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ピズモのブログ一覧

2014年06月29日 イイね!

国宝姫路城大天守保存修理工事から姿を現した姫路城とその周辺

姫路城は「平成の大修理」がほぼ終わりに塚付き、改修工事用の囲いがほぼ撤去され、新装した姿を見ることができるようになりました。屋根瓦の目地まで白漆喰で全面的に塗り直され、美しい本来の白鷺城の姿を楽しむことができます。

ちなみに工事前の姿や工事中の姿は下記をご覧下さい。
平成21年9月17日 歴史秘話ヒストリア「姫路城 美と強運の400年物語 ~巨大迷宮の秘密を探る旅~」の影響を受けて姫路城散策 姫路城のライトアップ
平成24年1月28日 姫路城「天空の白鷺」
平成25年11月22日 完成間近の「平成の大修理」姫路城

姫路文学館から姫路城 - 1
姫路市立美術館から姫路城 - 1 posted by (C)pismo

姫路文学館から姫路城 - 2
姫路市立美術館から姫路城 - 2 posted by (C)pismo

姫路文学館から姫路城 - 3
姫路市立美術館から姫路城 - 3 posted by (C)pismo

姫路城 - 01
姫路城 - 01 posted by (C)pismo

姫路城 - 02
姫路城 - 02 posted by (C)pismo

姫路城 - 03
姫路城 - 03 posted by (C)pismo

姫路城 - 04
姫路城 - 04 posted by (C)pismo

姫路城 - 05
姫路城 - 05 posted by (C)pismo

兵庫縣姫路護國神社は戊辰の役(明治元年)以降国難に殉ぜられた兵庫県西南部地域(播州、但馬地区)出身の英霊五万六千九百八十八柱命を祀る神社です。明治26(1893)年、戊辰戦争等、国難により殉じられた播州・但馬両国の英霊を祀る為に創建されました。
当初は姫路城敷地内の一角に祭壇を設けていましたが、昭和13(1938)年、正式な社殿を造営して、現在地に遷座し招魂社として正式に神社となり、昭和14(1939)年に内務大臣指定の兵庫縣姫路護國神社に改称しました。戦後直後の昭和21(1946)年8月28日、白鷺宮と改称しましたが、昭和29(1954)年、元の社名に復しました。
兵庫縣姫路護國神社 - 1
兵庫縣姫路護國神社 - 1 posted by (C)pismo

兵庫縣姫路護國神社 - 2
兵庫縣姫路護國神社 - 2 posted by (C)pismo

城見台公園から姫路城 - 1
城見台公園から姫路城 - 1 posted by (C)pismo

城見台公園から姫路城 - 2
城見台公園から姫路城 - 2 posted by (C)pismo

射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)は播磨総鎮守、姫路城鎮護の神社とです。
古くから「総社さん」の呼び名で親しまれ、「射楯大神」と「兵主大神」を本殿に奉斎することから正式名称を射楯兵主神社と云い、播磨国風土記にも登場する歴史ある神社です。
創建は不詳ですが、奈良時代以前に射楯大神が飾磨郡因達里(現姫路市新在家本町)に鎮座され、欽明天皇25(564)年には、兵主大神が飾磨郡伊和里の水尾山に鎮座されていました。延暦6(787)年には、に現在の姫路城付近に遷座9世紀後半には、射楯神を合祀し、射楯兵主神社と称しました。
養和元(1181)年、播磨国に鎮座した神社祭神の分霊174座を勧請合祀した事から播磨国総鎮守となり、通称「播磨国総社」と呼ばれるようになりました。
永禄10(1567)年、黒田職隆の命により拝殿・御神門が再建され、屋根も板葺から瓦葺に葺き替えられました。
天正9(1581)年、羽柴秀吉が姫路城を築城する際、現在地に遷座され社領100石が寄進されました。
また、黒田家系譜によると天正8(1580)年、羽柴秀吉より1万石を与えられ軍陣において黒田家の中白旗を立てる許しを得た黒田官兵衛は、父・職隆と7日間にわたり祈祷を行い旗幟に大神様を入魂しました。
江戸時代に入ると幕府や姫路城主の庇護を受けました。幕府からは社領150石の朱印状を賜り池田輝政からは表参道入り口の中堀に架かる石造りの太鼓橋(鳥居先橋)を、本多忠政からは総社総神殿や玉垣の造営がなされ、慶安5(1652)年には榊原忠次が石鳥居を寄進しています。
昭和20(1945)年、戦災により社殿を焼失し、昭和28(1953)年、社殿が再建されました。平成19(2007)年には総社御門が復興されました。
61年に1つの山を設けて祭神の依代とする一ツ山大祭と21年毎に3つの山を設ける三ツ山大祭は兵庫県指定無形民俗文化財に指定されています。
平成26(2014)年の大河ドラマ「軍師官兵衛」第24回「帰ってきた軍師」の「官兵衛紀行」で紹介されました。
射楯兵主神社 - 01
射楯兵主神社 - 01 posted by (C)pismo

