藩主酒井家に献上し、その後拝領しました。
この建物は、母屋桁行33.6m、梁間16.5mの桟瓦葺平屋書院造です。表からみれば、二千石旗本の格式を備えた長屋門構えの武家屋敷造りで、その奥は商家造りとなっています。武家屋敷は普段は使わず、商家造りの方で生活していました。このような二つの建築様式が一体となっているのは極めて珍しく、全国にも例をみません。(パンフレットより)
本間家旧本邸 - 01
本間家旧本邸 - 01 posted by (C)pismo

本間家旧本邸 - 02
本間家旧本邸 - 02 posted by (C)pismo

本間家旧本邸 - 03
本間家旧本邸 - 03 posted by (C)pismo

本間家旧本邸 - 04
本間家旧本邸 - 04 posted by (C)pismo

本間家旧本邸 - 05
本間家旧本邸 - 05 posted by (C)pismo

本間家旧本邸 - 06
本間家旧本邸 - 06 posted by (C)pismo

本間家旧本邸 - 07
本間家旧本邸 - 07 posted by (C)pismo

旧鐙屋です。
鐙屋は酒田を代表する廻船問屋で、江戸時代を通じて繁栄し日本海海運に大きな役割を果たした姿を今に伝えています。
本姓を池田といいましたが、領主最上義光から鐙屋の屋号を与えられてからは、鐙屋惣左衛門と称するようになりました。
また、酒田三十六人衆として町年寄役を勤め町政にも重要な役割を果たしました。
鐙屋の繁栄ぶりは、井原西鶴の「日本永代蔵」巻二の「舟人馬かた鐙屋の庭」に、「爰に酒田の町に、鐙屋といへる大問屋住けるが、昔は纔なる人宿せしに、其身才覚にて、近年次第に家栄へ、諸国の客を引請、北の国一番の米の買入れ、惣左衛門といふ名をしらざるはなし。表口三十間裏行六十五間を、家蔵に立つづけ、台所の有様、目を覚しける。」と記されています。
 往時の屋敷地は「明暦二年酒田町絵図」(文政三年写)及び鐙谷家の「家之記」(文化八年記)によれば、本町通りから大工町通りまでを占め、明暦二年の大火後の町割りでは松原道で二分されました。 現屋敷地は本町通りの居宅地側だけで、また、現在の家屋は、弘化二年(1845)四月のいわゆる甘鯛火事の被災直後に再建されたものと伝えられています。 石置杉皮葺屋根の典型的な町家造りで、内部は、通り庭(土間)に面して、十間余の座敷・板の間が並んでおります。(パンフレットより)
昭和59(1984)年に国の史跡指定を受けました。
旧鐙屋 - 01
旧鐙屋 - 01 posted by (C)pismo

旧鐙屋 - 02
旧鐙屋 - 02 posted by (C)pismo

旧鐙屋 - 03
旧鐙屋 - 03 posted by (C)pismo

旧鐙屋 - 04
旧鐙屋 - 04 posted by (C)pismo

旧鐙屋 - 05
旧鐙屋 - 05 posted by (C)pismo

旧鐙屋 - 06
旧鐙屋 - 06 posted by (C)pismo

旧鐙屋 - 07
旧鐙屋 - 07 posted by (C)pismo

旧鐙屋 - 08
旧鐙屋 - 08 posted by (C)pismo

旧鐙屋 - 09
旧鐙屋 - 09 posted by (C)pismo

旧鐙屋 - 10
旧鐙屋 - 10 posted by (C)pismo

亀ヶ崎城 - 1
亀ヶ崎城 - 1 posted by (C)pismo

亀ヶ崎城 - 2
亀ヶ崎城 - 2 posted by (C)pismo

次は、山形市へ向かいます。
Posted at 2012/08/28 22:04:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ(レンタカー) | 日記

プロフィール

「[整備] #PCX エンジンオイル交換(第9回目) https://minkara.carview.co.jp/userid/157690/car/1646340/4873121/note.aspx
何シテル?   07/13 21:09
ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2012/7 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    

リンク・クリップ

沖縄県編 
カテゴリ:お勧めスポット都道府県別リンク
2017/03/06 23:51:42
 
鹿児島県編 
カテゴリ:お勧めスポット都道府県別リンク
2016/01/09 20:03:52
 
宮崎県編 
カテゴリ:お勧めスポット都道府県別リンク
2014/07/01 23:55:48
 

お友達

名所旧跡を中心としたドライブの話題などが好きです。
よろしければ、遊びに来てください。
89 人のお友達がいます
朝霞の種馬reborn朝霞の種馬reborn * カワトロ・バジーナカワトロ・バジーナ *
タビトムタビトム * BC5~BP5BC5~BP5 *
鷹山鷹山 * chintachinta *

ファン

65 人のファンがいます

愛車一覧

スバル レヴォーグ スバル レヴォーグ
H27.3レガシィBPより乗り換え
ホンダ PCX ホンダ PCX
H26.3購入しました。
スバル レガシィツーリングワゴン スバル レガシィツーリングワゴン
H18.3アコードワゴンから乗り換えました。
ホンダ アコードワゴン ホンダ アコードワゴン
H11年式アコードワゴンCH9です。 ホンダのVTECエンジンは最高です。 100,00 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
©2018 Carview Corporation All Rights Reserved.