射楯兵主神社 - 02
射楯兵主神社 - 02 posted by (C)pismo

射楯兵主神社 - 03
射楯兵主神社 - 03 posted by (C)pismo

射楯兵主神社 - 04
射楯兵主神社 - 04 posted by (C)pismo

昭和51(1976)年に埋め立てられ総社公園となった血の池跡です。
この辺りは本町遺跡と呼ばれ、播磨国衙の中心付近に位置する可能性が極めて高い場所です。
血の池はかつて市街地域を東北から南西に流れていた藍染川(青見川)の跡と伝えられ、池田輝政の築城の際城下の中濠内に取り込まれ、文化元(1804)年、「播州名所巡覧図絵」には総社境内図の西方に「血の池」が描かれています。戦前は池の東に能舞台もありましたが、昭和51(1976)年に埋め立てられ総社公園となりました。
かつて総社に人々が抜刀して踊り舞う「刀劔おとり神事」と呼ばれる旧暦7月の恒例行事があり、江戸時代には「踊舞神事」「修羅念仏」、江戸時代後半には「修羅踊り」「豊年踊り」と呼ばれました。その行事で傷を被った者が池で洗うと止血したとされることが池の名称の由来といわれています。
血の池跡 - 1
血の池跡 - 1 posted by (C)pismo

血の池跡 - 2
血の池跡 - 2 posted by (C)pismo

イーグレひめじ
イーグレひめじより姫路城 - 01
イーグレひめじより姫路城 - 01 posted by (C)pismo

イーグレひめじより姫路城 - 02
イーグレひめじより姫路城 - 02 posted by (C)pismo

イーグレひめじより姫路城 - 03
イーグレひめじより姫路城 - 03 posted by (C)pismo

イーグレひめじより姫路城 - 04
イーグレひめじより姫路城 - 04 posted by (C)pismo

イーグレひめじより姫路城 - 05
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男山配水池公園
男山配水池公園から姫路城 - 01
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男山配水池公園から姫路城 - 02
男山配水池公園から姫路城 - 02 posted by (C)pismo

シロトピア記念公園
シロトピア公園から姫路城 - 1
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シロトピア公園から姫路城 - 2
シロトピア公園から姫路城 - 2 posted by (C)pismo
Posted at 2014/07/02 20:39:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2014年06月29日 イイね!

姫路市の増位山随願寺

随願寺は、山号は増井山(ますいさん)、天台宗の寺院です。播磨天台六山の一つです。
姫路市街北方にある増位山(ますいやま)にあります。この地は、インドの阿育王(あしょかおう)が仏舎利を八万四千に分け、空高く投げられた内、二つの舎利が日本に到着し、一つは琵琶湖の東、石塔寺の地に、一つは播磨の増位山に到達したと云われています。
寺伝では、厩戸皇子(聖徳太子)が仏教の師僧である高麗の僧慧便をして止住させた増位寺が前身で、元はここより南の平地である出井村(伊伝居)にあったと伝えられています。
天平7(735)年に僧行基が出井の地に宿泊されたとき夢に薬師如来が現れ、今の地、増位山上に寺を建立するように告げられ、朝廷に上奏し、薬師如来を刻み、安置して復興しました。
奈良時代は南都六宗の一つ法相宗でしたが、承和元(834)年比叡山の法勢法師が仁明天皇の勅命を受け、天台宗に改宗し、この時に増位山随願寺医王院の勅号を賜わりました。
平安時代は寺領も多く、伽藍も多数あり、鎮護国家の勅願寺としての威容を誇っていました。
この時代は播磨地方に天台宗の隆盛の時代で、随願寺をはじめ、書写山円教寺・法華山一乗寺・八徳山八葉寺・妙徳山神積寺・蓬莱山普光寺は播磨六山と呼ばれていました。
又、随願寺は、朝廷の尊崇厚く、法皇の臨幸や勅使の来山等も多く、そのたびに、お堂を建てたり、改築が成されました。
天正元(1573)年三木城主別所長治の兵乱によって焼打ちに遭い、諸堂すべて焼けてしまいましたが、諸仏像をもって、あるいは嵐山(今の城西岩端)あるいは印南郡佐土村(今の別所町佐土)に避難したと伝えられています。
また、黒田官兵衛の叔父・黒田高友は僧となり、休夢と称して増位山の地蔵院に住んでいました。和歌に秀で、秀吉に仕えましたが、生母・明石氏とともに、文人官兵衛に大きな影響を与えた人物です。
天正13(1585)年豊臣秀吉が諸堂を建立し、寛文8(1668)年姫路城主榊原忠次により現在の本堂(金堂)が建てられました。
江戸時代に於いても寺門隆盛し、三十坊を数えておりましたが明治時代、神仏分離令により廃仏毀釈が起こり、寺勢も衰微しました。
増位山随願寺・開山堂 - 01
増位山随願寺・開山堂 - 01 posted by (C)pismo

境内には榊原忠次の墓があります。榊原家は譜代大名の中の名門で、徳川四天王の一つに数えられ、榊原忠次は、姫路城主としての17年間にも随願寺の再建をはじめ数々の治績をあげて名君とされたました。墓所の唐門は本堂の西側にあり、瓦銘から享保16(1731)年の建立であることがわかっています。墓碑の碑文は朱子学者の林怒(鷲峰)の撰によるもので、榊原家の系譜をたどり忠次の生い立ちから館林(群馬県)、白河(福島県)の藩主を経て慶安2(1649)年、姫路城主となるまでの経緯、存命中の業績など彼の一代記が約3000の字に刻まれています。
この碑文を一字の誤りもなく読むと、碑石の「カメ」が動くという伝説があります。
増位山随願寺・榊原忠次墓所 - 02
増位山随願寺・榊原忠次墓所 - 02 posted by (C)pismo

増位山随願寺・榊原忠次墓所 - 03
増位山随願寺・榊原忠次墓所 - 03 posted by (C)pismo

増位山随願寺・本堂 - 04
増位山随願寺・本堂 - 04 posted by (C)pismo

増位山随願寺・本堂 - 05
増位山随願寺・本堂 - 05 posted by (C)pismo

増位山随願寺・本堂 - 06
増位山随願寺・本堂 - 06 posted by (C)pismo

増位山随願寺・本堂 - 07
増位山随願寺・本堂 - 07 posted by (C)pismo

増位山随願寺・経堂 - 08
増位山随願寺・経堂 - 08 posted by (C)pismo

増位山随願寺 - 09
増位山随願寺 - 09 posted by (C)pismo

増位山随願寺・鐘楼 - 10
増位山随願寺・鐘楼 - 10 posted by (C)pismo

随願寺には、榊原家では、忠次の他榊原政邦夫妻の墓所があります。
榊原家は江戸時代初期と中期の二度姫路城主となっていますが、榊原政邦が宝永元(1704)年、越後国村上城から移封され、榊原家は二度目の姫路城主となりました。
榊原家の姫路城主時代は、政邦の後政祐、政岑、政永と続きます。
政邦は、享保11(1726)年、52歳で亡くなるまでの22年間にわたり、特に民政に心を傾け善政を続けたといわれています。遺言によりここ増位山に葬られ、墓碑には故式部大輔、従四位源朝臣と刻まれています。政邦の夫人は享保14(1729)年、江戸で亡くなりましたが、同じく遺言により政邦と並んで葬られています。
増位山随願寺・榊原政邦夫妻墓所 - 11
増位山随願寺・榊原政邦夫妻墓所 - 11 posted by (C)pismo

増位山随願寺・榊原政邦夫妻墓所 - 12
増位山随願寺・榊原政邦夫妻墓所 - 12 posted by (C)pismo

増位山随願寺・榊原政邦夫妻墓所 - 13
増位山随願寺・榊原政邦夫妻墓所 - 13 posted by (C)pismo
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少し離れた場所には政邦の側室で、政祐の生母実相院の墓所もあります。実相院は、婦人病に悩んだことから、死後は同病に苦しむ人を救いたいと遺言をしました。このことから「しも」の病に霊験あらたかとして詣る人が多いそうです。地元ではこの墓を「お姫さまの墓」とも呼んでいます。
増位山随願寺・実相院の墓 - 14
増位山随願寺・実相院の墓 - 14 posted by (C)pismo

増位山随願寺・実相院の墓 - 15
増位山随願寺・実相院の墓 - 15 posted by (C)pismo

現在の姫路城の姿を整えた姫路城主、池田輝政の供養塔もあります。
増位山随願寺・池田輝政の供養塔 - 16
増位山随願寺・池田輝政の供養塔 - 16 posted by (C)pismo
Posted at 2014/06/30 23:29:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2014年06月29日 イイね!

播州山崎花菖蒲園

この日は、宍粟市山崎町にある播州山崎花菖蒲園を訪れました。播州山崎花菖蒲園は、4月はシャクナゲ、5月はカキツバタ・あやめ、6月には花菖蒲などが楽しめます。昭和52(1977)年、「(株)関西テック」により開園されましたが、関係会社の統合により、平成16(2004)年9月で閉園されることになりました。
しかし、NPO法人「花菖蒲とふるさとづくりの会」が設立され、平成16年10月1日より運営が引き継がれました。平成25(2013)年10月1日より、株式会社マックアースが管理しています。
1000品種、100万本の花菖蒲と、シャクナゲ園を中心に、季節限定で営業しています。

6月30日までの開園ということで、もうシーズンも終わりかけ。咲いている花も全盛期とまでは行かず、少ないですが、それでもきれいな花しょうぶを楽しむことができました。
播州山崎花菖蒲園 - 01
播州山崎花菖蒲園 - 01 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 02
播州山崎花菖蒲園 - 02 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 03
播州山崎花菖蒲園 - 03 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 04
播州山崎花菖蒲園 - 04 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 05
播州山崎花菖蒲園 - 05 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 06
播州山崎花菖蒲園 - 06 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 07
播州山崎花菖蒲園 - 07 posted by (C)pismo

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播州山崎花菖蒲園 - 08 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 09
播州山崎花菖蒲園 - 09 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 10
播州山崎花菖蒲園 - 10 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 11
播州山崎花菖蒲園 - 11 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 12
播州山崎花菖蒲園 - 12 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 13
播州山崎花菖蒲園 - 13 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 14
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播州山崎花菖蒲園 - 15
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播州山崎花菖蒲園 - 16
播州山崎花菖蒲園 - 16 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 17
播州山崎花菖蒲園 - 17 posted by (C)pismo

播州山崎花菖蒲園 - 18
播州山崎花菖蒲園 - 18 posted by (C)pismo

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播州山崎花菖蒲園 - 20
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播州山崎花菖蒲園 - 21
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播州山崎花菖蒲園 - 22
播州山崎花菖蒲園 - 22 posted by (C)pismo
Posted at 2014/06/30 21:54:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2014年06月24日 イイね!

矢田寺のあじさい

この日は、EOS 5D MarkⅢの試写を兼ねて、奈良県は大和郡山市の矢田寺(金剛山寺)を訪れました。
あじさいの名所です。
矢田寺は、正式には山号は矢田山、寺号は金剛山寺という高野山真言宗の寺院です。
「矢田寺」「矢田のお地蔵さん」の名で親しまれています。
いかるがの里に連なる矢田丘陵の中心にあり日本最古といわれる延命地蔵菩薩を安置しています。
大海人皇子(天武天皇)が戦勝祈願の為矢田山に登られ、天武天皇8年(白鳳4年、679年とも)、智通僧上に勅せられ七堂伽藍四十八ヶ坊を造営、十一面観世音菩薩と吉祥天女を安置されたのが当山の開基です。
また「矢田寺」という名で親しまれているのは、この地が万葉の昔より矢田の里と呼ばれていた為で奈良朝の文書に既に「矢田寺」と言う名称が使われています。

その後、平安の初め弘仁年間に満米上人、小野篁公により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心として栄えてきました。
中世末期には松永久秀の兵火に罹って堂塔が退転しましたが、その後の復興により七間四面県下屈指の大建築の本堂をはじめ諸堂が整い、矢田地蔵縁起その他多数の文化財を今に伝えています
裏山(地蔵山)には四国八十八ケ所の霊場を安置しており石仏めぐりの散策を兼ねて参拝の人が絶えません。塔頭寺院は、念仏院、大門坊、北僧坊、南僧坊の4ヶ院坊があって、修養道場として宿坊の設備も完備しており、特に春秋の彼岸法要には各宗旨を超えた「大和の納骨所」として大変賑わいます。
あじさい寺として知られており、25,000㎡の境内に紫陽花庭園や見本園があり、約60種類10,000株が咲き揃います。
(パンフレットなどより)
矢田寺 - 001
矢田寺 - 001 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 002 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 003 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 004 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 005 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 006 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 007 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 018 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 020 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 022 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 023 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 024 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 025 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 026 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 027 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 028 posted by (C)pismo

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矢田寺 - 029 posted by (C)pismo

矢田寺 - 030
矢田寺 - 030 posted by (C)pismo

矢田寺の近くには、大和郡山藩に預けられた熊沢蕃山が住んだ法光寺山熊沢蕃山先生遺跡があります。熊沢蕃山は、江戸時代前期の儒学者で、16歳で岡山藩主池田光政に仕え、一時中江藤樹の門に学びました。
光政の信任を得て藩政に深く寄与しますが、名声があがる一方で蕃山の思想を危険視する流言も多く、幕命により明石藩主松平信之に預けられました。延宝7(1679)年、信之が郡山に移封になったのに従いこの矢田山麓の地に移り住みました。蕃山61歳の時でした。
貞享2(1685)年、信之は下総国古河に転じ、代わって宇都宮から本多忠平が郡山に入りました。蕃山は引き続き郡山に住んでいましたが、幕府はこれを認めず、貞享4(1687)年、古河に移され、元禄4(1691)年、73歳で亡くなりました。
蕃山の郡山在住は9年間でしたが、その名声を聞き、教えを請う者が後を絶たず、郡山藩の文教の発展に大きな影響を与えました。
法光寺山熊沢蕃山先生遺跡
法光寺山熊沢蕃山先生遺跡 posted by (C)pismo

奈良県立民俗博物館は、この地域に暮らす人々が、その風土の中で育み改良工夫を重ねながら維持してきた生活文化財、民俗資料を収集・保存・展示公開する博物館として、昭和49(1974)年に開館しました。
常設展「大和のくらし」では、奈良盆地(北西部)、大和高原・宇陀山地(北東部)、吉野山地(南部)といったそれぞれの土地で気候風土にあった暮らしが営まれてきた奈良県の各地域の暮らしを支えた仕事として「奈良盆地の稲作」、「大和高原の茶業」「吉野山地の林業」について、1970年代頃の大幅な機械化が進む以前の作業とその各工程で使われた用具を展示し、あわせて当時の衣食住について紹介しています。
そのほか、企画展や講演会、体験学習などを開催しています。
(パンフレットなどより)
奈良県立民俗博物館
奈良県立民俗博物館 posted by (C)pismo
Posted at 2014/06/26 22:13:23 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2014年06月21日 イイね!

EOS 5D MarkⅢ購入!

EOS 5D MarkⅢ購入!EOS 5D MarkⅡ購入から5年間。フルサイズ一眼の世界にはまってしまいました。
そして、この度、EOS 5D MarkⅢを購入しました。
ファインダー視野率100%と常用ISO感度25600という点が魅力です。
EOS 5D Mark III SPECIAL EXPERIENCEに参加してからずっとほしかったカメラです。

EOS 5D MarkⅡは里子に・・・。お疲れ様でした。


EOS 5D Mark III SPECIAL EXPERIENCE

Canon EOS 5D markⅡ購入!
Posted at 2014/06/25 21:31:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | デジカメ | 日記

プロフィール

「[整備] #PCX エンジンオイル交換(第9回目) https://minkara.carview.co.jp/userid/157690/car/1646340/4873121/note.aspx
何シテル?   07/13 21:09
ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
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